第1章-5


 もったいないなぁ。ソファにうずまり、カンナはもう一度店の中を見渡した。やはり自然と溜息が出る。ただ、同時に生まれかけていたものがうっすらとあらわれてくる気がした。自分がどうしたいのか、それによってなにが起こるのか。その像がはっきりしない理由はわかっていた。あの男の格好と態度、それとセンスの無さがありえないから。


 あごを強く引き、カンナは目をつむった。けをしてみようと思ったのだ。今日一日、いや、この時間だけ。しんそこムカつく男だけど、やっぱりその能力は認めざるを得ない。それに、床に置かない方がいいと言ったとき、あの男は素直にしたがった。そういう部分がちゃんとあるなら、そして、それが継続的につづくのであれば出来ないこともない。――いや、どうだろう?


「ほれ、飲むか?」


 彼は缶コーヒーを手に戻ってきた。


「冷蔵庫のどっかにあるはずだと思ってたんだけど、いろんなもんの奥にあって見つけられなかった。ミルク入りとブラックがある。どっちがいい?」


 この薄寒い日に冷たい缶コーヒーでもてなすという神経にも溜息がれそうになったけど、カンナは唇をすぼめるだけにしておいた。


「ちょっと訊いてもいい?」


「なんだ?」


「ここって一日に、――ううん、週に何人くらいお客さんが来るの?」


「ん、そうだなぁ、」


「正直にこたえて」


「良くて一人。いや、二人の場合もある」


「ほんと?」


「ん、悪い場合も知りたいか?」


「ぜひ知りたいわ」


「悪い場合はだな、二週間に一人ということもある」


「それってどうしてだと思う?」


「どうして?」


 彼はしばらくうなりつづけた。そういうのをまったく考えてないのだろう。――ま、考えてたら、あんな馬鹿みたいなかんばん出してふんぞり返ってなんかいないでしょうけど。


「じゃ、質問を変えるわ。このままお客さんが来なかったら、いつまでこのお店はつづけられるの?」


「いつまで?」


「だって、収入がなかったらつづけられないでしょう」


「ああ、そういうことか」


 この賭けはやっぱりよしておいた方がいいかも――カンナはそう思った。彼はにがむしつぶしたような顔をしてる。


「大金持ちで、しゅでやってるなら別だけど、そういうわけじゃないでしょ。千春ちゃんに聴いてるから、そんなのわかってるの。――ね、あなたは人間的にはいろいろ問題ありそうだけど、占い師としてだけだったらすごいって思うわ。それは私も認める。だって、あなたの言ったこと全部当たってたんだもの」


 表情はまんざらでもないものに変わった。――まるで子供。でも、そうじゅうはしやすそう。


「いつもあんな感じに、ほら、私に言ったみたいにしてんの?」


「ん? まあ、そうだな」


「お客さんの反応は?」


「たいがいは怒りだすね。この前の君と一緒だよ。ときには怒りのあまり金を払わないで帰る客もいる」


「ねえ、飲み屋の店長さんだったときもそんなふうにしてたの? それで潰したんじゃないでしょうね」


 また表情が変わった。ただ、ひたいに指をえると、にくそうに唇をらした。


「飲み屋のときはにやってたさ。やとわれでもあったしね。でも、ここは俺の店だからな、好きにやってるだけだ。――ま、客が来なくて困ってるのも確かだけど」


 カンナは腰をあげ、腕を伸ばした。首を引いたまま彼は固まってる。もじゃもじゃの髪は持ち上げられていた。


「ちょ、ちょっと。なんだよ」


「ふうん。こういう顔なのね。ま、こうやって出しといた方がいいか。まだマシだわ」


「は?」


 ソファに身体をあずけるとカンナは目をつむった。様々なイメージがあらわれ、重なっていく。新たに浮かんだものが前のを見えにくくし、しかし、き通っていってレイヤーをかけた絵のようになった。そして、それはここの新しい姿へ変わった。馬鹿げたかざりなんて全部て、シンプルに――いや、に。この男にはスーツを着させ、髪も切らせる。そう、言葉づかいも変えさせなきゃ。ごうまんさも、そんげなのも無し。ああ、曲も変えるべきね。ガチャガチャした音なんて要らない。お客さんが落ち着けて悩みを打ち明けられる環境にすべきなんだわ。あとは売りになるものも必要ね。ただなんとなく当たるなんてのは駄目。納得できる仕掛けがあった方がいい。それこそすいしょうだまみたいなのが。


 カンナは目をあけた。その顔を猫がのぞきこんでいる。――ああ、いいのがあった。


「どうした? なにかあったのか?」


 彼は顔をき出してる。カンナは腕を組み、顎を反らした。


「占いで当ててみなさいよ」


「はっ、そんなに便利なもんじゃない。考えてることはわからないんだよ。それに、あれは疲れるんだ。とんでもなくね」


「そうなの? ふうん、そういうものなんだ。でも、たとえばだけど、一日に五人くらいなら占えそう?」


「どうだろうな。まだそこまでやったことないんだよ。そもそも客が来ないからな。でも、五人くらいならできるかもな」


「お客様ね、そこは。どんなにくだけて言っても、お客さん。客じゃないわ。いい? もしここをきちんとしたお店にしたくて、それで食べていこうって考えてるなら、いろんなことを変えなきゃ駄目よ。まずはその態度が駄目。格好も駄目なら、この馬鹿げた布や、くだらない星の飾りも駄目」


 駄目と言われるごとに彼は見えないじゅうたれてるみたいに身体をすった。しかし、意外にも反論はしなかった。表情はかたくなっていったものの、きちんと背筋を伸ばし、静かにはいちょうしてる。


「私、思うんだけど、あなたの能力をきちんとはっできれば、すごいことになるわ。一日五人のお客さんが来て、一人二万取ったら十万円。週休一日で月に二十五日働けば、二百五十万。ねんしょうでいったら三千万。ここのちんやらこうねつ、後は、――そんなにかかるようはないでしょ? それをざっくり引いて、手許に残るのが年に二千五百くらいになるんじゃない? ま、なにかあったときのために五百はちょちくしたとして、それを二人で割って、――そっちが主に働くんだから六四で割って、あなたが千二百万の、私が八百万。どう? すごくない?」


「ああ――、すごい。計算が速いな」


「そっち? ま、私ずっと算盤そろばんさせられてたし、簿の二級も持ってるから。――って、そっちじゃないでしょ。それだけのものをあなたは持ってるのよ。もれさせちゃうのはもったいないでしょ」


 められてふんぞり返ろうとしたものの、彼はまいを正した。瞳は左上へ向かってる。さっき言われた金額を復習してるのだ。


「だけどさ、一人二万は取り過ぎじゃないか? 客、いや、お客さんがそれで来るか?」


「それだけの価値を提供すればいいのよ。私、ちょっと調べてみたの。だいたいそれくらい取ってるみたいよ。それに、あなたの占いにはそれだけの価値があるわ。ま、段階があってもいいかもしれないけどね。たとえば、時間や内容でわけて、一万五千円、二万円、三万円にするとか。そうなると、たいていの人は真ん中にするもんでしょ」


「なるほど」


「あなた、ほんとうに店長さんだったの? こういうのって基本的なことじゃない」


 コーヒーを飲もうとして彼は顔をしかめた。空になっていたのだ。それでも首をあげ、缶を振っている。こうふんしてのどかわいたのと、計画性の無さが手に取るようにわかる。カンナはすこし不安になった。


「ね、ここ開けるとき、お金借りたりした?」


「いや、借金はない」


「貯金は?」


「それもそろそろ無くなりそうなんだ。ほんとは猫に缶詰買ってる場合じゃないんだよ」


「ニャ」と鳴き、猫は額をこすりつけてきた。彼はそのお腹をくすぐってる。


「大丈夫だ、ペロ吉。どうも俺の能力はすごいらしいからな。そのうちお前にたいを一匹買ってあげられるかもしれないぞ。――ん? っていうか、二人で割るとか言ってたな。六四で。それって、俺と君とでってことか?」


 二人は、いや、二人と一匹は見つめあっている。カンナの目は細まっていった。これからどうなるかわかるような気がしたのだ。それはけっして悪いものではなかった。


「そうよ。私が手伝ってあげる。失敗したら、あなたのせい。私は逃げるわ。でも、成功したらきちんと分け合うのよ。ってことで、まずはこの馬鹿げたものを取っちゃいましょう」


 じゃらじゃらしたくさりに手をかけると、それはちゅうで切れ、かけが飛び散った。猫はそのひとつをはじき、転がった方へけていく。


「こういうのぶら下げてたら、占いっぽいって思ったんでしょ」


「まあね」


 金色の欠片が落ちゆく中で蓮實淳は腕を組んだ。これはさいさきがいいってことか? などと考えている。カンナは乱暴に引っ張りながらつぶやいていた。


「ほんとセンス悪い。最悪中の最悪。田舎いなかのスナックでもここまでひどくないわ」

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