第21話『榊坂家の仕事 その九』
さて、どうしようか、と真一は考える。
意識を取り戻すともう荘司たちはいなかった。
こんな路上に放置かよ、失血と寒さで死ぬぞ、とも思うが、ポジティブにそれだけ信頼されているからだ、と受け取ることにした。絶対違う。仕方ないので、同じ目に遭えと呪いをかけておくことにした。
それにしても、血を失い過ぎて全身が鉛のように重い。
放っておいても死にはしないだろうが、十全に治療をしなければ、討伐人としての職は続けられないだろう。せめて今すぐ『弾丸』で仮吸血鬼化すべきか……。
しかし、わずかに体を動かすのでさえ億劫だった。ポケットから『弾丸』を取り出すことさえ難事に思えた。もうちょっと体力を回復させよう。
冬のアスファルトはヒヤリと冷たい。
既に止まっているが、流れ出した血が乾かずに凍りそうだ。血痕の処理もどうにかしないとな、と他人事のように考える。普段通りに安曇高座の子飼いには頼めない。
空に目を向けると三日月と星が見えた。田舎だから星明りは少なくない。
荘司たちがこの後、どうやって生きて行くかは分からないが、どうにでもなるだろう。
もしも、道半ばで死ぬことがあっても、それは精一杯生きた証だ。
悪い話ではない。
後悔を胸に抱いたまま生きるのは案外辛いものだから。
もちろん、その決断を後悔する日が来るかもしれないが、そこまでは神ならぬ身の真一にあずかり知らぬことだ。神様だって分からないかもしれない――逆に言えば、その程度のこと。
――と、その時だった。
空が翳ったか? と思うと同時に人影が現れた。その人影は言う。
「大丈夫? お父さん」
「夕音子か。いやぁ、死ぬかもな」
ヘラヘラと普段のように笑いながら真一は言うが、どうして愛娘がこの場にいるのか不思議だった。真一はこの件を彼女に伝えてない。拗れると厄介だが、拗れない理由が何一つ見つからなかったからだ。
「大丈夫でしょ。その程度の傷だったらすぐに治りますよ」
娘の髪には見たことのない花を模した髪飾りが差されてあった。
視線に気付いたのか、夕音子は「ああ」と頷き、嬉しそうに付近の髪を撫でる。
「これ、ちょっと早いけど、荘ちゃんから誕生日プレゼント。あと、ハンドクリームも添えてあったの。もう帰って来ないつもりだからかな。お礼を言うつもりだったのに、間に合わなかったなー。ま、すぐに会えるから良いかな」
おかしい。
どうして、血だらけで倒れている真一を前にこんな態度が取れるのか? 言動全てが普段通り過ぎて、逆に狂っているとしか思えない。
「夕音子、お前……」
「あ、まだ思い出せない(、、、、、、)んだ」
クスッと口元に手を当てながら夕音子は笑う。そして、背後に呼びかける。
「朝陽ちゃーん、真ちゃん、まだ思い出せないみたいだよー」
そして、
「そうなんだ。残念な話だね。うん、残念」
そんな言葉が返ってきた。
「え……?」
衝撃が大き過ぎて意味が分からない。何故、今、十三真鬼となった妻の名前が出てくるのか? 夕音子はどうしてこんな態度を取っているのか?
そして、現れたのは確かに妻の姿だった。ただし、記憶のものと寸分違わず、二十代前半の若いままだ。実際は真一の一つ年上だが、吸血鬼となったから不思議ではない。
朝陽はこちらの混乱など気にした様子も見せずに問う。
「んー、夕音ちゃん? 真一君にも説明してあげた方が良いかな?」
が、その容姿があまりにも夕音子と似ていることは衝撃的だった。わずかに年上の夕音子という姿。夜目のせいもあるかもしれないが、髪飾りがなければ区別が難しいほどでこんなに娘と妻が似ているとは思わなかった。
そこで違和感が生まれる。
どうして、似ていると思わなかったのか? 母と娘、血が繋がっているのだから当たり前だ。いや、そもそも、家には朝陽の写真がなかったからではないか? だから、比較できなかった。が、冷静に思い返せば、家に一枚も写真がないことを不思議に感じないのもおかしくないか?
いや――落ち着け。
真一は深呼吸する。
何か大きな事態が起きていることは間違いないのだから感情を飼い馴らせ。冷静に臨め。
夕音子もこちらの動揺など気にした様子も見せずに応じる。
「そうだね。どうせ忘れるけど、最後にちょっとくらい答えを教えてあげても良いんじゃないかな」
「夕音ちゃんらしいな。うん、とってもらしいね。一度、殺されかけたのに、優しいんだからお人好しよね」
「……え」
どういうことだ? 殺した? いや、どういうことだ?
夕音子は転がっていた虎徹を拾い上げ、ポケットから取り出したハンカチで血を拭う。
「良い刀ね。うん、荘ちゃんが持って行った菊一文字に負けないくらい」
「私の持ってる和泉守と同等クラスの業物だもん、当然だよ」
フフンと自慢気に笑う朝陽に、夕音子は苦笑する。
「それも、もともと榊坂家のものなんだけどね」
「私だって榊坂だよ。榊坂朝陽。真一君と離婚してないからまだ貰う権利はあるもんね」
「それもそっか。じゃあ、私がこの虎徹貰うね? あ、大丈夫だよ、真ちゃんはもう戦う必要ないから。安曇高座陣営とは話をつけるから静かな余生を送ってね? って、まだ三十代の人に言うセリフじゃないかな? でも、真ちゃんも幸せになって欲しいのはホントだよ?」
勝手に話を進める夕音子と朝陽が真一は許せなかった。
「ど、どういうことだ、夕音子、朝陽っ?」
夕音子は笑う。
「うん、簡単に言うとね、真ちゃん、私ね、あなたの娘じゃないんだよ。あなたが討伐人になる前に斬ったと思い込んだ幼なじみなの。思い出せたかな?」
朝陽は笑う。
「もう無理かも。ちょっと真一君の精神、強固に精神弄くり過ぎちゃったかも」
「さすがは『黄昏の魔女』。悪女だねー」
「いやいや、不可抗力だって。仕方なかったし。でも、朝陽なのに黄昏っておかしいよね」
そして、二人でケラケラ笑う。
薄ら寒さを感じつつ、真一は訴える。
「だ、だから、待ってくれ。意味が分からない」
夕音子は混乱している真一にも丁寧にニコニコと応対している。
「んー、だからね、真ちゃんは私を殺したと思い込んだだけなの。あなたが殺した幼なじみの名前、思い出してみて? 真剣にね」
思い出そうとして至ったのは、
「――夕音子?」
目の前の娘と同名だった。
姿形まで何から何まで一致する。
しかし、そんな、まさか、そんなバカな。
今まで自分が信じてきたもの、全てが崩れていく感覚に真一は震える。
「認めたくない気持ちは分かるよ。でもさ、朝陽ちゃんがどうして吸血鬼になれたか分からないかな。吸血鬼の知り合いがいたって思わない? それが誰かって考えたら、生きていたことなんて不思議じゃないでしょ?」
「そんなバカな! だが、俺は、確かに、夕音子を殺した……はずだ……」
本人を前にして言うことではないのかもしれないが、言わずにいられなかった。あの時確かに感じた失われる温もりが嘘だとはとても思えなかった。
夕音子は「残念、ハズレ」と言う。
「違うよー。私の能力はどんな人間でも化けられること。老人でも赤ちゃんでも男でも女でも化けられるの。だから、死体に化けることも簡単」
「夕音ちゃん、『百貌の魔女』って呼ばれているんだよ。もちろん、十三真鬼の一人。不意打ちで殺して、そのまま乗っ取ったの。だから、『黄昏の魔女』の私も上手く席を奪うことができた。分かるかな? ま、私の能力なら、安曇高座以外は比較的簡単に殺せるけどね」
二人の様子はとても楽しげだったが、どうしても気になることがあった。
「夕音子は、俺に復讐するため、こんなことをしたのか?」
夕音子は「まっさかー!」と軽やかに笑い飛ばす。
「真ちゃんの立場にすれば、仕方なかったと思うもん。それに、凄く後悔してくれていたのは知っているしね。殺されそうになりながらも、安曇高座を暗殺しに行ってくれた姿はちょっと感動したし」
「あ、それ、私も! だから、真一君と結婚したんだしね!」
そんな記憶、真一にはない。安曇高座に刃向かった? そんな莫迦な。
夕音子と朝陽が「朝陽ちゃん、それ、惚気話?」「違わないけど、照れるから止めてよ!」なんて少女のようにはしゃいでいる姿を遠く感じる。
現実が歪んでいる。しかし、自分の考える現実なんてその程度のものなのかもしれない。今まで生きてきて、ある意味支えだったことが根底から崩れてしまったのだから。
朝陽をからかって満足したのか、夕音子は内緒話の口調で言う。
「私はね、荘ちゃんに一目惚れしただけ」
「夕音ちゃんってば、生まれたばかりの甥っ子に恋しちゃったもんね。ま、私と真一君の子供だもん。可愛いのは当たり前だけどね!」
「うん。可愛いよね、荘ちゃん。スッゴク可愛い! 世界一可愛いと思うの。だから、一緒にいたかっただけ」
「何を、言ってる……?」
あまりにも楽しそうな二人の姿が、真一にはとてつもなく恐ろしい。
夕音子は言う。
「理不尽だよね。理不尽。私、安曇高座の戯れで吸血鬼にされちゃってさ。それで、真ちゃんに殺されそうになったんだよ? 恨むなら、そっちだよね」
「……夕音子、お前、まさか」
「うん。今の状況、似ているよね? どうしてかな」
他人事のようだったが、それはとても信じられない言葉だった。どうして、こんなことになっているのか。何が起きているのか真一には分からない。
「鈴木一郎の、件も、お前らだな……? 俺が、そんなに、憎いのか……?」
「ブー、ハズレ。それは安曇高座の刺客よ。真ちゃんは全然悪くないの。ま、向こうから喧嘩を売ってきたんだし、そうじゃなきゃ、現状維持で私は良かったのにさ」
「ね? 安曇高座から平和協定ぶち壊したんだもん。ちょっと許せないよね」
鈴木一郎の件は朝陽からの嫌がらせかと思っていたが違うようだ。
真一はもう何も分からない。
だから、その分からないことが苛立ちから叫びになる。
「お前らの、目的は、何なんだ? 荘司には、普通に、生きて、欲しいって、言ってたじゃ、ないか!?」
「真ちゃんは無粋だなー。荘ちゃんが幼なじみのために生命を張れるか試してみた、じゃ納得できないの? 素敵な話でしょ? 愛する娘のため命を懸けて戦う。やっぱり、荘ちゃんは可愛くてカッコ良いな。大好き過ぎるよー」
真一の視界の端で、朝陽が楽しそうに動き出すのが見えた。
おそらく、また記憶を操作されるのだろう。
そして、もう思い出すことはない。
「荘ちゃんも彩葉ちゃんも成長したら強くなるよ。だから、大丈夫。真ちゃんは安心してこのまま平和に暮らしてね」
夕音子の言う『平和な日常』という奴に放り出されるのだろうが、とても幸せとは思えなかった。知りたい。そして、それを荘司に伝えたい。無理なことは承知で真一は願う。
夕音子は続ける。
「んー、それでもあえて言えば、個人的な復讐と野望。あとは、吸血鬼の社会的立場の向上かな? 理不尽に殺されるだけなんて納得できないでしょ?」
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