第9話
僕は今までの人生の中で、二人の女子と付き合った。一人は、中学二年生の時に同じクラスで、もう一人とは高校一年生の時に同じ部活だった。
学校という場所は、広そうで実はとてつもなく狭いコミュニティで成り立っている。その中で芽生える恋愛感情なんて、あてにならない。しかも、この期間の恋愛は付き合って別れる…の繰り返しで、それが短いスパンで行われる。長期間付き合う人もいたが、それはごくごく稀なケースだ。
僕の学校は、誰かが付き合うと学校中の噂になることが確定条件だった。都心と比べると圧倒的田舎のそこは生徒数も少なく、誰かのニュースは迅速に拡散される仕組みになっていた。学校の中での噂は、実に怖い。たった数時間で「誰か」をクラスに居づらくなる程の魔力を持っているし、その気になれば「誰か」を学校中の笑いものにすることもできる。ついには真偽の分からない情報が取ってつけられ、その「誰か」は狭いコミュニティの中で生きづらくなってしまう。
僕も、その「誰か」になったことのある一人だった。原因は恋愛だった。
高校一年生で部活に入った時、僕は同じタイミングで入部したとある女子に恋をした。彼女は特に目立つ容姿ではなかったが、周囲への気配りが上手で、ケガをした部員を見つけるとすぐに手当てをする素直で優しい人だった。僕はそんな彼女と出会い、半年のうちに告白して付き合い、部内で恋愛を始めた。幸いクラスは違ったので、自分のクラスの人に知られることもなかった。僕達は、その密かな隠し事を共有するのが楽しかった。その期間、少なくとも僕は幸せだった。
交際して一カ月程が経ったある日、クラスで彼女にまつわる噂が流れた。内容は、彼女がとある男と交際しているというものだった。そこで聞いた男の名前は、僕ではなく全く違う人だった。
最初、僕は単なるデマだと思った。また、事情を知る部活の男子友達もおかしいと言った。
「今日の放課後に部活がある。そこで松原が聞いてみたらいいんじゃないか?」
友人にそう言われ、僕は放課後、部室前で彼女に聞いた。
彼女は噂が広がっていたことに驚きはしたが、すぐに笑ってこう言った。
「そんな噂があるんだ。私は松原くんだけだよ?」
その時僕は、その根拠のない言葉で心の底から安堵したのを覚えている。あぁ、僕はいい彼女に恵まれた。そんな不安がらなくてよかった、と。彼女の笑顔と言葉は、ただただ純粋な表情と言葉としか思えなかった。
それから三日経った日、僕は放課後、部室で彼女が他の男と抱擁しているのを見た。
その日は午後から雨が降り、部活の顧問からオフの連絡がされていた。僕はテスト勉強のために二時間程学校に残り、部室には寄らず帰ろうと思っていた。が、家から持ってきたラケットを持って帰るのは面倒だと思い、部室に置きに行ったのだ。
傘をさしながら男子部室の前まで来た時、僕は中から男女の声が聞こえることに気が付いた。電気は点いておらず、ただ楽し気な声だけが聞こえていた。暗闇の中、誰かが掃除でもしているのだろうか。
僕は軽くノックをし、部室に入った…………その瞬間、見てしまった。
「違うの」
咄嗟に立ち上がり、僕の方に駆け寄ったのは彼女だった。「少し悩みを聞いてもらってただけなの。」
僕は何も考えられず、立ち尽くした。頭が真っ白になる、というのはこういうことを言うのか、と今考えなくてもいいようなことだけは、考えられた。
彼女に抱擁していた男は、静かに立ち上がって僕を一瞥すると、鼻を鳴らした。
「お前がサブで付き合ってるの、こいつのことか?」
その男が何を言いたいのか、僕は嫌でも分かった。僕は二番手なのだ。
信じられない。信じられない。信じられない。
僕はかろうじて働いた頭を、彼女に向けた。三日前、笑顔で「松原くんだけ」と言ってくれたように、今日もまた言ってくれ。お願いだ。
彼女は僕の方を見た。が、三日前のような笑顔はなく、彼女はすぐに俯いた。
そして、僕に一言告げた。
「…松原くんは、冷たいんだよ。」
そこから、僕はあまり記憶がない。とにかく部室から離れたい一心で、一目散に帰ったのは覚えている。
『冷たいんだよ』
彼女が俯いて言ったその一言が、ずっと心の中で回っていた。その時の彼女の仕草、表情、それを聞いて勝ち誇った顔をした男の顔…また、降っていた雨の音すら鮮明に残り、それを忘れることができなかった。
次の日から、学校では彼女の噂がちょくちょく流れるようになっていった。本当は不良仲間の一人だとか、中学の時に浮気癖があったとか、ネットで出会い垢を作っているとか…とにかく噂は酷いものばかりだった。
そして気づけば、僕が彼女から浮気されていたことも周りに知られていた。誰が言ったのかは知らないが、僕は急に「被害者」の一人として、周りから腫物を扱うような扱いを受けた。悪いのは彼女だ、と誰しもがそう言ってくれた。お前は悪くない、むしろ被害者なのだ、と。
ただ、僕はその言葉を半分だけ受け取り、もう半分は捨てていた。彼女だけに責任があるのかと言えば違ったのかもしれないと、僕は思わずにはいられなかった。彼女が僕に言った「冷たい」という言葉が、その原因だった。もっと彼女に付き添い、気持ちを理解し、色んなことをすればよかったのかもしれない。何なら、全校に知られる程有名なカップルになり、彼女に男を寄せ付けなければよかったとも思った。
今思えば、かなりひん曲がった学生の考えに過ぎない。それでも当時の僕は、ただただ怖くなった。そして気づけば、他人の気持ちや言動の真偽を常に意識するようになった。
僕はすぐに部活を辞めた。そして、まるで自分の殻に閉じこもるような生活を続け、そのまま卒業した。
卒業式の日、僕は決めた。「もう恋愛はしない」と。あんな目に遭うのなら、恋愛感情は持たなくていい。人を好きになることは自分を盲目にする。自分を傷つけるのはもうやめよう。
そして、今に至る。
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