第7話 別れの予兆

 エマとカンタレラの出会いから四週間、依然として二人の奇妙な共同生活は続いていた。


「エマー、お腹空いたー」


 いつもの調子で毒薬をねだるカンタレラ、しかしこの日のエマはいつもと違った。カンタレラのおねだりに返事もせず、じっと目の前のフラスコに集中している。


「……」


「ねえエマー、お腹空いたよー」


「……」


 黙々と薬液を混ぜ合わせること数分、エマは落胆した表情を浮かべる。フラスコの中を漂う液体は薄茶色く濁っていた。


「ああ、また失敗です……」


「失敗? じゃあ飲んでいい?」


「……はいどうぞ」


「やった!」


 フラスコを受け取ったカンタレラは、濁る薬液を一気に飲み干す。中身は毒薬だというのに、相も変わらず美味しそうに飲むものだ。


「けっこう美味しかったよ? なのに失敗作なの?」


「はい、失敗作です」


 頭を抱えて静かに唸るエマ、ほとほと困り果てているのだろう。


「前回催された夜会の後、ご主人から特別な命令を賜ったのです」


「特別な命令?」


「特異な働きをする毒薬と、その解毒剤を作れと命令されたのです」


「どんな毒薬なの?」


「無味無臭で水に溶ける、経口摂取で効果を発揮する、男性にのみ効果を発揮する、目に見えて効果を発揮する、即効性かつ非致死性。以上の条件を満たす毒薬と、その解毒剤を作らなくてはならないのです」


「非致死性なんて面白くなーい」


 致死性では無い事に不満を表すカンタレラ。ぷくっと頬を膨らませる姿は、駄々をこねる子供の様だ。


「二週間掛けて色々な調合を試してみました、しかし全て失敗しました……。どうやって作れば良いのか分かりません……」


「諦めちゃえば?」


「ご主人様に殺されてしまいますよ……。今日の夜会でお客様へお渡しするそうで、残された時間は僅かなのです……」


 途方に暮れるエマを見て、カンタレラは徐に空っぽのフラスコへと唇を添える。


「前にも言ったと思うけどエマの事は気に入ってるの、だから特別に助けてあげるね」


 グチュグチュと音を立てる臓腑、芋虫の様に上下する喉、そして吐き出される大量の唾液。

 空っぽだったフラスコは、瞬く間にカンタレラの唾液で満たされる。


「はいこれ、エマの作ろうとしてた毒薬」


「えっ!?」


「無味無臭で水に溶ける、経口摂取で効果を発揮する、男性にのみ効果を発揮する、目に見えて効果を発揮する、即効性かつ非致死性。全ての条件を満たした毒薬だよ」


「あの、一体どういう……?」


「エマの作ろうとしてた毒薬を、アタシの体内で生成してあげたの」


「体内で生成……」


 驚くべき事にカンタレラは、体内で毒薬を生成したと言うのである。

 理解を超えたカンタレラの異能を前に、エマはパチパチと目を瞬かせるだけで精一杯だ。

 

「それじゃあ解毒剤も作っちゃうねー」


 唖然とするエマを他所に、カンタレラは再びフラスコに唇を添えるのだった。



 ──────。


 ────。


 ──。



 どんよりと深く重たい闇夜。

 ラ・ヴォワザンの屋敷では、再び魔女の夜会が催されていた。


 一方その頃地下室では、エマが疲れ切った様子で作業台に突っ伏していた。


「はぁ……どうにか間に合った……」


 ラ・ヴォワザンに毒薬を届け、プレッシャーから解放されたエマ。ホッと一息付いていたところで、カンタレラから不意に問いかけられる。


「ねえねえエマ、いつ迄この地下室にいるつもり?」


「いつ迄って……私は奴隷ですよ、死ぬ迄ここにいると思います」


「そっか、それじゃあ直にお別れだね」


「えっ!?」


 カンタレラの思わぬ発言に、エマは疲れも忘れて跳ね起きる。


「そろそろアタシはこの国を出ようと思ってるの」


「そんな、一体どうして?」


「アタシは追われる身だからね、色々な場所を転々としなくちゃいけないんだよ」


「そんな……せっかく……」


 突然告げられた別れの報せに、エマは堪らず言葉を失う。


「それで? エマはいつ迄この地下室にいるの?」


「私は……」


「うん」


「私もカンタレラと一緒に地下室を出たいです、エルフの里に帰りたいです!」


 エマの答えた言葉には、力強さと生きる意志が宿っていた。カンタレラと出会った頃の、悲嘆に暮れていた少女とはまるで別人である。


「うん、良いと思うよ」


「毒薬なんて作らず、人々を助けるお薬を作りたいです」


「それは良くないと思うよ、毒薬は作ってよ」


「もうっ、毒薬なんて欲しがるのはカンタレラくらいですよ」


 「ふふふ」と笑ったエマの笑顔は、暗闇の中に咲いた一凛の金鳳花だ。


「もし一緒に地下室を出られたら、外へ出た後も私と一緒にいてくれますか?」


「それはダメだよ」


「えっ、どうしてですか?」


「アタシはこどくから生まれた、こどくに生きる怪物だから」


 カンタレラは指をばってんに交差させ、ニコリと薄暗い笑顔を浮かべるのだった。


 一方その頃地上では、ラ・ヴォワザンからフランソワーズへと毒の入った薬瓶が手渡されていた──。

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