正体

 人間にとって「死」とは幸福である。

 死を察した脳は死の恐怖から逃れようと、多量の快楽物質を放出するのだ。その快楽は、性的快楽の百倍から二百倍に匹敵すると言われる。ランナーズハイも、脳を騙すことで、快楽を得ると言う意味では同じようなことだろう。


 臨死体験をした人達はこぞって、この世では味わえない多幸感、幸福感を味わったと語った。ここで言う性的快楽が、何を指すのか、僕が体験した範囲なのか、定かではない。とにかく死の快楽は、何とも抽象することができない。究極の娯楽。魂だけになるとは、そういうことだ。


 そんなことを説明したいのではない。僕が理解したことは、人間は自分の死を身近に感じると脳が覚醒すると言う話だ。


 人間は精神界と物理界の二つの世界で存在して、多くは物理界しか認識できない。意識下から外れた時間や空間は、存在しないと考えるのが一般的だ。だから、精神界と隣り合わせであると理解がない。精神界の感覚を知るとは、死の感覚が知るに等しい。死に際で見る走馬灯なんて、魔力の覚醒みたいなものだろう。


 僕は既に死んでいるわけだが、再び死に際に立った。霊体である体が発火して、全身に大火傷、呼吸もできない。忽然と召喚された空すら切り裂く火柱は、容赦なく僕の体を焼いたのだ。


二度目の死。死後の世界での死、今度ばかりは意識を完全に失い存在はなくなるだろう。達観して己の状況を整理すると、僕は怪異として、二度目の死を経験するはずなのに、僕の感情は多幸感に包まれていた。最高の気分だ。生前でも感じたことのない底知れない魔力が、溢れてくる。僕は全能感を得ていた。


『黒海』


影が質量を得て、僕を中心に渦巻く。火柱を軽く消化して、留まることなく大きな水球となり、爆ぜる。津波を思わせる水流に、中庭で大切に育てられた木々が流される。冬至とシロは巻き込まれた。水圧の強さで、校舎のガラスは全て割れてる。校舎全面が水浸しだ。だから、僕は、前任者であった冬至ナオが得意とした氷結魔術を使った。記憶の片隅に追いやられていた氷結の再現だ。全てが凍えて、簡単に氷床の世界が生まれた。これで冬至とシロは動けないだろう。あとは、爆炎の魔術師だけか。



 時間帯がわからなくなった。深夜なのに、昼間と変わらない日射を感じたからだ。夜にしか意識が覚醒しない僕が日差しを感じることはない。冷静となれば、太陽に酷似した火球が熱量を保ちながら、大きくなっていく。太陽のようだ。灼熱の火球は肌を焼く。僕は模範した。影を掻き集めて、属性を付与する。イメージするのは全てを焼き尽くす獄の炎だ。影は漆黒の炎となって、太陽のような火球と衝突した。黒い炎は太陽を嚥下して、取り込みより大きな黒い炎となり、術者に向かっていく。そして、消失する。魔力で強化した屈強な人間でも、跡形もなく消炭になる。と思ったが、数倍大きな火球が生成されて、相殺された。


「あんたが親玉か?」


「親玉かはわからん。所詮は組織の一部に過ぎないからな。だが、断言できることはある。私の名がアリス・ドス・アブラメリンということだ。爆炎の魔女と渾名を与えられた。世界最高の魔女の一人だ。それで君が絶鬼か。想像以上のパワーを感じるな。無尽蔵の魔力を変幻自在に実行する。なかなか興味深い」 


 アリスと名乗った魔女は僕から見て斜め上にいた。つまり上空だ。アメリカンなバイクに跨って僕を見下すように視線を送る。アリスはアクセルを空ぶかしする。それにしても、空を走るバイクか。魔法の類なんだろうけど、かっこいいな。


「僕は柿原翔太だ。絶鬼じゃない」


「そうだな。君は残滓の気まぐれで生まれた成れの果てだ」とアリスは言いながら、僕に近づいた。もちろんバイクでだ。おそらく、仙崎の先生に当たる人物だから魔女なんだろうけど、そうは見えない。二十代後半くらいの外見、腰まで伸びた髪、つり目が特徴的。ピッチリとしたライダーススーツの着こなしは奇抜で、胸元からショーツまで露出し、ジッパーを閉めるつもりは毛頭ないようだ。てか、何て格好だ。外国人みたいだけど、あなたの国で許されても日本じゃ許されない。と思う。いや、どこの国でも許されないのかな。


「ほう。思春期の少年のままではあるんだな。ますます興味深い」


 アリスの言葉で、僕は現実に引き戻された。つい深い谷の奥を凝視してしまった。失礼しました。


「で、僕をどうするつもりですか?」


 僕は咳払いして気を引き締めて言った。アリスは無表情のままに言葉を紡ぐ。


「どうも何も、君はどうしたい」


「え!? 僕を討伐するのが目的ではないんですか?」


 我ながら間抜けな反応だった思う。


「そうではあるが、私では君でも殺れないからな」


「あれだけの魔術が使えてよく言いますね」


 上空にまで届く火柱なんて聞いたことない。魔法と遜色ない領域だと思う。


「その言葉はそっくりそのまま返す。君のあれは魔法だ」


「いや、僕に魔法なんて使えないと思うけど」


 少なからず生前の僕は魔法なんて使えないはずだ。あくまでも生前の話だが。


「そうだった。君は記憶が曖昧なんだったな」

 

 アリスは僕を覗き込むように前屈みになって続ける。


「まず君は柿原翔太ではない。これに関しては断言できる。柿原翔太は大凡一年前にとある抗争に巻き込まれて命を落とした」


 やはり僕は一年前に死んでいる。こうも断言されると、複雑な気持ちだ。


「じゃあ僕は何者なんですか?」

 

 アリスは僕に背中を見せた。


「君は、英雄である柿原翔太と、虚の王である絶鬼が融合して生まれた鬼神だよ」


 キシン? オニノカミ? それで鬼神ってことか?

僕は柿原翔太でもなければ、絶鬼でもなく、鬼の神だと言うのか。急にキナ臭くなってきたなぁ。


「私も君に会うまでは確信が持てなかったが、対峙して理解できたよ。君の強さは異常だ」

 

 否定する言葉を吐こうとしたが飲み込んだ。僕の魔力総量は底無しだ。しかも、伸縮したり、打撃も斬撃も可能、イメージするだけで、武器の錬成、果ては属性付与まで可能にした。もはや魔法の域である。変幻自在の魔力。戦えば戦うほど、強くなっている気がする。


「かつて柿原翔太はその身に余る巨大な力を得た」


 僕は英雄と謳われる事がある。戦闘に長けた術師が数十人ではまるで歯が立たない強さを持った絶鬼を単独で倒したからだ。まあ、これは真実ではない。


「封印したんだ」


 絶鬼は強かった。彼女ーー冬至なおは絶鬼を僕以上に使いこなしていた。だから異常に強かったんだ。玉砕覚悟で乗り込んだ僕は、倒すことは叶わず。シグレによって封印されることになった。しかし、完全に封印することはできない。絶鬼の莫大で禍々しい魔力を無条件で、僕のような素人に封印することは不可能であったのだ。だから、封印に条件が付いた。


「その通りだ。思い出してきたか? 生前に施された封印術の条件は死後に残ることになった。それが君の強さの秘密だな」


「そうでしたね。僕は相対する相手に合わせて魔力量を調節して、段階的に強さが強制されるんだ」

 

 だから、拳銃男の冬至、弥助のシロ、爆炎の魔術師アリス。それぞれの強さに対して、僕の出力も上がった。


「故に私では君には勝てない可能性が高いと言うわけだ」

 

 不甲斐ない話だがな、とアリスは畏縮するように付け加えた。


「それはやってみないとわからないのでは?」


「私が本気を出せば、この辺りは焼け野原になる。自ずと君の強さは必然的に私を超えてくるだろう。街が一つ消える。多大な犠牲者が生まれる。一番あってはならないケースだ。そもそもだ。絶鬼ならまだしも、君は神の域に達している。真っ向勝負なんて愚作だな」


「それを言い出したら、今日僕を襲撃した二人はどうなるんですか? あなたの指示ではないんですか?」


「あの二人は協力関係にあるだけで、私の指示は無視だな。まあ、そもそも特に指示はしていないがな。それでもだ。私が二人を止めなかったのは、君の封印を考慮してだ。強い魔力をよりも、弱い魔力のかちあわせる方が、まだ勝算があるからな。特にシロには剣術で圧倒することを期待していた。しかし、現実は上手くはいかない。君はどうにも魔力だけではないようだ。お手上げだな」


 シグレが施した封印の条件は、僕が安全に過ごせることを考慮してだと言っていた。僕は魔力を帯びた異物との接触、もしくは敵対する事がなければ、無駄に魔力を使うことなく、平凡な高校生活を送れるはず。実際はそんなことはなかったようで、抗争の果てに亡くなったようだが。しかし、今こうして怪異となったことを考えると、シグレは僕が影に飲み込まれると言う最悪のケースを想定していたのかも知れない。僕は相手によって強さが変わる。相手の術、戦法に合わして柔軟に対応することもできる。相手の弱点を見切るのでなく、相手の術の上を行くスタイルだったりする。


「だから、仙崎なんですね。仙崎は術者としてはまだまだ未熟。もしかしたら仙崎なら僕を」


 そうだ。僕は仙崎に気絶させられたこともある。先刻まで対峙していた三人よりも、仙崎にはかなり追い詰められた。侮っていたことは客観的に見ても、否定はできない。それを差し引いても僕は選択肢を絞られて、野良の影を傀儡として戦わせたりもした。真っ向勝負なら勝てないかも知れない。


「そう。仙崎カンナは特別なんだ」


「やっぱり、特別なんですか?」


「ああ。仙崎は対鬼神を想定して調整された存在だからな」


 10分後には忘れてしまう何気ない日常会話のようにアリスは奇異なことを言った。


「今なんて言いましたか? 鬼神を想定したって聞こえたような」


「そうだ。カンナは神殺しの魔力を与えられた選ばし者だ」




 羨望される偉大な魔女にして、呪われた肉体を持つ不死者であるアリス・ドス。アブラメリンは、功績を評価されたことで、七大魔女と八賢人の称号を持つ。


 前世紀の大戦で、彼女は多くの功績を残した。魔女としての圧倒的な魔力と、幅広い知見と知識を有してた彼女は、魔女の境界を越え、魔術を多くの人に扱えるようにアレンジして広めた。なかでもウェアラブル型防衛術式の開発であまりにも有名。死傷率の大幅な減少をもたらすそのアイテムは近代に置いても重宝され続けている。


 終結後も魔術を広め続けたアリスではあったが、いつしか一部の魔女から反感を買うことになり、魔女の国を追放された。今日では魔女狩りに追われる、おたずね者だそうだ。そんなようなことを仙崎は言っていた。


 そんな偉大な魔女が僕を騙そうとしている。仙崎が僕を倒すために選ばれた兵器だと言うのだ。人体兵器。対鬼神に特化した兵器。つまり僕を倒す者だと。


「そんなことがあるのか?」


「世界の意思を、聞いたことはないか?」

 

 僕が黙示する様子を見て、アリスは肯定と判断して続けた。


「世界の意思とは、世界を調整する力のことだ。歴史の流れに抗う者、人類の脅威になる者、つまり神の力に匹敵する者は古代より世界のバランスを崩すとして抹消されてきた。世界の覇権を取り掛けたアレクサンドロス大王、ナポレオン、日本なら織田信長。人々から英雄として評価された偉人ですら、世界の意思には逆えず悲惨な死を遂げてきた。君もまた神に域に到達したことで、世界の敵として認識された」


 アレクサンドロス大王は世界征服を目前にして病に倒れた。ナポレオンは二度の敗北によって失脚した。織田信長は信頼していた家臣に裏切られた。三者三様は歴史に残る偉大な功績を残した英雄であったが、大きな勝利を目前にして失敗を重ねて表舞台から消える事になる。これらが仕組まれたことで、歴史を元に戻そうとする力が裏で働いたと言うことなのだろうか。だとしたら、とんでもない陰謀だ。世界は常に操作されていたことになる。


「いや、それが真実だとして歴史上の偉人と僕が同じ扱いされるなんてことあるんですか?」


「君の場合は歴史の改編がされる事前に始末するに近い。なんでも、君をこのまま放置すると、数年後には全人類の半数近くが死滅する……らしい」

  

「らしいって……そんな曖昧な」


「ともかくだ。君は事前に潰すことで決着する予定だ。異論は認めない」


 そんな理不尽な。まだ何もしないのに裁かれるなんてあっていいはずがない。僕はまだ誰も殺してない。罪らしい罪なんて何もしていない。何なら生徒の安全を確保することに尽力してきた。神様の判断はどう考えても間違っている。そもそも、僕が人類の半数を虐殺するなんて想像できない。変幻自在であり制限がない底無しの魔力だとしても、それはあくまでも条件が揃ったらの話だ。それに僕は呪縛霊だ。学校からは出られない。人類の脅威とは言えないのが現状のはずだ。まあ、考え方によれば、誰かが僕を利用したり、何らかの方法で魔力を奪えば、あながち否定できないとも言える。


「それで仙崎は能力ってなんですか?」


 僕が一番気になっていたこと。仙崎との対決、魔術の教示、僕は幾度も仙崎の魔力に触れてきた。だから、断言できる。彼女の魔力は特異なものだ。


「世界の意思には危険因子を排斥する常套手段がある。それは対象の信頼する者、もしくは愛する者に神殺しの力を与えて確実に抹消すると言うものだ」


「そんな……」

 

 狡知だ。しかし、世界の命運を天秤にかけるなら、手段を選ぶなんて贅沢なのかも知れない。妙に納得してしまった。


「君にとって仙崎カンナは弱点に成りゆる」

 

「確かに。仙崎の神殺しの魔力は厄介だ。それは身を持って実感した。けどさすがに火力が足りない。僕を消滅させるには役不足だ」


「そんなことはない。今回は八賢人である私と、同格であるジャン・クロード・ロマンも絡んでいる」


「ジャン・クロード・ロマン? それは本当ですか?」


「あの刀を扱うシロってのは、ロマンが制作した自動人形だ」


「そう言うことか」

 

 シロが常人では不可能な変則的な動きを可能した理由は刀剣『弥助』の能力だ。重力を無視した高速の剣技の数々は、美技と表現しても良かった。ただ、刀剣『弥助』は本来の能力を発揮するには、強靭な肉体が必要なのだ。体を鍛えるだけで可能となる動きではない。強靭でありながら柔軟で、魔力との相性が良い肉体を持つことが条件となる、つまり才能だ。遺体を材料として、術式を複数組み込めるロマンの自動人形なら、『弥助』が求める肉体を創造するくらい可能だろう。


「それに君は魔力の上昇に伴って神性も強くなる。君が本気を出す頃には、カンナの一撃で消滅する。火力が足りないことはない」


 つまりなんだ。仙崎以外のメンツで僕をリンチにして、本気になったところを仙崎のワンパンで倒す。みたいな作戦か。勘弁してくれ。僕は人畜無害な一般怪異だよ。と胸を張って言えないのが現状である。


「しかしだ。カンナは君を消滅させることに反対しているようでな」


 君を成仏させたいらしい、と続けたアリスは大袈裟に嘆息しながら言う。


「君は人畜無害の怪異で、こちらが敵意を見せなければ問題はないと言うのだ。まあ、実際そうなんだろう。私もそれには同意する。しかし、世界の意思は納得しない。カンナが責務を放棄するなら、世界は容赦無く力を奪うだろう。それは嫌だろ?」

   

「どういう意味ですか?」

 

 背中に嫌な感覚があった。胸が締め付けられる。


「力を剥奪されるとは、おそらくだがカンナは命も奪われるだろう」


「仙崎はわかってるのか?」


「無論だ」


 仙崎カンナの死。その言葉の意味を認識することを、僕の胸が、血流が、脳が、感情が、拒絶した。強い拒絶は思考を奪う。けど、一つわかった気がする。この魔女は僕の敵だ。仙崎を出汁にして、僕を確実に消滅させるつもりだ。


「鬼神よ。大人しく消滅する気にはなったか?」


 僕が首肯したことを、わざわざ説明する必要はないだろう。

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