第1章-3


 最悪の出会いの後はだいたいにおいて二筋にわかれる。ひとつはまったく印象が変わらずえんえんとつづくものであり、もうひとつはなんらかのきっかけで良い方向へ変わるものだ。カンナにとって蓮實淳との出会いはこれ以上ないくらい最悪なものだったし、好転するきっかけもあたえられなかった。しかし、時間が経つにつれ「むちゃくちゃムカつくけど、占いだけはすごかった」と考えるようになった。


 カンナは従姉いとこを頼って上京してきた。蓮實淳が言い当てたように女性関係にだらしない父親にほとほとあいきたのだ。それに、これもてきされたように、母親とはどうもしっくりいかなかった。


 両親が離婚したのはまだほんの小さな頃で、それから母子家庭での生活がつづいたのだけど、そのあいだカンナは自分以外の存在になるよう仕向けられてると感じていた。母親は実にがっしりしたかたわくを持っていて、そこに自分をめ込もうとしてる――そのように考えていたわけだ。型からはみ出た部分を母親は無断で切り取ろうとする。そういうのがたまらなく嫌だった。だから、高校卒業ぎわに母親が望み、合格もしていた大学の進学を取りやめ、就職したのだ。そして、一人暮らしをはじめたカンナは父親の家へ顔を出すようになり、逆にほとんど母親と会うこともなくなった。


「まったく、なんでこんな馬鹿なこと思い出さなきゃならないわけ?」


 窓からは高速道路が見えた。すべての車は目的地を持っている。だけど自分はこの時間になにをすればいいかもわかってない。そして、終わったことをくよくよ考えてるわけだ。カンナはクッションを投げつけた。これだって、あの男のせい。住む場所を変え、しんいってんやり直そうと思ってたのに、やる気をがれた気分だわ。しかし、頭の中にはその馬鹿げたことが浮かび上がってくる――


 カンナの父親はまったくの自由人で、絵描きをしてる。働きに出てる子供がいるとは思われないくらい若く見え、そう見えるだけでなくいやに若々しく振る舞っていた。ただ、強固な型枠の元を離れた後では、その有り様もすがすがしく感じられた。両親の離婚の原因となった女性も、こういう人なら父親の気持ちもれ動くはずと思うほどれいで優しげだった。彼女はいつだってかんげいしてくれたし、しばらく行かないでいると「最近どうしてるの? たまには顔を見せなさいよ」と言ってくれた。それも、自分が会いたいといったニュアンスでだ。そういうのは素直に嬉しかった。まあ、カンナとしても良好な関係を築くため努力を重ねてるつもりだったし、なんのわだかまりもなかったわけではない。それでも、実の母親より好きになりかけていた。家庭――父親がいて、母親がいて、自分がいるといったものを初めてきちんと経験した気になっていたのだ。


 それが、せいてんへきれき


 父親がまたしても浮気したのだ。それも、よりによって自分の後輩と! その後輩を紹介したのもカンナだった。とはいえ、雪が強く降った日に迎えに来てもらい、名前を教えたくらいだったのに。それがいつの間にか二人はデキていて、もう目も当てられない状態になっていた。あまりにも居たたまれなくなったカンナは町を出ることにした。いらいらのつのっていた彼女は勤め先のオーナーと激しくけんし(一発なぐってやった)、無職になっていたので身軽だった。もうなにもかも捨ててやる! そう考え、荷物をまとめ、アパートの契約を切り、新幹線に乗った。


「あぁあぁあ」


 溜息のようでもあり、歌のようでもある声をカンナはしばらく出した。回想シーンは誰も見送りにきていないホームを見つめるところで終わる。だけど、見送り? とも思った。誰が来るっていうの? 父親にも母親にも来て欲しくない。あの後輩なんて論外(顔も見たくない!)。ままははは? まあ、あの人とは会ってよかったかも。どうしてるんだろう? それに、どうなったんだろう?


 立てたひざあごを乗せ、カンナはかべを見つめた。自分が投げたクッションは元からそこに置いてあったようにみえる――どんなことだって起こってしまえば初めから用意されていたことに思えるものだ。カンナは唇をゆがめた。我ながらけっこう複雑な家庭環境だと思う。でも、それをあの男は顔を見ただけで言い当てた。それを考えると、やっぱり「すごい」と思ってしまう。まあ、男に振られつづけるとかは別にして、あの男の言ったことはすべて事実だった。


「もったいないなぁ」


 カンナはつぶやいた。あれだけの能力を持ちながら、まったくお客さんが来ないってんでしょ。でも、それも当たり前。だって、あんな馬鹿っぽい格好でいるんだもの。ないそうだって最悪だった。いったいなんなの? センスのかけすら、いや、そのはしっこすらない最悪にダサい店でひとりふんぞり返ってる才能だけは恵まれた男。


 ひるがえって自分のことを考えると、あまり他人に批判的になってる場合でもなかった。いつまでも無職でいるわけにはいかないのだ。好むふくそうには少々常識的でない部分を持っているものの、カンナは常識的な人間であり、現実をしっかり見る目を有していた。なおかつ、自分でもそうと信じていた。


 考えようによっては、あの男と私には似た部分があるのかも。ひまを持て余していたカンナはそう思いもした。できる限り好意的に考えてみようと試みたのだ。幾つも仕事を変えたところや、そのいずれもが接客業だったこと。――いや、あんなアホと似たとこがあるなら自分を許せない。長く接客の仕事をしてたら、ああいう態度はできないはずだもの。


 まあ、時間があると人間は様々なことを考えるものだ。そして、時間があるときに考えることはどうどうめぐりをしやすいものでもある。カンナが巡ってる中心にはいつしか蓮實淳がえられるようになった。というか、彼の〈能力〉が中心となっていた。

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