臨界

 魔装グングニルと言うらしい。ワタルが扱う魔力を槍の形にして射撃する武器のことだ。北欧神話の主神オーディンが持っていたとされる神器グングニルをモチーフにしてジャン・クロード・ロマンが製作した魔装で、魔力に着用して使用する。魔力に着せるので、手ぶらだし、誰でも扱える魔術、つまりは術式の先駆けだ。前世代の武器になるので、魔力の消費が激しいなど弱点も多く、着用者の命を奪う可能性もある。それでも強力な魔術が扱えるようになれるのは、デメリットを帳消しにする。


 ただ相手が悪い。僕にはまるで意味のない愚策であった。魔槍を一本、一本は強力な一撃ではある。グラウンドにクレーターみたいな穴はできるし、接近戦で僕の斬撃に耐えられるだけでも、立派なものだ。あのワタルが僕とこれほど戦えるとは思っていなかった。確かにワタルは、実戦経験が少ないだけで、ポテンシャルは高い。魔力総量はその辺の術者よりも遥かに多い。いずれ生前の僕を超える可能性も秘めていると思う。


 それでも僕には届かない。魔装の槍を模範して黒槍を想像して形にする。噴射させて、魔装の槍を相殺していく。彼の驚きと絶望が混ざった表情は、なんとも言えない悲しい気持ちになった。本気の戦いで相手の得意分野を潰し、得意な戦法が通じないとなれば大半は戦意を失う。僕だって命を奪いたいわけでない。戦いは嫌いだ。命のやり取りなんて馬鹿げている。人間一人の価値を時間で表せるなら、100年くらいの価値はある。100年の重みを僕は背負えない。背負いたくない。


 ワタルは魔装と得意の術式を複合させた。ワタルが槍を片手に突進してくると、少し違うタイミングで、真横からも槍が接近してくる。別の位置に槍を召喚して飛ばしたのだろう。影に槍を打つけて、本体には本体が戦う。ワタルはグラウンドに無数の槍を召喚させて、次に次に発射させていく。僕から時間を奪うつもりだ。考える時間も、行動も制限させる。実際、僕は避けるので、精一杯だ。ここまで激しい攻勢は予想していなかった。だけど、持久戦で僕に勝てると思っているのだろうか。持久戦は僕が最も得意とする土俵である。形勢が逆転するのに時間はかからなかった。


「まだ動けるのか?」


「なぜ殺さない」


 魔力の大半を失ったワタルは虫の息だ。片腕を失い、片足は引きずっている。ただでさえ強力な一撃であり魔力の消費が激しいのに、いつまでも続くものではない。ワタルもそこまで馬鹿ではない。最初から玉砕覚悟で、僕に挑んでいたのだろう。終盤の動きは悪く、簡単に防げていた斬撃すら反応ができていなかった。仕舞いには槍の爆風で足を引きずってしまう。僕は避けただけで、何もしていない。ワタルの崩れように、僕は呆れたとも言える。しかし、「君の命に奪う価値はない」


 本心ではない。僕は彼の命を奪わなくてもいい理由を強引に見つけただけだ。


「あのハンター集団は容赦なく殺したじゃないか。殺せよ」


「気分だよ。君の気概に負けた」


 僕も玉砕覚悟で挑んだことがある。ワタルのように死を覚悟して、一度は死んだと思った。だからワタルの決死な形相に、気持ちが揺らぐ。どうしても、かつての僕と重ねて見てしまう。違うのは彼には台本があって、死ぬことが決定的なことだろうか。どう足掻いても覆せないシナリオに弄ばれている。僕なんてぬるい。可能性を広げるための最後の手段だった。


「お前を鬼にしなければならないんだ」


 言っている意味はわからなかった。だけど体は反応していた。ワタルの胸に刀を突き立ている。体は、魔力は、正直なようだ。ワタルの命は、彼の姉である冬至ナオと酷似した死に方だった。胸に剣、刺したのも僕。少し違ったのはワタルの腕が動いたことだ。鼓動は止まっているのに、ワタルは突き刺さった刀を掴むと、背負い投げをするように、僕を放り投げた。予想すらできない反攻に、僕は受け身すら取れなかった。


 叩きつけられると肺から空気が漏れた。僕は霊体なのに、変な感じだ。衝撃で体が地面に埋まる。今の格好はかなり滑稽だろう。ワタルの蹴りで、グラウンドの端まで飛んだ。体の節々が痛い。死後になってから、ここまで痛覚を刺激されるのは初めてかも知れない。皮肉にも感覚が研ぎ澄まされると、生きるていると実感することができる。特に命の危機が訪れてる瞬間、感情で飲まれるこの時こそが、最大の幸福ではないだろうか。死んでいる僕が言えば説得力も増す気がする。


「さあ、ここからが本番よ」


 安原だ。屋上で大袈裟に手を広げた彼女は、なんだか役者みたいだ。普段のしっとりとした声とが違う溌剌な声量で発すると、数十体の人形が忽然と登場した。


「さっきの奴ら」と僕は独り言を呟く。こいつらは僕が殺した術者の集団ではないか。彼らは僕を囲うと一斉に攻めてきた。人形になったことで、動きが二段階、個体によって三代階は素早い動きをしている。この地獄のような輪にワタルが混じると、僕は防戦一方になってしまった。影を駆使して手数を増やしても防戦が限界だ。破壊したと思えば、時間を巻き戻したかのように元に戻る。更にシロも参戦する。扱っている刀は違えど、僕が切り落とした腕が元に戻っている。こんな状況があっていいのか。こいつら無敵のゾンビ軍団じゃないか。恐怖でしかない。倒しても、倒してもキリがない。時間の無駄だ。魔力の根源を絶たなければ、いつでも戦いは終わらない。根源なんて探さなくても安原だろう。


 気は進まないが、やるしかない。僕は出鱈目に魔力を放出させた。現時点での魔力の最大放出。一瞬だけ台風が通り過ぎたかのような、風圧が辺りに起こった。相手を吹き飛ばすには少し弱いが、怯ませるには適している。一気に跳躍した僕は、放物線を描くように安原がいる屋上に向かう。体が止まった。何が起こったかわからない。体が空中で止まることがあるのか。腕を動かそうとすると、安原に止められた。


「ダメよ。動いたら」


「何をしたんだ」


「あなたは蜘蛛の巣に捕らえられた害虫よ」


「糸か」


 僕がまんまと網にかかったのか。無敵の人形軍団に僕を襲撃させて、選択肢を減らして行動を制限させる。安易に僕が特攻する心理状況になったら、魔力を縫った糸を張り巡らせた場所で、目立つ仕草で立てばいい。後は僕が勝手に好機だと勘違いして突っ込んでくる。僕は浅はかである。まんまとやられた。罠の可能性を考慮していなかった。


「ロマンに伝わる魔術の一つね。そこの人形も、あなたの体も全て糸で操ってるの」


 まさか人形の体をいくら切っても修復されるのも、糸によって繋がりによるものなのか。


「厄介だな」


「そうでしょ。私の魔力が尽きなければ、糸を断つことは難しい。現時点であなたではね」


 安原はそう言って微笑んだ。いつの日にか廊下で会った時と変わらない笑顔だった。彼女の中で、僕は最初から何の変化もないのかも知れない。


 強引に腕を動かすと、切り味のいい包丁で切られたかのように、ゆっくりと腕が落ちた。試しに魔力を放出させると、糸が魔力を感知してより強度を増す始末だ。これは詰んだ。


「私は注意したと思うけど?」


「試しにやっていただけだ」


「そうなの。あなたのチャレンジ精神は素晴らしいわね。称賛する」


「何だよ。馬鹿にしているのか」


「どうしてネガティヴに捉えるの? あなたは生前と何も変わらない。つまらない」


「当たり前だ。僕は柿原翔太が産んだ亡霊だからな」


「それがあなたの答えなのね」


 安原の問いに僕は頷く。僕は柿原翔太の心残りが産んだ魔力の残滓だ。かつて世界を救った英雄のその後の物語。一定の条件を満たしたことで、出現した隠し要素に過ぎない。


 僕は既に完成している。あらゆる制約を無視して、能力を最大限に扱える域にいる。不毛なやり取りは終わりだ。一段階。魔力を底上げした。体を横に回転させると、糸は簡単に切れた。そして飛ぶ斬撃を放つ。安原は糸を収束させて、目視で確認できる束を整形して防いだ。


「ふふ、やっぱりあなたはあの域に達したのね」


 安原は嬉々としている。その反応が恐怖で、更にもう一段階魔力を底上げした。


「まだまだ余裕みたいだな」


 魔力を一点に集中させる。多量なエネルギーが刀身に集い、黒い光の束が生まれる。この高出力を回転させて、電撃のような傍流を纏わせた。今にも爆発するかのように刀が暴れる。刀を両手で持っても、増大を続ける魔力の許容範囲は限界値に近い。


「ごめん」


 一気に解き放った特大の斬撃は校舎を両断しながら、周囲に衝撃を放つ。生身の人間なら木っ端微塵の一撃。巻き込まれた人形は全て機能を失った。直撃だった安原の姿は確認できない。もしかしたら殺したかも知れない。遺体を確認するまでは油断してはならない。彼女は世界でも選りすぐりの術者の一人だ。この程度で死ぬ可能性は低いと言える。


「謝るってことは、今の本気だったんだ」


 安原は何食わぬ顔をして僕の背後に現れた。黒を基調とした地味な格好で、動きやすさを重視していることは見てとれる。しかし、綺麗だ。綺麗とは安原の養子ではなく、服や肌が綺麗すぎることだ。僕が放った斬撃の規模からしても、全く汚れないことは難しいと思う。髪も風に靡いている。サラサラだ。どこのシャンプー使ってんだろう。つまり僕が言いたいことは、安原は余裕と言うことだ。


「残念だよ。僕は安原を全然本気させてないみたいだ」


「そんなことはないよ。あなたの一撃で私の分身体が跡形もなく消えたよ」


「さっきの人形だったのか」


「一体制作するのに、結構お金がかかるからやめて欲しい」


「やけにシュールだな」


「私は高いのよ。けど、想定の範囲内。あなたを倒すための台本は、もう出来上がってるから」

 

 強がりにも聞こえるが、安原の手数は多い。ジャン・クロード・ロマンは夢想の果てに、強力な武器の創作、優秀な人間を人形に作り替えて壊れるまで扱き使うことは、ここまでの戦いでよくわかった。


 次はどんな搦み手を使う気だろうか。僕も手数の多さなら負ける気はしないが、頭脳勝負となると途端に自信がなくなる。彼女がどこまで先を読んで戦えるのだろう。こればっかりは予想ができない。


 安原は右の人差し指をクイと二回動かす。人形が動くと思ったが、そうではなく僕の体が上と下で分かれた。糸で切断されたのだ。僕はもう一段階魔力を底上げする。そうしなければ、粉微塵にされると判断したからだ。体がより魔力の塊に近づく。そろそろ霊体と言われてもいいレベルだと思う。生半可な魔力の持ち主では僕の存在に気づくことすらできないだろう。別次元であると思ってくれればいい。


「もう、ただの化け物ね」


 安原が呟く。少しショックだった。だけど、理解した。僕は化け物なんだ。演じてようではないか。なにも人の姿に留まる必要はない。その方が面白いだろ。僕は世界を思いのままに変える力を持つ化け物なんだ。かろうじて人型ではあるが、既に僕は原型を留めて無い。一抹の不安を抱えながらも僕は、安原と対峙した。不安を昇華して、限界まで魔力を変質させる。それでも安原に手も足も出なかった。不思議なことだ。


 魔力総量で言えば僕が圧倒的である。体の至る所が、切り刻まれ、分裂する感覚があった。見えない恐怖。視界を360°に展開させても、安原が縫った魔力の糸は視認できない。それなら視点を増やすことにした。上から、下から、右から。左から、それでも見えない。五感の全てを総動員しても、安原の糸を感知することはできない。寧ろ五感を不要に増やしたことで、情報の整理ができていない。落ちつけ。深呼吸をしろ。まずは人の姿を取り戻そう。二つの手、二つの足、あと、何が足りないかわからない。人の姿って何だろう。安原の攻勢がさらに勢いを増すと、切断、激痛、回復の無限のサークルによって思考が停止していく。無限の魔力と言うもの考えようだ。苦しみから逃げ出せない。なすがままって感じだ。コンボ技の最後は上空からの一撃であった。空一体を明るく照らす火球は、アリスによる大魔術だ。どこかのタイミングで不意打ちを仕掛けてくると気を張っていたが、避けることは不可能だ。魔法による簡易的な太陽は、大きくなり過ぎた僕の体を燃やし尽くした。


 燃えることで、消滅していくものがある。人間らしい感情や、内臓の機能だったりと幅は広い。それでも僕の存在が完全に消滅することはできない。人間の皮が使えなくなり、怪物らしさが顕現したと言える。だから、やっと到達できる。たくさんの命をこの手で絶ってしまったが、全てはこの魔法を発動させるためだ。爆炎を飲み込むように、影を引き延ばす。校内から出られない制約は無視できないので、学校ごと呑み込んだ。僕は世界から学校を切り離して、新たな世界を夢想した。

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