第2章
間話
夏。とある日のこと。
その日の僕は違った。何が違うか。まず服装だ。スキニーパンツにゆったりとしたロング丈のシャツで、シルエットを大事にした僕史上最高のファッションだ。休日に外出する予定なんてまずないので、部屋着だけが多種多様に揃っていて非常に困った。着る服がない。ネットで最近の流行を調べて、近所のリーズナブルな服屋へ直行して急ぎで購入。似合っていると思う。妹のお墨付きだ。
次に時間。夏期講習がない夏休みに、ずばり完全なフリーの日に僕が外に出ている。学校の最寄駅で、僕は待ち人をしているんだ。信じらない。人と遊ぶ約束なんて、何年ぶりだ。覚えがない。気合いが空回りして、約束の時間より一時間早く到着してしまった。
ちなみに遊び相手は女子で、同じクラスの仙崎カンナだ。男女問わず、屈託のない笑顔を晒す学校の人気者。仙崎は容姿に優れていて、それなりに可愛いと僕は思っている。しかもスタイルもいいのだ。これについて長々と語ると人間性を疑われる可能性があるので、今回は自重したいと思う。
さて、仙崎に誘われた僕は、心底驚いた。共に夏期講習に参加していた僕らは、いつも席を隣り合わせにして、時折談笑に興じていた。些細な会話はもちろん。親密なやり取りまで、この夏休みで格段と仲良くなった。
それは僕らに、とある共通項があったからだ。とある業界。剣、魔法、怪異。存在してはならない、名のない業界に互いが精通していて、怪異絡みで助け合う仲になったことが大きい。膨大な魔力と魔力の衝突によって、僕が何度も死にかけた。何度も挫けたが、それでも最後には世界と仙崎を救うことができた。その頑張りが報われたと思えば、これほど嬉しいことはない。過去の失態を悔いた僕よ。今にも幸福になれるから、頑張れ。しかし、時間が迫っていくに連れて、緊張してきた。デートと誇張しといて何だが、本当は買い物に連れ回されるだけだ。セールがどうとか仙崎は言っていた。そう、連れ回れるだけ、と反芻して暗示する。
喉が渇いたので、自販機に向かう。炭酸は苦手なので、珈琲を選ぶ。選ぶのはブラックだ。微糖とか、缶コーヒーの特有の甘いの飲めない。近くにベンチに腰掛けると、見覚えのある人物が現れた。長い黒髪、女性にしては長身で制服を着ている。
「柿原君じゃない」と生徒会長の安原さゆりは、僕に声をかけた。
「よう、安原」
「どうしたの? そんな格好で」
「いや。その、予定があるんだよ」
仙崎と遊ぶなんて軽々しく言えないな。安原が制服着ているなら、今日も登校して真面目に勉強するんだろうし、なんだか罪悪感を持ってしまう。
「仙崎さんと遊ぶんでしょ。知ってるよ。羨ましい」
「なんでたぶらかした」
「私は大抵のことは知ってるつもりよ」
「やめてくれ。そんなストーカーみたいなことを言うのは」
「いいじゃない。これでも私は心配してたのよ。夏休み前なんて友達もいなかった柿原君に、友達ができるなんて素晴らしいことじゃない。夏期講習には参加して良かったでしょ? 私の努力の賜物ね」
「自分の手柄にするなよ。僕だって色々頑張ったんだよ」
「そうね。当事者はいつでもあなただもんね」
「それは……」 どう言う意味だよ、と僕が言い終わる前に安原は言う。
「この間の提案は考えてくれた? 悪い条件ではないと思うんだよね。あなたと仙崎さんの呪いは私が必ず消滅させるから」
安原が僕に近づいた理由は、僕の異能である。ずっとタイミングを見計らっていたようで、仙崎との一件が一段落して、僕が問題を抱えた絶好期に絡んできたのだ。身近にこれほどの術者がいたとは、全くわからない僕は間抜けだろう。
「それだけど前向きに検討はしている。ただし、仙崎は必ず元に戻してくれ」
「あなたはいいの? あなたこのままだと夏には……」
「大丈夫だ。僕は最後でいい。前払いとして仙崎を解呪してくれ」
「へぇー取引が上手いのね。もしかして私、信用されてない?」
「そりゃあ、僕の異能が目的で絡んでくる奴なんて十中八九悪人だろ? つかよ。そもそも馬鹿にしてんのか。僕は頭は悪いかも知れないが、異能関係での警戒心は強いつもりだ。ましてや、あんたみたな得体の知れない術者なんて信用できない」
「言ってくれるね柿原翔太。まあ、あなたが言い分も最もだと思う。私も異能目的で近寄ってくる連中は警戒するしね。うん、わかった。明日には仙崎さんを元に戻してあげる」
「わかった。ありがとう」
「ただし、失われる物があることも忘れないでね。それじゃあ、私は今日も学校に行くから、これでね」
「あー。またな」
安原の背中を見送りながら、珈琲を啜る。苦い。苦味を味わっていると、リズミカルな足音が近付いてくる。
「カッキー! ごめん待たせちゃたかな?」
「いやいや、全然って、あれ?」
目の前の女子は仙崎で間違いないだろうけど、記憶と差異がある。金髪だった髪が落ち着いた焦げ茶色になって、遊んでいた毛先は沈み、真っ直ぐに伸びている。誰だこの女子、僕の知っている仙崎とはまるで別人だ。
「変かな?」
おそるおそる仙崎は聞く。
「いいや。似合っているよ」
似合い過ぎるくらいに、似合っている。端的に可愛いと思う。服装も落ち着いた感じで、大人らしい。大学生みたいで、僕の好みだ。
「そう良かった」
仙崎は破顔を晒す。
「どうして切ったの?」
「え~と。それは気になる人がいて」と仙崎は言った、頬を赤くして、もじもじしてだ。誰だよ。仙崎に気になる人がいるなんて聞いたことないぞ。いや、それなりに仲良くなったつもりだが、そんな青春的な話は一度もしたことはない。僕はそこまで仙崎と仲良くないのかも知れない。そんな悲しいことを考えたら、心が停止した。
「立ち話も何だし、早く行こ」
いつもより頭の位置が高い。仙崎に手を引かれると、足元をよく観察できる。動きにくそうな厚底気味のパンプスだ。まるで普通の女子高生じゃないか。はじめから女子高生だけど、あれだけの魔法を見せ付けられていると、違和感だ。
切符を買って改札口を通り、乗車する。車内は思いの外、空いていた。空気が抜ける音を合図に、扉は閉まる。仙崎が座席に座ったので、隣を陣取る。
「カッキーの私服はじめて、意外とお洒落だね」
「そうか? 普通だよ。いつもこんなん」
僕は涼しい顔をして、嘘をついた。ダサい服しか持ち合わせていなかったので、急で用意したなんて、仙崎には言わない。言いたくない。
「随分と印象が変わるね」
「そういう仙崎も印象が変わる。誰か一瞬わからなかった」
「どういう意味? 」
「どういう意味って」
疑問符を浮かべる必要なんてない。深い意味なんてないから。だから僕は「可愛い」と率直な感想を述べた。
「あ……うん。ありがとう」
仙崎は俯いた。反応がうぶだ。可愛いなんて、散々言われているだろうに、演技なのか。こういう空気を読める一面も仙崎の良さなんだろう。あざといだけだ。この表情を、他の男も知っているのだろうか。妬ましく思えた。
「う~ん。何だか緊張する」と仙崎。
「何で?」
僕は声を大きくして、大袈裟に反応する。仙崎が僕を少しでも意識しているのではないかと期待したのだが……。
「バーゲンセールで、失敗しないように、これから戦場に赴くんだから、カッキーも気合いを入れて!」
仙崎は僕の背中を叩いて渇を魂入する。気合いはこれ以上いらないし、力は強い。痛いんですが。体育会系の絡みをされると、どんなに容姿が変わっても、僕の隣には女子は、仙崎カンナなのだと、少しだけ落胆する僕がいた。
県を代表する駅周辺は、人口密度の高さをさることながら、建設途中の高層ビルや、老朽化したビルに、都会であると実感させられた。他県の田舎出の僕には、敷居が高い。仙崎は迷うことなく歩く。目的の百貨店は徒歩で五分も掛からない。百貨店はそれぞれ、本館とメンズ館で別れ、隣接するビルは全て同百貨店らしい。本館は、地下が食品売場、一階から七階が雑貨、レディース、八階はフードコートだ。地下と三階には行き交う通路がある。今日は本館しかいかないと思われるので、不必要な情報だ。僕としてはメンズ館にいかれても困るので、問題はない。
エスカレーターで階をまたぐ。昇りも降りも、人で溢れかえっている。エスカレーターの強度は大丈夫だよな。某動画サイトでエスカレーターが逆回転をして、死亡事故にまで発展した動画を閲覧したことがあった。中国で起こった事件らしいが、心細い。ここ日本では管理が行き届いていると思われるので、心配するような話ではないんだろうけど。マイナス思考を過剰に纏う。左腕の影響で、強迫観念が表れるようになった。何でもない日常を不快に思う。視界に入る動くもの、不快な臭い、何でもない味、高い音、不馴れな手触り。今まで意識しなかったことが、頭から離れない。不愉快な感覚がとして滞る。
「ちょっと、カッキー、顔色悪いよ。大丈夫?」
「心配しなくていいよ」
「なら、いいけど」
「よく来るの?」
僕は仙崎に聞く
「そう滅多にはこないよ。人混み好きじゃないし。お金ないし」
仙崎も人混みが苦手だそうだ。意外な共通項があった。
「けど、付き合いで来たりするんだろ」
「言われればそうかも、友達とちょいちょい来るかもね。けど能動的に来るのは初めてかも」
四階で仙崎は下着売場に向かった。僕はなるべく見ないようにするが、デザインの豊富さに、目が奪われる。
「なあ、仙崎。男を連れて最初に下着売場ってどういうつもりだよ」
「最近……また大きくなったような気がして……キツいんだよね」
仙崎はまだまだ成長期のようだ。というか男にそんなことを言っていいのか?
「そういうことを平気な顔をして言わないほうがいいと思うぞ」
「キモイー。勘違い。キモーい」
「二回もキモイ言わなくてもわかるよ」
「変態。欲情するな」
「……」
「これとかどう?」
仙崎は桃色のブラを手に取る。シンプルなデザインで、中央にはリボンがあてがわれている。
「いいんじゃないか」
僕は内心で、似たような下着沢山あるではないか、と思う。仙崎はスカートの丈が捲れていることが多いので同じクラスで過ごしていたなら、だいたい把握できてしまうのだ。独占願望はあるがされど無意味な願望だ。おこがましい以前に、仙崎は僕を暇潰しの遊び道具と思っているに違いない。偶然にも共通項があって話し相手に適している。それだけだ。
次に仙崎が手にしたのは、仙崎らしいスポーツタイプの下着だ。やはり揺れを抑えたいのか。揺れを。割りとシンプルな物を選んで仙崎は会計を済ました。
店内をざっくりと回った頃には、正午を回っていた。女の人は買い物に時間を掛ける印象があると聞いたことがある。どれを買うか決まってるのに、いつまでも悩むみたいな不毛なやり取りを楽しむそうだ。しかし、仙崎に逡巡とする様子はなかった。直感で選ぶ。自分を着飾る道具を選出して、役を振り分ける。仙崎のリーダーシップを垣間見た気がした。本当に気がしただけだ。
「お昼、どうする?」
「どうしようか。任せるよ」
「任せられてもなぁ」
フードコートで歩きながらの会話。洋食、和食、なんでもある。あらゆるニーズに備えるのは素晴らしいけど、これだけ選択肢があると、むしろ判断が難しくなる。僕のような優柔不断な人間なら尚更だ。
「じゃあ。ここにしよう」
「オーケー」
仙崎が中華料理屋に入店する。混雑が予想されたが、席は空いていた。僕は唐揚げとラーメンのセットを仙崎は回鍋肉を頼んだ。
「しかし、結構買ったな」
夕方の帰り道で僕は五つの買い物袋を手に持ってる。全て仙崎のものだ。総額で三万円は使ったと思う。
「カッキーと違ってバイトしてますから、なんなら奢るよ」
「いや、それはいい」
「えー、何で。いいじゃん」
「本当にいいから。むしろ昼くらい奢らしてくれ」
一応、昼飯くらいは男として奢らしてくれほしい。じゃないと男しての立つ瀬がない。
「いーよ。私が付き合わせたんだし」
「……」
そう言われると納得してしまう。上手い切り返す話術は、どうやら僕にはないようだ。
「カッキーって、妹がいるんだよね」
「そうやけど」
「いいなぁ。私一人っ子だから羨ましい」
「そうか。そんなに良いものではないよ。毎日喧嘩ばかりだ」
この間も、「私のアイスを食べた」と罪を擦り付けられた。勿論、事実無根だ。僕は無罪なのに、罵倒を浴びせられ、蹴りの応酬だ。参る。
「そう言うのがいいんじゃん。私なんて実質独り暮らしだから、家に居るとさびしく感じるよ」
深掘りが難しい会話だ。仙崎の両親は離婚して、父親は行方不明。母親は入退院繰り返してると聞いたことがあった。
「そう言えば。最近お母さんの退院が決まったんだ」
「良かったじゃんか」
「うん。なんだか、だんだん普通に戻っていってる」
「普通か」
それは僕にとって朗報だった。
●
「今日はありがとう」
帰り道で仙崎は振り返って言った。もうそんな時間なんだ。と思う悲しい気持ちになる。もしかしら一緒にいれる時間は限られてるのかも知れない。けど口にはできない。
「こちらころありがとう。楽しかった」
「本当? カッキーが楽しかったと言ってくれると私も嬉しいよ。また行こうよ」
「わかった。また行こう」
今はこれだけで十分だ。もしも世界を一巡して僕が僕で入られたなら、その時は思いを告げよう。仙崎が手を振る。僕は倣って、手を振った。
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