第4章
序幕
世界が狭い。限れた世界で、無限の可能性を探さなくてならない。規則正しく並べられた机や椅子、木目が強調された床、長い廊下、広いグラウンドに体育館、なんとなく認識はできた。認識ができるだけで、僕の思考と世界は狭い。これ以上に思考を巡らせることは不可能であった。それが次第に変化を来して、ここが母校であると確信を持てた頃には、記憶を辿れるようになっていた。
僕は誰だろう。何日も動くことなく思案を続けていく。この時点では何も思い出せないし、自分が何者なのかすらわからない。犯罪者なのかも知れないし、誰かの生霊かも知れないし、フラれたショックで自殺した亡霊の可能性も捨てがたい。いや、これは省いても問題ない。
次第に肉体を得て、自由に動けるようになった。校内を探索していくと、少しだけ記憶がフラッシュバックする。僕はそんなに目立つタイプではなかった。友達はいなかったし、部活動に参加もしていなかった、責任がある役割なんて持っての他だ。そこまで学校を楽しんでなかったと言える。けど、大切な人がいたことはわかる。
その人は女性だ。カッキー。そうだ。僕は彼女にそう呼ばれていた。僕は柿原翔太だ。帰らなくてはならない。彼女に会わなければ現状は変わらない。彼女に伝えなくてはならないことがある。
僕は校門を出て、彼女を探そうとしたが、それは不可能であったと知る。結界のようなものに拒絶されて校門をくぐることができなかったのだ。フェンスだろうが、別の出入り口だろうが、僕は一切ここから出られない。絶望した。希望と言う希望を殴り潰されて、放り出された気分だ。それは無知な子供が、はじめて理不尽を押し付けたられたものに近い。世界は残酷で、優しいだけではない。それでも、僕はまた一歩進まなければならない。
●
僕の世界は狭かった。朝方になると意識は薄くなり、僕は眠りにつく。夜になると、再び使われてない教室の一角で目覚める。まるで、とある一日を何度もリセットされて繰り返す。そんな毎日が日常になっていく。一度だけ強引に校門を通った。結果から話すと僕は腕を失った。しかし、次の日には元に戻っていた。リセットされたのだ。前日に起こった失態が全て泡となって消えた。都合良いと思ったが、ここは僕にとって監獄であるとも思った。状況を冷静に飲み込めたのは、僕が生まれたばかりの大人だったからかも知れない。この日から僕は外に出ることを諦めた。別の方法を探そう。まずは女性について思い出す。名前も、容姿もわからない女性。実在するかもわからない女性の痕跡を辿ろう。無理な話であると思ったが、やることもないのでチャレンジするつもりになった。一人一人の机や椅子、荷物を確認していった。聞き覚えのある名前はないだろうか。手が止まった。当てもなく無作為に行動していても、効率が悪い。
三代欲求がないことに気付くと僕は項垂れた。現物を触れることができても、人間に在るべき欲求がないのなら、生きているとは言い難いのではないか。僕は何者なんだろう。知識欲から図書館に通うようになった。施錠されていたが、「開けゴマ」と念じると扉が開くのだから不思議なものだ。この学校の図書館は狭い。僕の世界と同じで、狭く在り来たりな本しか置いていなかった。時間だけはあったので、何冊か読んだ。僕と同じような状況に陥った話はないかと思ったが、思い当たる本はなかった。しかし、読んだことがあるような本を読むと頭がスッキリした気分になり、脳の体操には良かった。当てもなくさ迷う日々が続き、とある日に僕は襲われた。
立体的な影が、僕を取り込もうと襲ってきたのだ。僕は消えた。そして、次の日にはリセット。それが何回も何回も続く毎日。僕は奇声を上げて情緒を失ったこともあった。諦めたこともあった。「help」と大きな字で黒板に書いたこともあった。誰かに助けを求めたのだ。僕はここいる。誰か助けてくれって、必死なメッセージだったが、無駄であった。
自ら命を絶つ方法を探したこともあった。敵だらけの孤独から、発狂して影に自ら取り込まれたこともあった。何をやっても無駄であった。あらゆることに対して諦めがついた僕は、いつしか生存することに注力するようになり、自分が何者かなんてどうでもよくなっていた。この変化が僕にとって大きな吉日を迎えることになる。
今になって思えば僕は影と戦う術を求めるようになったことで、怪異としての地位をあげることになったのだ。僕は影を取り込むように進化していき、校内に潜んでいた邪悪な魔力と、柿原翔太が残した魔術の痕跡を自分の物にすることになった。
この頃になると僕は、生前の柿原翔太と同等の魔力を有するようになり、昼間でもぼんやりではあるが意識を保てるようになった。霊体であるが生徒間で流行っている怪異の喧伝を知るようになる。校内を隅々まで調べた僕は、この怪異の正体が僕なのではと疑うようになった。正確には僕と影の抗争に生徒が巻き込まれたのだろう。そこから僕は影を倒しながら、生徒を守るように動くようになる。僕は正義の味方だ。生徒達をそんな悠長なことを感じることはなかったようだが。
それで仙崎に出会った。探していた女性が仙崎であると、確信するのはもう少し先の話だ。
●
珍しく仙崎に招集された。場所は初めて会った教室。使われていない校舎の奥に位置する一室だ。前日に僕の元を訪れた仙崎は、「明日は、あの教室に来てよ」と言って帰宅した。何だかいつもよりも忙しい雰囲気であった。少し寂しいと思ったことは、仙崎には言えない。言うつもりもない。第三者に話すつもりは毛頭ない。
約束の11時には少し早いが教室にたどり着いたが、扉を開けることなく立ち止まる。違和感がある。教室に入らなくても、罠があることは明白であった。ここまでわかりやすい異質な魔力もどうかと思う。
それでも僕は先に進まなければならない。扉を開ける。以前と変わらない教室。一見変化はないように思えるが、僅かな魔力の残滓を感じた。僕は何食わぬ顔をして、教室の真ん中に立った。そして、爆ぜた。
●
光に包まれた。視界も、体も、精神も、僕の全てが爆発に巻きこまれた。それでも僕の体に焼ける感覚はなかった。当然だ。本来なら僕の体に実体なんてない。あるのは膨大な魔力だけだ。爆発に対して同等の魔力が自動噴出されて、肉体強度とデフォルトの魔力を嵩増した。
机や椅子は燃えて、飛び散った破片は凶器となって辺りを破壊している。半壊した教室は戦場を彷彿させた。無傷の僕は矛盾するように教室の真ん中で立っていた。僕だけが時間を巻き戻したようで、世界観が違う。
校舎の反対側から槍の造形をした魔力の塊が、僕を目掛けて向かってくる。また自動的に僕の魔力が形成されて、槍を取り込んだ。影のような僕の魔力は無尽蔵に魔力を取り込む性質を兼ね備えている。この戦術は悪手でしかない。ただ、第二陣の槍が僕でなく校舎を破壊したことには、驚嘆の声をあげた。
崩れ落ちる瓦礫に埋もれた僕は、このまま死ぬのではないかと思考を停止させて、流れるままに落下を受け入れた。まあ、予想通り死ぬことはなかった。影を爆発させて瓦礫を飛ばすと、周囲の状況を確認する。既に武器を片手に持つ術者に囲まれていた。数は20人くらい。鈍器や銃器を持つ者もいる。
「もし命を落とす覚悟がないなら今すぐ立ち去れ。戦意がない者に害を与えるつもりは僕にはない」
「こいつ、何を言ってんだ」
リーダー的な存在らしい中年の男が、仲間に問う。
「状況がわかっていないようだ」
「中二病じゃないか」と誰かが嘲る。すると爆笑した。どうやら僕は格下の雑魚だと思われているらしい。実際、現段階では僕は彼らよりも弱いのだろうけど、だとした彼らは僕の特性を聞かされていないのではないか。そうなって来ると、手を出せなくなる。しかし、いい大人が寄ってたかって男子高校生を小馬鹿にしている状況も、よろしくない。僕はまだ子供だ。
「おい、中坊の浮遊霊。あまり調子をこくなよ」
「俺たちだってお前のようなガキを殺りたくないんだ。だけどどいう訳かお前には多額の賞金が出てる。やらざるを得ない」
賞金ハンター的な組織が業界にいるとは聞いたことがある。確かあまり評判がよくない連中で、敵が多いとか。柄の悪さから察するに彼らが、評判の悪い賞金ハンターなのかも知れない。誰が用意した駒かは知らないが、それならまだ殺りやすい。肩の筋肉が緩和するのを感じた。
「わかった。君達がヤる気になら僕も相応の対応をするよ。いいね?」
僕の態度が面白くないようで、ボスらしい男のおでこの血管が太く逞しくなる。ボスからそれなりの魔力が解き放たれる。それが合図だった。後方にいた術師が魔法陣を描くと、一斉に魔術を放つ。先刻の槍のように魔力をそのまま具象化したような球体だ。その全てを影で取り込んだ。大柄のスキンヘッドの男が巨大なハンマーを形成させると、愚直にも真正面から僕に突撃してきた。高く跳躍して、僕の脳天を狙ってくる。あまりにも単純な動きに僕は苦笑してしまった。影で巨人の拳をイメージして、ハンマーごと殴り飛ばした。まずは一人か。
術者たちから緊迫した空気を漂う。側から見ても彼らは、恐怖に怯えてる。今にも逃げ出したい。顔に書いてある。それでも彼らは、僕に立ち向かってきた。数人が超接近戦を仕掛けてくる。僕は、魔力を凝縮させて成形した黒刀で応戦した。腕に自慢があったのだろうけど、影を自在に扱える僕には意味のないことだ。鍔迫り合いとか、互角に戦っている雰囲気を演じる。その間に僕は、緻密な影の操作によって、術者一人一人を串刺しにした。かつてルーマニアを守った君主のように、遺体を串刺しにして、遺体を晒す。仲間がまだ潜んでいるなら、脅しにはなるだろう。上手く行けば敵意を失うかも知れない。降伏してくれても構わない。誰も動く様子はないので影を収納した。宙に浮いていた遺体は、地面に同着した。
魔力を感知する。刀を持っていた腕が落ちた。シロだ。以前より遥かに速い。高速で繰り出される連撃に、僕はなる術もなく後退する。影を鋭利にして攻撃するが、シロからしたら障害物競走レベルのようで、瞬く間に距離を詰められてた。振り落とされる刀。影を身に纏い肉体を現時点での限界硬度を再現する。それでもシロの本気の一撃で、校舎のコンクリートをぶち壊して、グラウンドまで飛ばされた。痛いなんてものではない。高速でありながら、一撃が重い。安原が以前に言っていたシロのリミッターを外したのだろう。厄介だ。
「そんなに強かったんだな」
「元になった体が強いからな」
シロは面をしているので表情は窺えない。僕の顔はおそらくニヤけている。素体が同じなのは僕と一緒だ。体はシロ、精神は僕。みたいなものなので僕が褒められた気がした。本当に褒められているのは僕らの素体である柿原翔太だ。シロは生前の柿原翔太を彷彿させる高速の動きで、突きを繰り出す。僕はその一撃を受け止めて、影で攻撃。互いの斬撃の応酬によって、グラウンドに轍のように斬撃の跡が残っていく。僕の出力はシロと同等、もしくはそれ以上に達した。達してしまった。シロは両腕を失い膝をついていた。やったのは僕だ。シロの動きには一貫性がある。所詮は人形であり、紛い物、プログラムされた動きが再現できないのだろう。慣れると圧倒するのは難しくない。シロは戦意を失ったように俯いたままだ。
「シロ……君の負けだ」
「負けはない。あるのは生きるか死ぬかだ」
生前の僕が絶対に言わない言葉だ。やはり肉体は柿原翔太でも、中身は全く別物と考え方が良さそうだ。僕は地面に突き刺さった妖刀「弥助」を回収した。久しぶりに手に持つかつての相棒は、記憶よりも軽い。手に持った瞬間に妖刀の記憶が流れてくる。これは僕が妖刀「弥助」に認められた証拠だ。影のみで制作した黒刀を分散させて、弥助に纏わせた。実体を持つ刀に影を纏わせるのは初めてだったが、上手くいくものだ。刀身から細部に渡り全てが漆黒で、月光が怪しげな雰囲気を強めた。最強の黒刀が誕生した瞬間だ。不意に接近する危険に反応する。
「その槍。お前だったのか」
魔力を凝縮して模った槍を撃ち落として、前方に視線を送ると冬至ワタルがいた。片手に魔槍を持ったワタルは、新たに魔槍を生成して僕と向かい合う。
「これでも全く歯が立たないとはな。お前は何をすれば死ぬんだよ」
「それは僕が知りたいよ」
自決は何度も試みた。何をやっても不可能なんだ。自分で首を締めようが、校内の鬼に食われようが、僕は生半可な力では倒せないし消滅することはできない。僕は最強の鬼なんだ。鬼の神である鬼神。神の域に達した僕を倒せるのは、同じ神の域に達した者、もしくは神に対して絶対的な有利を保てる特異な者だけだ。今回は都合良く仙崎カンナと言う切り札がある。僕は魔力をもう一段階引き上げた。
「来いワタル。僕を本気にしてみろ」
これが最後の戦いになることを願って、刀を握り直した。
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