是正

 雪化粧によって世界は彩られた。曇天から降り注いだ雪は、木々に白い葉を実らせながら、大地を純白に染めた。朝方の凍えるような風は、容赦なく体温を奪う。悪寒が走った。額から冷や汗が垂れるのを感じる。


 彼女は多大な影を収縮して凝縮して、黒い霊装を纏っていた。変幻自在の魔力をドレスのように着込み、背中から六つの羽を為していたのだ。足元には肉片。先刻まで生きていたはずの肉が散らばり、鮮血が辺りに飛び散っている。どうしてここまで悲惨な事ができるのか?


 凄惨な現場で彼女は嬉々ーー鬼気としていた。楽しそうだったんだ。彼女のあんな嬉しそうな笑顔を見たことがなかった。彼女は死体の山に囲まれて僕に言うんだ。


「私を救ってくれてありがとう」


 僕はそれを聞いて、彼女と対峙する決心がついた。「そうか、僕は彼女を救えてないんだ」とそう己を鼓舞して、好意を敵意に、敵意を殺意に、心を鬼にした。


 戦闘は数秒で終わった。刀の力を最大限に引き出して、僕は一直線に向かった。ただ、闇雲に、僅かな迷いもなく、一心不乱に彼女を目掛けて刃を向けた。彼女は黒い影を幾ばくに枝分かれてさせて、僕の命を奪おうとする。避け切るなんて考えてない。致命傷に成るであろう斬撃は可能な限り避ける。避ける。左腕が飛んだ。気にしない。


 彼女は油断した。攻撃が緩んだ。僕の戦意を削ぐには充分だと思ったのだろう。間違ってない。以前の僕ならそうだった。ちょっとした壁が立ちはだかっただけで、全てを投げ出していた。彼女はよく僕のことを知っているから、情けをかけたつもりだったのだろう。けど違った。僕は怯むことなく、寧ろ加速した。あの時の目を見開いた彼女の顔は鮮明に覚えている。


 衝突。手は暖かい。冬だと言うのに、真逆な感覚が生まれて、違和感を覚える。手元に視界を向けると、暖かい鮮血が刀を伝って、僕の手を包んだ。そして、滴る。刀から伝わるのは温度だけではない。僅かな音。心音が微かに聞こえる。それは、彼女の命の音が弱いことを訴えて、現実を強調させた。


 彼女は倒れ込む。見ようによっては寄り添うように、もしくは抱擁するように、見えたかも知れない。まるで愛し合う恋人のように、或いはヒーローに救われたヒロインのように。


 だが、殺めたのは僕で、彼女は敵であった。彼女は僕を咎めた。意識が喪失していくなかでも、彼女は秘めた憤怒と深い憎悪を僕に向けた。


『これできみもわたしとおんなじだ』


 彼女は耳元で囁いた。どこか楽しそうに彼女は言葉を積むんだ。僕は逃避せず受け止めた。彼女の命が断つ、その一瞬まで、離さないと誓い、まだ暖かい彼女の身体を強く抱擁した。


 これが夢であると僕は知っている。このあと彼女の遺体から伸びる黒い触手に、僕は襲われる。それはもう、辛い。黒い触手、とは影、鬼だ。憎悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、貪欲、暴力、あらゆる負の感情が物質となって、切り落とされた僕の左腕から血管を抉じ開け、血流に乗って全身を駆け巡っていく。


 信じられるだろうか。人の身体を粉々に握り潰す膂力を持った腕、豆腐でも切るように人体を切断する大剣、そんな変幻自在な黒い触手が、今度は僕の体に順応するために液体化するんだ。


 次第に筋肉が膨張し、膨れ上がっていくのを認識した。当然体は拒み、痛覚が訴え、ガス抜きでもするかのように、左腕は爆発した。切り落とされて、肘から上しかなかったのに、残っていた部位まで木端微塵に消えた。きれいさっぱりにだ。代りに黒い腕が生えた。醜い黒い腕だ。影のように存在があやふやな腕である。まるで僕の生き写しであった。


 僕は英雄になりたかったんだと思う。不安に煽られた黎明期を義侠心と勇敢な姿勢を持って、人々を先導する勇ましい英雄。憧れもしたが、少し違った。


 一人のため。


 その人にとっての英雄、たった一人にとってのヒーローになりたかった。なれると思った。例え、世界を敵に回しても気持ちがあれば、どうにでもなると僕は思っていた。けど、現実は違う。彼女を殺したのは僕だ。僕なんだ。




 一ヶ月が経った。この一ヶ月を長く感じるか、遅く感じるかは、人それぞれだろうが、僕にはとても短く感じた。発見が多かったからだ。


 まずは仙崎の話をしようか。仙崎はあの日から、僕を成仏させると誓った日から、日課のように僕の元に訪れた。一度は帰宅しているようで、仙崎は制服ではなかった。そもそも帰宅して着替えてから来るように言ったのは僕だったりするんだが。と言うのも、仙崎は深夜に学校に訪れて、そのまま一晩過ごすつもりだったからだ。仙崎にはなるべく普段通りの生活リズムを崩さないようにと懇願した。仙崎は少しムスッとしたが、最後に折れたようで承諾してくれた。


 最初はちょっとした世間話をしていた。学校のこと、クラスのこと、友達のこと、話していくと、発見があった。僕の記憶では高一の夏頃だったんだが、どうやら違うようで、現在は高三の夏前だと言う。生前の記憶は最低でも一年はない。本当にそうなのか。正直に言うと自信はない。確認することはできないし、仙崎とは高校生からの付き合いだし、僕とも深い仲ではなかったと思う。しかし、仙崎は意外にも僕のことをよく知っていた。少し驚嘆したが、同時に記憶にある生前の僕と変わりはないようだ。友達はいない、つまり誰も僕を知らない。僕なんかと話すのは、仙崎のような変わり者くらいだ。


「死んだ人間とまで仲良くする必要ないだろ?」

 

 僕はつい口にした。仙崎は本当に変わっている。クラスで浮いているような残念な人間と積極的に関わるかと思いきや、死んだ人間にまで世話を焼くのだ。もはや、変人だろ。


「そうかもね」


 あっさり仙崎は答えた。ツッコミを入れたくなるくらいあっさりだったが、仙崎の表情が神妙だったので、良しとしない。


「けど、カッキーには世話になったからね」


 いや。世話になっているのは僕なんだが。それとも追試でカンニングの幇助をしたことが、あったはず。それを、今でも恩に思っているのか。


「忘れているみたいだけど、生前のカッキーはすごくいい人だったよ」


 そうなんだ。と僕は心中で呟いた。なんせ実感がないので、口にすることは憚れる。それとも僕は、仙崎との出会いで心変わりをしたのかも知れない。少なからず仙崎から、いい人と評価されるくらいには。


「そう言えばカッキーはなんであの教室にいたの?」


「噂を聞いたからだよ」


 薄々感じていたことだが、僕は夜の学校でしか顕在化することができないようだ。昼の間は、存在があやふやで意識が薄弱としている。全く意識がないわけではないので、何となくではあるが、生徒の話や噂話を認識できたりする。


「いつから記憶があるの?」


「死後の話なら、多分最近だと思う」


 意識が明確になったのは、おそらく最近の話だろう。


「なんだか曖昧な事が多いね」


「そうだな」


 僕の死についても仙崎には聞いた。仙崎は嫌悪感を露わにしながらも、「高二の夏頃に亡くなった」と話してくれた。遺体は見つからないなど、不審な点が多いらしい。まあ、霊的、魔力的なことが起因していることは、明白だな。


「もしかしたら呪縛霊になったのと関係あるのかもね」



 話の流れで仙崎に術式を教えることになった。仙崎は深夜になると魔力の操作を練習するようにしているらしいが、上手くはいっていないようだったので、僕はつい助言してしまった。失言だったと思っている。仙崎が魔力に目覚めたのも半年前らしく、操作がおぼつかなくて困っていたようだ。魔女に従事しつつ教えを乞うているようだが、僕の一件もあってしばらく会ってないことも、成長の妨げになっていると、思うと面目ない。


教えて行くと仙崎には魔術師としての素質があるように思えた。感覚でやっていることを説明するのは難しいし、表現は人ぞれぞれだ。仙崎は僕の言葉の意図を理解して、形にしていく。天才かと素直に思った。僕なんか術式を覚えるのに時間が掛かり過ぎて、「君は、あれだね。才能がないね」と太鼓判を押されたくらいだ。


自信がついた仙崎は、術式を教えて欲しいと要求が増えた。なんでも、生前の僕が使っていた術式が以前から気になっていたらしい。


「ちょっと待てよ仙崎。生前の僕は仙崎の前で術式を使ったのか?」


「え‥‥使ったことはあるよ」


 それは聞いてないな。もしかして僕が仙崎を裏の世界に招き入れたのか。人知れず存在する世界は魔法だろうが、霊的だろうが、任侠だろうか、夜の世界だろうが、知らないに越したことはない。


「勘違いしないでね。カッキーは私に関わらないように注意してから。寧ろ私が強引に巻き込んだくらいだから」と仙崎は言ってくれたが、それはそれで困惑する。


 仙崎は魔女の弟子ではあるが、魔法や魔術、術式の概念はなかった。そもそも魔法は魔力を使い森羅万象あらゆるものを自在に操る、もしくは創造するものである。しかし、魔力を自在に操ると言うのは、一部の才能ある者しか扱うことはできないとされる。 


 魔法を行使するには、魔力を知覚する、魔力に干渉をすることが重要だからだ。古代には魔力を知覚して自在に操る事ができる者が多くいたようだ。しかし、世代交代を繰り返して行くと、魔力を知覚できても魔力に干渉できる者が極端に減少した。古代から受け継がれた魔法が廃れることを恐れた魔法使いは、干渉する方法を模索するようになる。


 そうして生まれたのが、詠唱や魔法陣によって発動する魔術だ。魔術は魔法と比較すると自由度は低かったが、総魔力量が伴っていれば誰もが、擬似的な魔法を扱えるようになった。魔術が発展すると、より簡単に、より最速で、使い勝手のいい魔術が求められるようになっていく。現代になれば、魔力を込めるだけで魔術を発動する術式が広まった。術式はあらかじめ魔法陣を組み込んで置き、魔力を込めるだけで発動させる事ができる。媒体は武器だったり、肉体、魔力そのものだったりと、幅広く流用することができ、魔法のように無詠唱で発動させるなど、利点が多かった。


 僕の術式は義手に組み込まれた魔法陣によって、発動させる事ができる。主に結果術、封印術だ。まあ、これは生前の話であって、現在の僕は霊体なので、違う理由で術を発動させているのだろう。全て憶測ではあるが。


「これは何?」


如何わしそうに仙崎は言った。怪訝にするのはわかる。なんせ、僕が手にしているのはA4サイズの紙なのだがら、気持ちはわかる。


「こいつに魔法陣を描くんだよ」と僕は、多分ルーン文字とか、フランス語とか、英語とか、よくわからない言語を扱って描いてくのだが、丸暗記なので自分でも、よくわからない。


「それでどうするの?」


「描き終えたら魔力を流して発動させるだけだけど。それ、やってみい」


 仙崎はこれまで内包する魔力を操作する練習をしてきたようなので、容易に発動はできると思う。


「わかった」


 僕の指示通りに仙崎は、魔法陣の中央に手にひらを置く。ちなみに僕が描いたのは結界術である。初級の結界術なので紙に書いた簡単な魔法陣でも、発動はできるはずだ。仙崎が魔力を流すと強い光が教室を灯した。僕が使うと紫色みたいな光を放つのだが、仙崎のは光そのものって感じだ。太陽の光を彷彿させた。


「‥‥ダメだったね」


 結論から言うと失敗だった。僕が魔法陣を描き間違えたのかも知れないので、今度は丁寧に細心の注意を払って描いたものを仙崎に渡した。これもダメだった。


「もしかして、私って才能ない感じ?」


「それは早計だと思うけど」


「そうなの?」


 残念そうな顔が綻んだ。


「うん。元々僕には魔術適性はなかったし、呪いみたいな感じで今までやってきたから、仙崎は僕と違って自前で魔力持ってるから」


「え!? カッキーは自前で持ってないの?」


「そうだね。最初は刀の魔力を使ってたからね」


 今は、と聞かれると困る。今は仙崎に話す必要はないだろう。


「なるほど。術式的な感じだね」


「少し違うけど、まあ、そうだと思う」


 その後も仙崎は幾度も挑戦したが上手くはいかなかった。一度だけ盾のような結界が一瞬だけ現れたが、本当に一瞬だけで刹那に消失した。魔力量が過多になっているのではと、仙崎にアドバイスしてみたが、それでも上手くはいかなかった。ただ回数を重ねるのではなく、毎回のように試行錯誤を繰り返したが、全くもって見当違いであった。代りに魔法陣を描くのは上達した。僕の話だけど。仙崎にはとりあえず自分で魔法陣を描くように促しといた。僕が知る限りの結果を話すと、仙崎は結界術を習得することはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る