覚悟


病室でのシグレとの会話を想起する。


霊嚢。君の霊素、いわゆる魂に袋のような物ができてね。君は常人より負に飲まれやすい体質になった。ストレスに過敏になったと思ってくれればいいよ。もちろん、不安や過労、心身に悪影響を及ぼす悪いストレスだ。もしかしたら君は以前のような活発な性格ではなくなるかもね。


 常にネガティブになり、自信を失い、生きる活力を見出だせず、生きる屍に成り下がる。つまりは人生で最も輝く青春を謳歌できなくなるってね。



 要するに、思考が制限され性格が変化する。厄介なのは、嚢が絶鬼の根元にして権化で、最大の特異点である人の負の感情を取り込む力を受け継いでいると言うことだ。



 どういうことだって?覚えてないのも無理はないかな。君は鬼に、しかも最強、最悪の絶対的な鬼、絶鬼に取り付かれた。左腕はその時にぶっ飛んだよ。何とか僕の左目と内蔵、それに弥助の霊力の八割を使った強力な封印術で、君と鬼を切り離したが、それでも後遺症は残してしまったことは僕としても、遺憾だよ。



 ハハハ。君が気にする必要はないよ。僕はプロで、君はあくまでアマチュアだ。体を失うことには抵抗はない。命を棄てて世界の脅威と戦うのは、僕のような健全な能力者なら当然だ。五体満足ではないのは、僕の力不足で君の責任ではない。全ての責任は当人の力不足だ。もし、君が自分を攻めるなら君が弱かったからだ。けど、今回は君にそれは当てはまらない。君は素人で、子供だ。大人である僕が守らなくてはならない。君は何も悪くない。悪いのは僕だ。恨んでくれても構わない。


 だから、目のことは気にしなくもいいって、そもそも僕は元から生身じゃないからね。両腕、両足は、偽物だよ。ロマン製の高級人工四肢。精神界での存在を強め、物理界と結びつけることで、本物と一切の区別がつかない優れものだ。今回の一件で、左目と内蔵も新たに仕立てもらった。さすが、ロマン製。まるで違和感がない。



 今回の報酬と言うか、左腕がないと不便だろうから、僕からのプレゼントだ。君専用に作らせた、特注品だから、大切に扱ってくれよ。なんせ、かなりの高額品だからね。



 いろいろとギミックがあって、あーなるほど、なるほど。もうこんな世界から逃げ出したいから必要ないって?生憎、それは無理だ。人の本質はそうそう変わるもんじゃない。君は根っからのお人好しだ。他人の為に己を犠牲にできる、優れた精神の持ち主。そんな君を守るためにもその左腕は必要不可欠なんだ。



 心のコントロールを補う性能がある。人間が本来持つ、自然治癒力を刺激することで、ストレスコーピングを促す、最新モデルだ。それだけでは不十分で鬼の力は、常に左腕に現れる。まあ日常生活に置いては何ら支障はないと思う。



 ただ、君は幾度となく『絶鬼』の影響を受けたが為に、元来の性格や性質に変化が生じている。



 この業界にもう一度引き込まれていくだろう。これは君が始めて絶鬼と触れ合った瞬間から確約された、言わば呪いだ。鬼の性質には共食いのようなものがあるから、君にもその性質が引き継がれているかも知れない。こればっかりは時間の経過を待たないと何とも言えないけどね。



 彼女がどうなったって?死んだよ。ほぼ即死だったそうだ。彼女は自身が万能であると信じ、傲った、だから死んだ。君が罪の意識を感じることはない。



 彼女の遺体は協会によって回収された。おそらく研究に使われるだろうね。なかなか珍しい素材だし。おいおい。怒るなよ。気持ちはわかるけど。君は英雄だ。数十人の戦闘に長けた能力者が束になっても叶わなかった鬼を、単独で倒して、世界を救ったんだ。寧ろ誇ってくれ。


気持ちはわかるよ。君は彼女を救いたかったんだろ?世界を敵に回してでも、彼女を救いたかった。わかる。だけどね。それこそが傲りであり、慢心だよ。君にも、僕達にも、それは不可能なことだったんだ。だけど、君の選択が正しいことであったことは、僕が保証するし、誰も攻めない。勇気のある行動だった。君は英雄だ。


 

 これだけ一方的に早口で語った後、シグレは早々と病室を出た。シグレとは、あれから一度も会っていない。別れのあいさつは言えなかった。二度も命を救われ、礼くらいは言わせて欲しかったが、シグレは最後まで許してくれなかった。シグレからしてみれば礼を言われるようなことではないのだろうけど。



 全ては僕の利己で、自己満足。とシグレはよく言っていた。



 噂では、体のほとんどが義体で、人より怪異に近い。これは自己犠牲を惜しまない性質が招いた末路だ。シグレが得意とする魔術の中には、体を一部を媒体に強力な封印術を発動させる物がある。幾度も使用を重ねた結果……生身の部分は殆どない。だが、本人は微塵も後悔してないそうだ。


 生の実感が欠落しているのではないか。体の一部を喪失していくうちに、生と死バランス感覚を失い、現実を生きる感覚が鈍った。阿呆だ。とは言え、命を二度も救われた身である。「誰かの為に、自己犠牲を惜しまない人間になりたい」と感化された時期もあったと思う。今では僕をこの業界に引き入れた邪悪な権化として、シグレを記憶に留めている。つまりは憎んでいる。大人になるとはそういうことか。それとも絶鬼の魔力による影響だろうか。思考の変化かも知れない。



 どちらにしても、あの日の僕はもういない。僕は、もう死んでいるからだ。僕は幽霊であり、左腕が義手ではない。生前とは姿が違う。とは言え、体の感覚は生前と変わらない。心音もあるし、血流を感じることもある。走れば呼吸が乱れる。歩こうと思えば、足は自然に動く。重力に逆らうこともできない。生前よりも健康であると言える。しかし、意識がはっきりするのは夜だけ、記憶も曖昧。思考が一部制限されているような気がする時もある。これだけ不自然なことがあれば、僕の存在そのものが曖昧なものであり、記憶も柿原翔太から偶然にして転写された可能性もあるだろう。


なかでも厄介なのが、感情だ。僕は冬至ナオを殺めたことを後悔している。理屈はわからないが、死後になっても、冬至ナオとの最後の戦いの記憶が悪夢となって顕れる。


僕の魂が現世でやり残したことがあるなら、それは恐らく冬至ナオを救うことだったのかも知れない。とは言え、彼女はあの世にいるので、叶わない願いだ。けど、そうなってくると、僕が自決を選択した可能性も浮上してきた。あの世があるなら再会できるではないか。あの世が存在するならの話だが。


絶鬼の力は強力だ。自由自在の魔力に飽きたらず、人の負の感情をエサに無限に力を得ることができる。ただし、代償はある。負の感情によって思考を制限されてしまう。つまり、呪詛を背負うことになる。シグレの封印術によって、抑えることはできていたが、僕は心が荒れていたと記憶している。



 冬至ナオは言った。絶鬼には世界中の悪意を一手に引き受ける力がある。世界が救われる、とも言った。


 けど、悪意が必ずしも、人に牙を向けるとは限らない。悪意は人を守る。利己を最優先とするその考えは、心のバランスを保つ上でも機能する。さらには悪意に染まった欲、人を蹴落とそうとする競争心は人を強くし、生活を豊かにして、社会のバランスを保つ。


 冬至ナオこうも言った。


 善意とは利他的であること、これは違う。他人を認め、否定をしない安定志向は、新たな思考、アイデアを渇望させる。それは競争心の喪失を意味して、組織と個人の破滅を促す。協調すること、他人を認めること、これらは否定を怖れる行為で、沽券を守るものに過ぎない。これこそが、悪だ。


 人間には善意はない。私は欲が悪とは言わない。誰かの為に何かをすることを愉悦に思う人もいるだろう。欲は無色透明だ。しかし人間の本質が悪なら欲は、高確率では悪に染まる。建前の平和では人は滅びてしまうんだ。だから、人の、社会の、世界の悪を私が引き受け、恒久的な真の平和を創ろう。人間に、感情、心は贅沢だ。鬼の力で人から心を奪い糧として発動する『鬼神』が人を再生産してくれる。


 人の領分を遥かに越えた域であった。生まれながらにして、絶鬼の一端を扱えた彼女は傲ったんだ。だから、世界中の悪意を受け入れることはできなかった。町の人口十万人に満たない悪意を吸収して、彼女は墜ちた。



 今日が普段とは違うルートで学校を徘徊したいと思う。青春を謳歌する学舎の安全を保証するために、僕は夜な夜な校内を徘徊しては問題を事前に潰すように心掛けている。それは偏に暇だからであることは内緒だ。さて、今日は外を回って行こうと思う。我が高校は、森林に囲われた丘の上に建てられていて、緑が無駄に多い。田舎なので土地だけは広かったりするのだ。グラウンドだけでも二つはある。二つもある。二つのグラウンドに挟まれる位置には、古墳みたいな小さな雑木林がある。そこは嫌な感じがするので後回しするとして、まずはグラウンドを囲うフェンスを目視で安全確認だ。野球部がトンボがけして整理されたグラウンドを驕りながら歩く。僕が野球部なら頭に血が上る暴挙だ。しかしながら僕の足跡はつかない。魔力総量を大幅に向上させて、質量を得れば足音をつけることもできるが、わざわざやる必要はないのだ。


 フェンスまで辿り着く。目視では特に異変は感じない。ついでに手で触ると、拒まれた。電撃みたく魔力が弾け飛んだ。悲しいくらいに変化はないようだ。


 ざざっと、雑木林から音が聞こえた。気になったのは音ではなく、魔力だ。一瞬だが大きな魔力を感じたのだ。


「誰だ!」


 僕は警戒心を最大限にまで引き上げて、刮目する。この頃、術者による襲撃が相次いでることを鑑みると、油断は大敵だ。まあ、考えすぎだったようで、黒猫が飛び出した。


「よう、久しぶりだな」


 黒猫が女性的な声で喋った。驚いて頭が真っ白になったが、黒猫の正体に察しがつくと、血が引けるように冷静になれた。


「こんばんは。何をしてるんですか?」


僕は他人行儀で話して、無関心を装う。


「君の様子を見に来たんだよ。毎晩のように妙なことをしているようなので、注意は必要だろ」


「信頼はされてないんですね」


「君は、あくまでも、どこまでいっても怪異だからね」


 人類の敵だからね、と心中で補足する。


「それで何でそんな格好をしているんですか?」


 アリス・ドス・アブラメリンは黒猫の格好だ。変身の魔術なんて初めて見た。さすが偉大な魔女だ。


「私は半霊体だからな。完全な顕在化は魔力の消耗が激しく、奴らに感づかれるからな。不用意にあの姿にはなれないんだ」


 奴らってのは、おそらく魔女狩りの連中だろう。どんなに有名な魔女でも、悪いイメージがつくと生涯に限り、命を狙われるようだ。嫌だな。かくゆう僕も、命を狙われる身ではあるが。


「何だ。見たいのか」と黒猫は大人の女性に早変わりした。ちなみに裸体である。見たことがない大きな乳房が、スローモーションのように揺れた。揺れすぎなくらいに。やはり大きいと反発も強いみたいだ。いい勉強になる。なんて思考を巡らしていることを悟られないように、視線を逸らした。


「男の子だな。無理はするな見てもいいぞ」


「え!? いいんで……って、違う!服を着てくださいよ!!」


「遠慮はするなって。反応してるぞ」


「そ、そんな馬鹿な」と、確認する僕は阿呆だろう。


 ひとしきり僕の反応を楽しんだアリスは、再び黒猫の姿に戻った。本当に何なんだよ。


「さて、本題なんだが。君の猶予はそう長くはない。上から圧もあってな。君とは年内に決着をつける手はずになった」

 

 年内と言う事は、半年もない。仙崎やアリス達の準備が整えば、もっと早く白黒がつくだろう。僕が消滅するまでのカウントは既にはじまっているようだ。不安なのはカウントを確認できないことだな。


「それで仙崎の説得はどうなったんですか?」


「ダメだな。悪いが君からも説得をして欲しい」


「説得ですか……自信はないですね。ですが善処はします」


「さすが神様だな。確か日本では崇拝してなくても救済してくれると聞く。日本の神様は寛大だ」


「信者になってくれても構いませんよ。相応の対価はもらいますが」


「嫌われたものだな」


「敵対関係はないにしても、ビジネスライクな関係性は崩してはいけないと思います」


「君は大人だな」


 アリスは鼻で笑った。仙崎を救うには僕の命が必要とあれば、差し出すことはやぶさかでない。アリスが話していたことの全てが真実とは限らないが、仙崎が命を落とす可能性があるなら、潰さなくてはならないのだ。犠牲は厭わない。僕の存在だけでなく、結果的に多くの代償が必要になったとても、僕は心を鬼にするだろう。なんせ僕は、鬼神だなのだから。

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