終幕

 頭の中にもう一人の自分がいるなら、それは理想とする自分だろう。現実よりも筋肉質で、頭脳明晰、クラスの人気者で、みんなから慕われる。時には陰湿ないじめをする悪の親玉を、みんなの前で嘲り弱者を助けて、クラスの格差を失くすように努めた。クラスの大半の女から好意を持たれて、女性が自分を巡って喧嘩をすることもある。休日は友達や彼女との予定でいっぱいで、充実した毎日を送っていけた。将来は有望で、難関大学に合格圏内、進学せずに事業を始めれば若い実業家として脚光を浴びる、芸能界に進出することもできる、選択肢はいくらでもあった。プロスポーツ選手になる可能性も秘めていたし、宇宙飛行士にもなれた。頭の中での自分は、ライトノベルの主人公のように、可能性は無限大で、どんな欲望も形にすることができる。誰もがそうだろう。現実とは遠い自分を夢想する。思春期なら尚更だ。だけど、聡明な人間なら頭の中の世界が馬鹿げていることに気付く。理想と現実のギャップ。最も残酷な世界は頭の中にある。

 

 僕は頭の中の自分を現実にすることができる。絶対、最強の鬼と、校内の悪魔が偶然混じり合ったことで、生まれた僕は、世界をどうにでも書き換えることができた。僕が願えば世界から花が消えるし、人も消すこともできる。さすがに人を消そうなんて、サイコパス的な隔たる考えを持ったことはない。僕はそこまで奢ってない。ただ、世界を思うように塗り替えたことはある。条件は勿論あるが、大抵のことは塗り替えることが可能なのだ。僕は神に近い存在に近い。これは否定することは難しいのかも知れない。



 世界を灰色に染めた。白と黒だけの工場地帯。建物には、常に粒子が立ち込めている。黒と白の粒子は煙のような動きをして、空に向かって、やがて消える。かろうじて、残った校内が、ここが本来の世界では学校であったと思わせる。僕が両断した校舎のことだ。少しやり過ぎたと思うが、世界の命運に関わるなら仕方ないことだろう。許してくれ。まあ、誰に許しを得ればいいかわからないが。とりあえず神様、ごめんなさい。元同級生の皆さまごめんなさい。建築に携わった全ての皆さまごめんなさい。切りがないからやめます。そろそろ許してくれると思う。


 マンションのような建物や、球体の建物、クレーン 屯がった棒はいくつも天に向かっていて、森のようだ。どんなに車道を歩いても、風景は変わらない。時間感覚だけが狂っていく。夢想して顕在化させたのは僕だが、亜空間に一人で取り残されるのは、艱苦である。孤独には慣れているつもりだった。生まれて瞬間から、ずっと一人だったからだ。孤独に耐えられたのは、柿原翔太の記憶に救われたからだろう。


 一時間くらい歩いても、領域の外には出られる気配はない。これは成功と言える。学校と言う限られた空間に、別の空間を重ねられた。この世界は僕が想像した、僕だけの領域だ。こう言う技を固有領域とか言うらしいが、現存する術者の領域とは少し違うだろう。主にスケールと言う部分でだ。この領域の発動で部外者を完全に外に追いやることにも成功した。邪魔するものはいない。例え世界的に有名な魔女でも、何世代に渡って力の継承を続けている人形師でも、僕の世界に介入することはできない。管理者である僕の了承を得なければ、例え神であっても干渉することは叶わないだろう。それだけ多大な力を有する。改めて世界に悪い影響を与える意味がわかってきた。僕はその気になれば世界を変えられるのだ。


 否。領域の一部が暗くて、空気も重い。足元には数十体の死体が、助けを求めるように、もしくはうなされるように、蝋人形のように置かれていた。えずいた。湧き上がる感情は、過去の物であった。冬至ナオに対する負の感情、罪の意識が、記憶と共に頭の中を駆け巡る。コントロールできない意識が領域に現れたのだろう。これは、あまりいい傾向でない。領域の一部にトラウマが転写されているのなら、成功確率が大幅に下がったと言える。





 数々の屍を超えて探し物を見つけた。同い年くらいの女性。平均よりは小柄であっても、持ち前の明朗快活な性格で大きく見えるあの女性。トレードマークでもあった金髪は、今では黒髪で落ち着いている。誰かを待つように、俯いていた彼女は、僕を認めた。


「よう、仙崎」


 仙崎は驚いた顔をしてから、微笑んだ。


「カッキー、遅いよ」


「待たせて悪かったな」


「女性を待たせるなんて、酷いよ。なってない。いつもそうだよね」


「だからごめんって」


「デートした時のこと覚えてる? あの時も最寄の駅でカッキーに待たされたんだよね」


「そうだったけ」


 定かでないが、確か秋頃だったか。校内の悪魔から解放されてしばらく経った秋の夕方だ。仙崎が唐突に秋物の服が買いたい。「付き合え」と日曜日の午前中から会ったんだ。いきなり「付き合え」と言われて心臓が高鳴ったのは、とても覚えている。心臓が取れると思った。約束の前夜に少々のトラブルに直面して、かなり焦ったのは覚えている。電車を乗り継いで、走って約束の場所向かった。スタイルの良さが際立つタイトな服装で仙崎は、ベンチに腰掛けていた。あの時も仙崎は開口一番に「遅いよ」と柔和な様子で言ったんだ。電車で都市部に向かうと、駅前の大型店舗でショッピングがはじまった。おしゃれな雑貨屋や、独特な個性のある服屋、など仙崎とならどこの店でも、新しい発見を見つけることができて楽しかった。


「楽しかったよね。そう言えば下着を選んでもらった気がする」


「あーそうだった。なんで僕に選ばせるんだって思った。今思うと、ただの嫌がらせだ」


 仙崎は僕を連れて下着売り場に特攻したんだ。僕は着いていくか迷ったけど手を引かれたから、そのまま一緒に行った。手を振り解けば良かったんだろうけど、僕も男だ。少しは興味があったから、強く拒むことはなかった。いかんせん僕の不甲斐ない一面だ。


「それでカッキー、ピンクの下着がいいって」と仙崎はとても嫌な破顔を晒した。グフフって感じだ。


「いいだろ別に。仙崎が選ばせたんじゃないか」


「そうだったけ?」


「それに結局は、水色を選んだ」


 あの時の悔しさは鮮明に覚えている。屈辱的あり、一生涯の恥だ。僕は決して男心を貶されたことは忘れないだろう。来世まで持っていくつもりだ。


「そんなことまで覚えてるんだ」


 仙崎はわざとらしく口を開けて、目を大きく広げた。


「なんなんだよ藪から棒に」 


「その後はお昼にハンバーグ食べたよね! 肉汁がじわじわ溢れて、美味しかった」


「そうだったな」


 アメリカンテイストの肉料理専門店みたいな店で、ハンバーグの匂いに釣られて僕が入店を促したんだ。匂いだけはなく味も最高だった。肉汁の多さに衝撃を受けてしまい。あの日、本当のハンバーグと出会ったと、僕は感動した。


 なんやかんや楽しいショッピングだったが最後に立ち寄ったお店は、悪質な魔術師が経営する道具屋でかなりの時間を割いてしまった。「注文の多い料理店」のようなハードな要求が続く、客に対してぞんざいな店だったのだ。珍しく怒り狂った僕が、店主を引っ張り出して、懲らしめたのはいい思い出だ。少しやり過ぎたかも知れないが、許されるだろう。問題は終電を逃したことで、仙崎の家に泊まったことだ。無駄に緊張して寝れなかった。


 しばらく僕らは話をせずに歩いた。味気ない風景は変わりないが、僕の前を仙崎が歩くだけで変わるものがある。

 

「ねえ、カッキー」


「どうしたよ」


「私はもっと一緒にいれるものだって思ってた。高校を卒業した後も、色んな思い出が作れるって」


 記憶はない。最後まで思い出せなかった可能性もあるが、僕が仙崎と過ごした時間があまりにも短い。相思相愛となり恋人同士になった時期は、さらに短いだろう。多分、恋人らしいことはせずに、僕らは離ればなれになった。仙崎は続けた。


「ねぇ、いつでも一緒にいられる方法を探そうよ。きっといい方法があるはず」


 仙崎は興奮気味に言った。不安を爆発してアドレナリンが放出しているようだった。反比例して、僕の心を静かに整えて答えた。


「ごめんな。僕は一人で生きていくしかないんだ」


「変なこと言って……ごめん」


 意思消沈する仙崎を見て僕も、悲しくなった。


「別に構わないよ」


「この世界って、綺麗だよね」

 

 仙崎は足を止めて振り返った。


「そうか? 工場だよ」


「工場夜景って綺麗じゃない? 強い光が反射して、その光が水面に映ったなら尚更綺麗に見える」


 そう言われると、世界に光が生まれて彩りを得た。白黒の世界に燦然と輝く光が、建物を照らして、自己主張をはじめる。僕らの周囲にも、蛍のような小さな光が集った。


「ほら綺麗じゃん。カッキーの世界はやっぱり綺麗だよね」


「そうか?」


 間違いなく僕は仙崎に誘導されたと思う。


「ここってカッキーの領域なんでしょ?」


「そう、この亜空間を成立させるには魔力を最大限にまで押し上げる必要があったんだ。あいにく自力で最大限まで魔力を向上させることは最後までできなかった。時間はギリギリまでくれたけど、間に合わなかったよ」


「頑張ったなら偉いよ」


「けど、たくさんの命を奪ったことは事実だ。褒められたことじゃない」


「しょうがないよ。みんな死を覚悟していたから。ワタルなんて条件を付けてでも魔装を装備してたよ。覚悟の強さに何も言えなかったけど。ただ、賞金稼ぎの集団は残念だったと思う。あの人達って評判はあまり良くなかったけど、騙されて亡くなったと思うと、やり過ぎ感は否めないよね」


「僕がもっと自分の力を使いこなせれたら、こんなことにはならなかった」


 冬至ワタルを含めた数十人の命を僕は奪った。他にも方法はあったかも知れない。誰も血を流さない可能な限り幸福な選択肢が。


「どうしてそんなに否定的なの? もっと自分を肯定するべきだよ。カッキーの悪い所だね。そう言う卑屈になるのところなんて良くない。謙遜しているとも言えるけど、時には相手を不快にするよ」


「生きる上で自己を肯定することは一番大事だと思うよ。時には自分勝手になって、自分を押し通す、周りを巻き込むことができないと、生きること辛くなるかもね。けど、それは生きている人間だけ持つ権利だと思う。僕は死んでるし、人間でもない化物だ」


「カッキーが化け物なら私は何なの?」


「なんだろう。難しい」


 言葉を選ぶ。彼女が傷つかない言葉はどれだろう。


「はっきり言ってもいいよ」


 彼女に促される。上手な嘘をつく方法を僕は知らない。


「君は、僕が想像した幻だ」

 

 孤独であった。狭い世界に取り残された僕は、孤独から彼女を作り出した。柿原翔太の記憶から、夢想して顕現させたのだろう。影を扱える段階に入ったばかりの僕は、影の操作が無熟であり無意識に魔力を分裂させて鬼を生んでいた。その鬼と毎晩のように戦い、精神的に追い詰められていた僕は阿呆だろう。そんな精神状態の中で、無意識に誕生したのが、仙崎カンナに酷似した影だ。校内の悪魔が仙崎に取り憑いていたから、僕が知らない記憶を持っていても合点がいく。


 僕はこう考える。仙崎は僕とは対極の存在なのではないか。誕生の経緯からも僕を抑制する力を持っていたのではないだろうか。『世界の意思』が本当に実在するなら、影から生まれた仙崎を利用する手はないと思う。勝率は格段に上がる。仙崎が僕を見た。


「そっか。カッキーはなんでもできるんだね」


「ショックか?」


「別に、大丈夫だよ。寧ろ嬉しい。これからもカッキーと一緒にいれると思えば最高だね」


「妙なポジティブだな」


「ポジティブはいいことだよ。あらゆる不安から解放されて、選択肢も増えるから人生を豊にする。否定ばかりでは可能性を潰すだけ、自分が生きづらくなるだけだよ。カッキーに足りないことね」


 余計なお世話だよ、と僕は思う。仙崎は続ける。


「だから私が生まれたのかも。お互いを監視することが本来の目的かも知れないけど、カッキーの背中を押してあげる役割も私の仕事でしょ?」


「そうなのか? 僕の意識は介入してないからよくわからないよ。全ては無意識だから」


 仙崎の姿が少しずつ風景と一体化を初めていく。僕は仙崎の色彩の薄い手を握った。花を摘むように優しくだ。仙崎が握り返してくれるのが嬉しかった。この時間がいつまでも続いて欲しいと思う。


「同じ世界に行けるはずだよ」


 世界が崩壊をはじめた。やがて仙崎が消えて、世界が崩壊する頃には、僕の姿も、意識も遠いものになっていった。


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