第22話『榊坂家の裏仕事 その一』
父から教えられた母の住所は瀬戸内に面した港町だった。
近いと言えば、それなりに近いが電車を乗り継ぐ必要がある。
数時間ほど掛かるが、昼過ぎには到着するだろう。安曇高座は都内在住なので、それに比べれば金銭的にも時間的にもありがたい。
しかし、住所しかないのでは、直接乗り込むしかないが――鬼が出るか蛇が出るか仏が出るか――出たとこ勝負は可能な限り避けたいが、仕方ない。
荘司の腕を掴んで離さない彩葉は、心配そうに言う。
「補導されないと良いけどね」
「大丈夫だろ。確信はないけどな」
彩葉は安物のサングラスで目元を隠している。
それ以外特に変装らしい変装などしていないが、むしろ、荘司なんかより堂々とした様子だった。一番不安に感じている対象が、警察機関か殺戮機関かという違いがあるからだろう。
そもそも、区別ができないような巨大な相手だから問題だが、逆に言えば、悩んでも仕方ないとも言える。
「こういうのっておどおどしている方がダメなんだよね!」
ただし、その長かったポニーテールはバッサリと肩口で切り落としていた。
というか、始発電車が来るまでの間に荘司が菊一文字で斬り落とした。ちなみに、その刀は現在、竹刀袋に隠している。
ショートボブの髪を触りながら、彩葉は嬉しそうに言う。
「気分一新って感じだね! 悪くないよね! 悪くないですよね!?」
「俺、ポニテのが好きだったけどな」
「うぐっ、そ、荘ちゃんは分かってないなー。これが良いんだよ!」
「そうなのか? 俺の個人的感想で言えば、彩葉の価値三割減だが」
「酷い! 酷いですよね!? 三割って微妙な減り具合が真実っぽいし! どうして真顔でそんなこと言えるのかな!? 荘ちゃんが切ってくれたのが良いんじゃん!」
荘司にはよく分からない。毛先は不揃いだし、整っているとは言い難い。美容院に行く時間なんてないけど、プロに任せた方が絶対に良いと思うが……。
「ま、分からない方が荘ちゃんらしいかもね」
フッと大人びた笑みを浮かべる姿は昔とのギャップでドキッとさせられる。
確かに荘司にはよく分からないにしろ、どこか吹っ切ったような彩葉の笑顔は悪くなかった。彼女が楽しいなら十分だ。
金銭的にはとりあえずしばらくは問題ない。彩葉の家の蓄えを持ってきたからだ。財産を整理していたところだから、足代としばらくの生活費くらいは十分だ。
母を頼り、それからは自立しなければならないだろうが、どれほど都合良くいくか……。
十三真鬼を討つ。つまり、母を殺すという案だってあるのだから、これからどんな人生が待っているのか自分でも分からない。
いや、分からないからこそ、希望が生まれるのだろう。
すくなくとも、死と絶望だけの未来からは逃れようとしているのだから。
一人の少女のために世界を敵に回す。
確かに最低で最悪な状況だが、人生が明日で終わろうとも、自分で決断できるだけ幸せのような気がする。
「荘ちゃん、アタシ、旅行って久しぶりかも」
「俺もだよ」
果たしてこれを旅行と呼べるかどうか微妙だが、とりあえず、話を合わせた。
「これからどうなるのかな? どうなると思う?」
「さぁな。ま、なるようにしかならないだろうさ」
それよりも何か食事取ろうぜ、と荘司は提案する。
「お腹空いたの?」
「ああ。なんかヤバい」
夜通しの逃避行から何も口にしていない。というか、決断を下すまでほとんど胃が受け付けなかったせいで、久しぶりにしっかりと食べたい。ハンガーノックは不味い。
「んー、でもね、アタシ、そんなにお腹空いてないの。不思議不思議」
「吸血鬼だって食事は必要なはずだけどな」
もう既に吸血鬼としての能力は彩葉に返している。譲渡したままの不具合があるかもしれないから、当面は必要時だけという方向にまとまった。もちろん、これからいろいろと実験しなければならないが、それは落ち着いてからの話だ。
そして、駅で弁当をニ人前購入したのだが、
「……これ、やけに味濃くないか?」
荘司は一口食べて違和感が半端なかった。顔をしかめながら彩葉に訴える。
「え、そうかな? 普通だと思うけど……」
「いや、濃いだろ。醤油とか塩とか使い過ぎだって」
「? そうかな? アタシは全然平気だよ」
「あ、まさか……」
そこでようやく気づく。父がやたらと味の薄い料理を好んだのは、半吸血鬼の弊害だったのかもしれないな、と。荘司は人間に戻っているはずなのに、これはどういう仕組みか。まだ彩葉との繋がりがあるのかもしれない。
「俺、薄味じゃないとキツイかも……でも、腹は減ってるし。くそぉ」
あまり荘司は乗り物には強くない。乗り物酔いフラグの予感があったが、あまり味わわず、お茶で流し込む。背に腹は代えられない。ただでさえ血が足りていないのだ。
「我慢、我慢。アタシ、全然問題ないし気のせいだってば」
「くっそぉ、個人差があんのかな」
「それより、アタシ、もうお腹いっぱいだから残りはあげる」
彩葉は本当に半分くらいしか食べていない。
荘司だけが食うというのも奇異に思われるかな、と思い彩葉の分も購入したのだが、ここまで小食は意外だった。基礎代謝が増えているんじゃないのか? 低燃費高出力ってどういうことだよ。もしかして、栄養吸収効率まで上昇しているのか? エコだな。
「……いただくよ」
お腹はとてつもなく空いているし、味も濃く感じるだけで美味しくなくはないのだ。
彩葉は名案だ、とばかりに目を輝かせる。
「そうだ! アタシが食べさせてあげようか?」
「それは断るっ」
「照れなくても良いのに。可愛いなぁ。荘ちゃん、とっても可愛いよ!」
「っ、るせぇ」
距離が近くなったからこそ、何というか、節度は必要だろう。
しかし、文句を言いつつ、この程度の問題なら笑えるから楽だな、と荘司は思った。
荘司たちの乗った電車が走り出した。
ほんの数時間後には新しい世界への一歩が始まるのだ。
その後のことを考えると武者震いなのか、単純な恐怖なのか分からない震えが生まれそうになるが、とりあえずは忘れることにする。明日には明日の風が吹くのだ。
まだ夜明け直前の時間帯だが、景色は背後へドンドン流れる。
その一つ一つの風景を目で追うことは難しくないが、さすがに疲労が蓄積されたせいか、ちょっと辛い。酔ったのかもしれない。
ゴトン、ゴトンという一定の揺れが荘司の眠気を誘う。
彩葉が窓を開け、
「風、気持ち良いなぁ! 気持ち良いよね! 荘ちゃん!」
「……そうだな……でも寒い……他の客に迷惑だろ……」
「アタシたちしかいないじゃん! 気にしない、気にしない!」
「……でも、止めとけ……」
寒いは比喩ではなく、純粋に。吸血鬼化した彩葉は感じていないのかもしれない。
あまり人間離れした真似は止めて欲しいというか、控えて欲しい。
他に客は全然いないけど、どこで見られているか分からないのだ。
「もうっ、無粋なんだから」
頬を膨らませて不快感を示すが、すぐに笑顔に戻り、窓を閉めた彩葉は荘司とくっつくようにして席についた。
冷えていた空気との差が激しいというか、暑いというか、熱い。恥ずかしい。
「……もう少し……離れろよ……」
「別に良いでしょ、これくらい」
むしろ、ギュッと腕を組んで荘司の肩に頭を載せてくる。
成長していたのか、吸血鬼化して進化したのか分からないが、意外と胸の膨らみがあった。ギャップのせいか、その破壊力は大したものだった。
「ちょ、おまっ」
「えへへへっ」
一瞬だけ覚醒するが、彩葉の呼吸とか鼓動とか聞いていると睡魔に再び襲われる。
安らぎ。
半分眠った頭で荘司は思う。
世界は広い。
だが、それもこうやって乗り物一つでいろいろなところへ足を伸ばせるようになった。
吸血鬼は確かに大した存在かもしれないが、絶対数の多い人間の発明してきた物が圧倒的なはずで、これは人間の力と言えた。それは十分に抵抗できる可能性を感じさせるもの。
闇の世界だけではないのだ。
今が最悪だと思える状況かもしれないが、逆に言えば、いくらでも立ち直る箇所はあるのだから――荘司はへこたれてなどいられない。
武士は食わねど高楊枝。昔から人間は見栄を張って生きてきた。
特に男は愚かでも、女の前では強がってきたのだ。
その中でも、好きな娘のため戦えるのだから、男としてはどこまでも頑張るしかない。
「荘ちゃん眠いの? 膝貸そうか?」
「……断る……普通に、寝る……」
「もうっ、少しは甘えてよ」
「……………………………………んじゃ、その……肩貸せ」
「うんっ!」
彩葉の満面の笑みが傍にあった。
これさえあれば、どんな状況でも戦ってやると思えた。
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