吐露

 時間の経過とは虚しいもので、理性こそは保たれていたが、僕の力は着実に増していた。例えばデフォルトでの魔力総量が上がり、魔力の自由度も生前の限界値と遜色はない。夜にしか目覚めなかった意識も、夕方には顕現させることもできるようになった。時間を持て余す時間ができたことを喜んでいいのかはわからないが、久しぶりに見た夕陽に感動した。隣には仙崎がいて、その横顔に見惚れてしまったのは内緒だ。仙崎は気づいていたと思うが、別に構わない。今更、隠すようなことでないだろう。なんて思っていると仙崎はやはり気付いていた。


「どうしたの?」


 仙崎は落ち着かないと言わんばかりの態度であった。


「いや、何も」


「そ、そうなんだ」と残念そうにした仙崎は、視線を夕陽に戻した。屋上で夕陽を観賞する仙崎。風で髪が靡くと、映画のワンシーンみたいだ。僕が仙崎を美しく思ったり好意を抱くのは、僕達が過去に付き合っていたからなのだろう。僕に記憶はないが、仙崎が言うからには間違いないだろう。生前の僕は何とも羨ましい奴だ。どうしてこんなに可愛い彼女を置いて、死んでしまったんだ。本当によくわからない。僕ならどんな手段を使ってでも、彼女を幸せにする。死を選ぶことはない。


「僕達は上手くいっていたのか?」


「気になるの?」


「そりゃあ、多少は」


 人の恋路ってめっちゃ気になるだろ? 思春期なんて特にそうだ。男女の関係性がどこまで発展したのかで、マウントを取り合い、常に恋と欲で頭がいっぱい。自分のがどれほどの青春を送っていたかなんて、興味を持つに決まっている。


「ナイショ」


 だそうです。


「変な質問されても答えられないよ」


「何だよ今さらじゃん」


 想起するのは仙崎の裸だ。全てではない。半裸だ。死後になってから久しぶりの邂逅と言うべきなのだろうか。


「今、エッチな事を考えたでしょう」


「考えてない」


 少し過ぎった事は事実だが、卑猥な意味ではない。僕は誰に言い訳をしている。


「正直に言うと、死後に初めて会った時の事を思い出した」


「やっぱりエッチな事を」と仙崎は僕をポンポン叩いてきた。


「違うよ。あの時の仙崎が泣いていたことを思い出したんだ」

 

 仙崎はあの時泣いていた。僕を捉えると酷く目を見開いて目頭に滴を溜めたのだ。僕は何て声をかけようか思考を限界まで回転させたが、真っ白になっていくのを覚えている。嫌な話だ。あたふたしていると、ジャーマンツープレックスを決められて気絶したのも、なかなか酷な話であった。


「もう会えないと思ってた人にまた会えたんだから、泣くでしょ」


「そう言うものか? 僕のことを怪異だって聞いていたんじゃ?」


「聞いてたよ。ただし柿原翔太の姿をした最悪の怪異だって」

 

 誰が言ったのかわからないが、間違ってない。むしろ限りなく正解に近い。いや百点の表現かも。


「思ってたよりも飄々したカッキーだったからビックリしたよ」


「生前のまんまの偏屈者だっただろ?」


「それはなんとも言えないけど、概ねそうなのかもね」


「概ねね」


 肌寒くなってきたので、室内に戻るように促した。僕が階段を降りると仙崎もついてきたが、やがて立ち止まった。


「私ね。カッキーが死んだのは私のせいだってずっと思ってたの」


 仙崎はいつになく真剣な眼差しだ。僕は戸惑ったが、話を聞いてみようと思った。過去を知るのは怖い。それでも一度は過去を振り返って、真実と向かい合う必要がある。僕も仙崎も、一歩下がって、二歩、最低でも一歩半は進まなくてはならないのだ。


「僕に詳しく聞かせてくれないか?」


 仙崎は語った。僕に欠けた記憶。仙崎と僕だけの記憶の断片。



● 


 かつての仙崎カンナは派手な金髪であった。中学生の頃から髪を染めてはしたが、高校に進学するにあたって金髪にした。深い意味はない。ただの験担ぎであり、心機一転。新しい学舎を楽しく過ごせればと思ったそうだが、現実はそう上手くはいかなかった。入学した当初は髪の色もあり、白い目で見られて、男子からも好奇な目で見られたらしい。これに関しては男子同級生である僕からすると、それはいい意味だと思う。ともかく仙崎は悪目立ちをすることになり、先輩にも目をつけられた。放課後に呼べ出しを喰らったのは、いい思い出だそうだ。


 そんな感じで仙崎には友達がいなかった。最も良くないエピソードを挙げるなら、クラスメイトの男子と喧嘩して、股間を殴り潰したことだろう。些細なやり取りから始まった喧嘩だったらしいが、仙崎は本格的に忌み嫌われて、クラスメイトからも距離を置かれた。つまり、学校での居場所がなくなった。仙崎が言うには、この頃の僕は、クラスの隅の方でいつもあくびをして眠そうにしているか、寝ていたそうだ。欲求に忠実な素直な青年ってとこだろう。


 仙崎の高校生活に変化が訪れたのは、六月くらい。怪異に出会った。僕らが通う学校は立地や建築の兼ね合いもあって悪い物が溜まりやすい性質がある。溜まりに溜まった負の感情は強力な力を持った怪異に変貌して、負の感情との共存率が極めて高かった当時の仙崎に接触を試みたのだ。環境を変えたい意思が強かった仙崎は、怪異の口車に黙れて契約を交わすことになる。怪異は言った。校内に限りであるが、全ての願いが現実になる。君は世界の中心になれる。最初は夢かと思ったそうだ。しかし、口頭で願ったことが、次々と現実になっていくことを目の当たりにしていると信じる他なかった。


 仙崎は怪異の力を使い、これまでの学校生活を一新させることにした、同時に、現実にすることができる限界値を試した。結果から言うと上限はなかった。険悪な仲であったAとBを仲良くする。破局した友人を慰める。これぐらいは想定の範囲であったが、野球部のエースの怪我を治す、破局したカップルを復縁させる。テストの結果を操作するなど、ついには人の記憶を消すことまで可能にした時、仙崎は恐れた。口頭で述べただけなのに、全てを塗り替える事ができる。不用意に言葉を発しただけで、人を傷つけるかも知れない。仙崎が何より恐れたのが、世界を塗り替えることを躊躇なく行えるようになりつつある自身の傲慢さであった。一度でも旨味を知れば、中毒性がありそうなものだが、仙崎が賢明だったようだ。なるべく力を使わないように心掛けるようになったと言う。


 不用意な発言を恐れながら学校を生活を送っていると、一人。一人だけ違和感のある人物がいた。何も変わらないクラスメイトがいたのだ。仙崎がクラスを言葉によって変化を与えても、常に教室の端で眠そうにしている男子生徒。どんなに世界線を改築しようが、やはり変化はなかった。仙崎はその男子生徒について調べるが、満足に情報を得ることができない。これは不自然だ。仙崎は以前にクラスの蟠りを省いて、みんなが平等に仲良くなるように、世界を塗り替えたことがある。だから誰も男子生徒についてよくわからない。なんて事はあり得ないのだ。


 仙崎は自身が動くしかないと思った。その男子生徒こそが柿原翔太、つまり僕だったりする。校内に限り仙崎は神にも等しい存在である。それでも柿原翔太は悪態をつき、暴言を吐いた。今になって思えば、絶鬼の力によって外部から魔力の影響を受け付けなかったのかも知れない。唯一の天敵に成りゆる存在だった。


 仙崎は僕と話すようになり、仲を深めていった。一緒に下校したり、追試を受けたり、昼食を共にしたり、僕の家にも遊びに来たこともあるらしい。そんな中で、僕が魔力を扱うことができて、校内の怪異について調べていることを知ったそうだ。助けを求めようと仙崎は僕に事実を話すことを決意すると、校内の怪異が目の前に現れた。二度目の出会い。一度目と違うのは、怪異は自身を『悪魔』と名乗った。悪魔は私の契約を破棄すれば、全生徒の命は保証できない。柿原翔太を殺せ。悪魔の力は既に証明されている。殺す事は簡単なんだろう。従うしかなかった。不本意ではあるが、仙崎は僕を倒すように言霊の力を使うようになった。


 悪魔と鬼、つまりは仙崎と僕は対立するようになった。しかしだ。僕は仮にも史上最悪の鬼である絶鬼を過去に倒した経緯を持つ猛者だったりする。簡易的な封印術も扱えるし、妖刀『弥助』による戦闘技術の模範も可能。左腕は魔力を帯びた義手、何よりも絶鬼の力も条件付きで扱うこともできる。そう容易く倒せるような人物ではなかった。寧ろその辺の術者よりも、遥かに強い。仙崎は焦った。どんな手段を使っても倒すことができない。ついに仙崎は自身を大幅に強化することで、僕と対峙することを決意した。なんだかんだの経緯を省いて、僕は仙崎に「死ね」と言われた。


 これが大きな問題だったりする。悪魔の力である「言霊」は魔術の詠唱と同じようなものではあるが、魔法に近い。と言うよりは魔法以上の力であると断言してもいい。鬼神となった僕と同様に魔力によって大概のことを現実にすることができるのだ。校内に限った力ではあるが、僕はかなり苦戦を強いられたそうだ。

 

 悪魔は絶鬼の魔力を限界まで抽出した僕に敗北することになる。これで一件落着とはいかなかった。後遺症が残ったのだ。悪魔の悪あがきで魔力の残滓が残ることになり、生徒に訪れた変化は正常に戻らなかった。仙崎の都合の悪い状態でだ。当事者である仙崎本人は、悪魔によって変化する以前より辛辣な状況となり、クラスでの居場所がなくなった。それでも仙崎は前向きだった。髪の色を本来の黒髪に戻して、マザーテレサのような慈愛に満ちた精神を持ち続けることを誓ったらしい。つまり、クラスから省かれているが、困っている人は積極的に助けようと思った。特に怪異や魔力が絡んだものなら、必ず関与した。


 僕も完全に空気になったらしい。一人になった。クラスで浮いた存在ではなく、存在を認識されない影になったのだ。生徒からは無視され、教師には出席しているか疑われるようになった。生徒も教師も無視しているつもりがないのが、厄介な話である。出席しているのに授業を受けてない評価を受けるは、不公平であるが、どうしようもない。このような状況だからこそ、必然的に僕と仙崎が仲を深めることになったのは、唯一の幸いだ。そして、僕は一年後に亡くなった。


 ここからは安原が言っていた通りだろう。ジャン・クロード・ロマンの後継争いに巻き込まれた僕は、利害が一致した事で安原に協力して、事件の最後に命を落とすことになったのだろう。憶測だが。



一通り話を終えると仙崎は立ち尽くした。特に何も言わない。僕の言葉を待っている。


「そうか。大変だったな。よくがんばったと思うよ」


「それだけ? 怒ってないの?」


「起こるわけないだろ。僕の判断ミスだよ」


 僕は悪魔を倒す手段として取り込むことを選んだと推測できる。絶鬼の力を持ってしても、真っ正面から倒すことはできないと判断したのだろう。校内には僕が仕込んだと思われる封印術の痕跡もあった。それは大規模で、校内全域に影響与えるものだった。もしかしたら僕は、悪魔を取り込んで相殺するつもりだったのかもしれない。思惑通りはいかなかった結果として、悪魔の残滓が校内に残ったのだろう。


「私が関与していることに間違いはないでしょ」


 僕が何を言うと仙崎は納得しないだろう。僕は丁寧にゆっくり言葉を紡ぐ。


「なら仙崎はどうして僕と付き合おうと思ったんだ。まさか同情か?」


「そんなわけないじゃん。何度も命を救われたから気になるようになる」


 仙崎は胸襟を晒すように言う。


「カッキーは自分の命を顧みずにいつも誰かを救おうとしていたんだよ。尊敬できるし、好きになる。独り占めしたくなるよ」


「そう言うことだろ。僕も仙崎が好きだったんだよ。柄にもなく仙崎の前でカッコつけて、失敗した。死後になっても仙崎に対する気持ちが残っているのが何よりも証拠だよ。仙崎といると楽しいし、夢中になってしまう。恥ずかしいけどね。記憶はないけど感情が覚えてる」


 かつての僕は本当に御人好しだったんだな。愚直に、義侠心を振りかざして自分の命を落とした哀れな人とも言える。だけど、後悔はしていない。仙崎を助けられたことを誇りに思うし、死後になって恋も慕を抱いている事はやはり、僕が本気で仙崎を好きだったんだと、迷いなく核心を持てる。僕は仙崎が好きなのだ。


「私は一生忘れないからね」


 仙崎は今にも泣きそうだった。再会した時も泣きそうだった。あの時の顔が過ぎる。しかし、あの時とは、違う涙だ。


「僕も忘れないよ」

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