第3章

 告白


「話は終わったのか?」


 アリスと僕の会話が小休止に入ると、拳銃男こと冬至ワタルが現れた。口振りからすると、話が終わるのも待っていたのかも知れない。ワタルはここ一ヶ月に亘って、僕に挑むことを日課にしていた。本当に毎日だ。何度倒しても挫けない。綺麗にカウンターを決めようが、急所にエグいパンチを当てようが、冬至ワタルは立ち上がるのだ。こちらが挫けるそうになる。僕がワタルなら既に諦めてると思う。恐怖でしかない。


「何度やっても無駄だ」


「うるさい。百回挑んで、一回でも勝てればそれでいいんだよ」


 楽観的な思考だな。嫌いではない。応援したくなる。僕はワタルと向かい合う。本来なら、彼は術式を中心に立ち回る戦闘スタイルだ。それが武器を構えずに素手で、僕と戦おうとしている。僕の封印術を考慮して魔力を抑えて戦う手段を選んだのはわかる。考えは悪くはない。体術が得意ならの話ではあるが、あいにく僕には妖刀「弥助」の能力で、戦いの記憶が一部ではあるが継承されている。歴戦の猛者との記憶、そのなかには肉弾戦による超接近戦の記憶もあるのだ。肉弾戦が不得意なことはない。寧ろ昔の戦士はあらゆる状況を想定して、訓練を積んでいるものだ。引き出しの多さなら自信がある。それにワタルと僕に体格差はない。負ける要素が見当たらない。


 ワタルが魔力を最小限に抑えているので、僕の魔力も比例して縫えない。問題はない。ワタルは蹴りを入れるフェイントをして、右ストレート。読んでいた僕は、背負い投げを決めた。ワタルは息を漏らしながら、苦悩の表情を晒した。毎日のように戦っていると、流石に慣れる。今まで最短の勝利であった。


「何で魔力を使わないんだよ」


 僕は当然に思う疑問を投げかけると、ワタルは不機嫌そうに言う。


「それだと勝てないだろ」


「どのみち勝てないよ。魔力を抑えたいのはわかるが、君は術式を使わないと」


 ワタルは魔力による肉体強化に長けていない。肉弾戦には不向きなタイプだと思われる。魔力を最小限に抑えながらも、術式のバリエーションを増やして戦うスタイルが向いていると思う。


「何でお前にアドバイスされなくてならないんだ」


「ごもっともだ」


 返す言葉はない。


「クソ! 敵に同情されるなんて。クソ!クソ!」


 四つん這いになったワタルは、何度も床を殴った。痛ましい様子に耐えかねたのはアリスだった。


「随分と躍起になっているな。冬至の生き残りよ」


「あんたには関係ないだろ」


「関係ないことはないだろう。私が君をスカウトしたのだから。無駄死にされては、歯痒いではないか」


「何だよそれ! 俺が殺されるみたいな言い方しやがって」


「事実だろう? 無策で挑んでも勝てる相手ではない。それは君が一番わかっているだろう。君は冬至ナオの弟なんだから」


 ワタルは答えなかった。落ち着いている。それまでの激情を捨て去り、自分の中で整理をつけているのかも知れない。

 

「やっぱり、ナオの弟なのか?」

  

 冬至と呼ばれていたから、血縁関係はあるんだろうとは思っていたが、かなり近い間柄みたいだ。あまり関わりたくない話題だったので避けていたが、そうはいかないみたい。うーん。


「出来損ないの弟であり、冬至家最後の生き残りだ」


 ワタルの剣呑な視線に僕は目を逸らしたくなる。我慢して、眉毛を見ることにした。

 

「僕のことを憎んでるの?」


 単刀直入に思うことを聞いた。僕が冬至ナオを殺めたことは覆せない事実なのだ。恨まれていても、仕方がない。


「いいや。むしろありがたく思うよ。誰にも止められなかった絶鬼を消滅させたんだからな。けど、あんたを執拗に迫るのは、姉が絡んでるからだ」


 それ以外の理由はない。これは俺の責務だ、とワタルは立ち上がった。冬至と言う名家の誇りなのか、もしくは家族に対する憎悪なのかも知れない。


「冬至ナオは怪異だ。化け物だった。殺されても仕方ない存在だったんだ。死後になっても、あんたはグダグダ悔やむことはない。しかしだ。冬至家の汚点。負の遺産が今だに跋扈している事実がある限り俺は戦う」


 ワタルは僕に襲い掛かる。遅い、と油断したのも束の間、ワタルは銃を構えていた。不味い。構えた銃はフェイントで、僕は初めてワタルから一発もらった。


「私恨はこれでチャラだ」


「お前、やっぱり恨んでたのか」


 僕の声が震えていた。人に嫌われる勇気はないからね。情けない話だが。


「当たり前だ。建前ではいくらでも虚言は吐けるが、行動や感情が伴うかは別の話だ。俺は姉を殺した相手を許せない。本当は殺してやりたいが、そいつは大昔に死んでいて、死後になっても苦しんでるなら、多少は揺れるものだ。だから、ここからは仕事だ。責任を持ってお前を倒す」


「毎日のように戦ってんじゃん。いい加減倒してくれよ」


「当たり前だ!」


 その日も最後まで立っていたのは僕であった。





「ヤッホー。久しぶり。元気だった?」

  

 長期休暇明けのクラスメイトに、挨拶する感じで仙崎は言った。実際一ヶ月ぶりだったりするんだけどね。別にいい。僕は一年前に死んでるし。僕は、柿原翔太本人であると自信を持って言えない。怪異だ。鬼の神だ。それでも、僅かな希望にすがりたいことは否めない。


「そうだな。久しぶり。君は元気だった?」


「ボチボチだったよ。師匠には毎日のように怒鳴られて」と仙崎は微笑んだ。


「怒られるに決まってんだろ。僕を消失させることが目的なんだろ? なら最後までやろうよ」


「うーん。それはイヤ」


「何でだよ」


「私の中で納得してないことが多くて」


「何を悩んでるんだよ?」


 深夜の教室で久しぶりに会った仙崎は、虚な目で悩んでいる様子だった。悩みの原因は僕だ。断言できる。アドバイスとかは求めていないだろう。しかし、僕は一応神様だったりする。神様はいつでも寛容なのだ。話を聞いてあげるくらい問題ないだろう。と言っても厄災の神だが。自覚があるだけ充分だと思う。一ヶ月前、アリス・ドス・アブラメリンが率いる術者による襲撃によって僕が邪悪な存在であることは、理解できた。自身の置かれている状況をここまで理解できたなら問題ないだろう。


「私はカッキーを成仏させることにしたって言ったじゃん」

  

 目を大きくして仙崎は言った。


「それは聞いたけど、本気なの?」

 

 成仏はわかる。僕も最初は自身がただの呪縛霊だと思ってたから、肯定的に捉えた。実際は厄災の神だったのだ。人類にとって敵に成りゆる。世界の脅威だ。


「当たり前じゃん」


「多分、僕は柿原翔太じゃないよ」


「そうだね。あなたは私の知ってるカッキーとは違うのかもね」


「なら、戸惑う理由はないだろ」


「けど、私の中ではカッキーはカッキーだって整理がついたの。最初は敵対する必要があると思いもしたけど、やっぱり付き合いが長くなると「この人はカッキーだ」って思っちゃうんだよね」


 敵対する気は毛頭ないようだ。仙崎の心理はよくわかった。気持ちは嬉しい。僕も仙崎とは戦いなくない。けど疑問符も浮かぶ。仙崎にとって僕はそんなに大事な存在なのだろうか? 生前の僕は友達なんていなかった。仙崎とはただのクラスメイトだったはずだ。世界の命運と自身の命を放棄してまで、僕を成仏させるなんて可能性が低いことを狙う必要があるのだろうか?


「なぁ、仙崎」


「何?」


「僕の生前の記憶には欠如している部分が多い。だから仙崎が僕を成仏させようとする理由が見えないんだ」

  

 僕は話した。一年生の夏までの記憶しかない。あの頃の仙崎は金髪で僕とは、全く真逆なタイプで、本来なら相容れない関係だった。追試でよく一緒だったくらいしか繋がりがないはずだ。


「前に言ったじゃない。生前のカッキーはすごいいい人だった。愛される人だったと思うよ。少なくとも私からはね」


 僕が愛される人だった。仙崎の慈愛に満ちた言葉が胸に突き刺さる。だけど、愛されていいはずがない。僕は。


「僕の覚えている記憶……生前の僕は人を殺した」


 仙崎が僕を見た。僕は構わず続ける。


「彼女の名前は冬至ナオ。クラスメイトだった。冬至家は日本でも選りすぐりの術師の名家で、ナオも術師としては天才的な才能の持ち主だった。優遇された。羨望の対象でもあった。だけどナオは冬至家の矜恃と、周囲からのプレッシャーで禁忌に触れた。そうして誕生したのが絶鬼だ」


 冬至家に伝わる禁書には、冬至家史上最悪の術師が残した数多の禁術が記載されている。その一つが怪異の創作だ。人間の負の感情によって生まれる影や鬼を、独自の方法で収集して、人工的に凝固させる。これを何度も繰り返して誕生するのが、『絶鬼』である。絶鬼は凄まじい魔力を持ちながらも、変幻自在に姿を変える特徴があった。だから、冬至ナオは霊装として身に付けたのだ。自身の魔力と直結させることに成功したが、精神が浸食された冬至ナオは殺戮を開始した。


「僕は冬至ナオを殺した」


 方法はなかった。絶鬼の力は絶大で彼女を止めるには、命を断つ以外の方法は僕には思い付かなかった。僕は苦悩した。人の命を奪ったことを。僕は人殺しなのに、『英雄』と持てはやされたことを。奇妙に思った。気持ち悪いと思った。僕は英雄ではない。本当の英雄なら彼女を助けることができたはずだ。全てを最も最良に解決することができたはずだ。例えば漫画の主人公のように、ご都合主義を前面に晒し出して、ヒロインを無事に助け出した英雄になったはずだ。僕は英雄ではない。僕はただの人殺しだ。


「やっぱりカッキーは優しいよね」


 仙崎は遙か遠くを見つめるように、続ける。


「私が知ってるカッキーは、いつも誰かのために行動するような人だったよ。私も怪異に身を委ねたことがあったんだよ。私は自業自得だと諦めるつもりだった。だけどカッキーはそんな私も救おうと必死に足掻いてくれた。最後まで諦めなかった。だから今の私がいる。感謝しても仕切れない」


「それは多分、罪の意識からだよ」


 僕はきっと、自暴自棄になっていたんだ。今にでも負の感情に飲まれそうだった。覚えている。曖昧ではあるが罪の意識で毎日を悲観しながら生きてきた。クラスメイトから陰口を言われているような気がした。除け者にされているような気がした。誰も僕に興味がないと思った。僕は自分のことしか考えていなかった。誰かもを助ければ自分が救われると思っていたんだ。


「そうかも知れないけど……なら私って言ってくれた、あのことは何だったの?」


「どう言う意味だよ?」


「うん? そのままの意味だけど」

 

「だから僕が一体何を言ったって言うんだよ」


 少し怒気が籠ってしまった。反省。


「本当に覚えてないんだね」


 仙崎はとても悲しそうだった。今にも泣きそう。そんな瞳で、そんな表情で「私達は……付き合ってたんだよ」


 僕と仙崎が付き合っていた。そんなことがあるのか。あってもいいのか。聞き間違いだ。それとも、付き合っていたとは、男女交際を指すのではなく、一緒に何かをしたって話しなのかもしれない。その方が合点がいく。今は茶髪だが、仙崎は元々金髪で、ギャルって感じの容姿だった。僕みたいなスクールカースト下位と釣り合いが取れるとは思えない。


「この髪だって、カッキーが好きだと思って染めたのに……」


 しばらく沈黙が続いた。深夜の教室の静けさに、孤独を覚えた。世界には僕しかいない。そんな気がする静寂であった。それは本当に気のせいで、仙崎がいる。僕の次の言葉を待っている。仙崎が求めている言葉はなんだろう。泥沼にハマった気分だ。間違った言葉を吐いてはならない。そんなプレッシャーを感じた。


「ごめん仙崎。やっぱり思い出せない。だけど、僕が思ってるより、僕は好かれるような奴だったんだな」


「そうだよ。私はカッキーが好きだった」


 仙崎が僕を思ってくれている。恋慕を抱いてくれていた。それが事実なら、僕はきっと幸せ者だった。僕の死の真相は不明な点は多い。もしかしたら遺恨を持って死んだのかも知れない。だが、仙崎が側にいたなら、自分で思ってるよりも、ずっと幸福な人間だったのだろう。そう思ったら体が軽くなった気がした。


「だけど仙崎……僕はもう死んでるんだ。僕は鬼だ。人類の敵なんだよ。僕を消滅することができるのは、仙崎だけなんだ」


 そう。僕を消滅させることができるのは仙崎カンナ、ただ一人なのだ。どんな経緯で仙崎が神殺しの魔力を得たかは知らないが、責務を放棄させることはできない。逃避は厳禁なのだ。失敗することは、仙崎の死を意味する。僕と仙崎なら価値を天秤で計るまでもない。仙崎だ。


「僕を楽にしてくれないか?」


 仙崎は口を噤む。僕は間違った選択をしたのかも知れない。


「それ、本気で言ってるの?」


 仙崎に珍しく怒気が籠った言い様だった。だが、僕は折れてはならない。


「僕は人類の敵だ。今は柿原翔太の記憶によって僕は、理性を辛うじて保っているが、いつ暴走するから僕にはわからない。怖いんだ。ナオのように人を殺すことに躊躇がなくなることもあるかも知れない。それだけは嫌だ。怪物になんてなりたくない。可能なら人間のまま死にたい」


 冬至ナオは怪物になった。人を躊躇なく殺して、愉悦に慕っていた。あれは人間ではなかった。人間と認めてもいいものでなかった。恐怖の権化であった。僕もいずれ怪物となるかも知れない。そう思うと恐怖でしかなかった。


「カッキーの気持ちはわかったよ。だけど私はもっといい方法があると思うの。上手くは説明できないし、具体的にどうこうとかはない。完全にエゴだけど。ギリギリまで待って欲しい」


「年内には終わりにしよう。それでいい?」


「……わかった」


 仙崎は僕をどうしたいのか見当がつかない。猶予もない。過度な期待は、不要な感情だろう。決心が鈍る。やはり僕は仙崎達との決戦に備えるべきだろう。僕を倒すためのメンツを揃えるのだ。僕を確実に消滅させるには、神性を最大限まで引き出す必要がある。つまり本気で戦う必要があるのだ。そこに仙崎の一撃を放てば、僕は確実に消滅する。封印の兼ね合いで、強者と対峙しないと力を発揮できないことが、死後になってからネックになるとは思ってもいなかった。生前は何かと便利だったんだが。ともかく強者を勧誘しなくてはならない。まあ、一人くらいしか心当たりはないのだが。

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