第19話『榊坂家の仕事 その七』
倒れた真一を見下ろしながら、荘司は胸に突き刺さった虎徹を引き抜いた。
すぐに傷は塞がろうと肉が蠢くが、大量の血がゴポッと吹き出、それと同時に口からも血が漏れる。これはさすがに致命傷だったかもしれない。
それでも回復しようとするのだから、吸血鬼というのは圧倒的だった。
しかし、実際の話、傷が塞がる前に治癒効果は終わりかけていた。
この程度の効果時間しかないとは計算違いだ。
表面上は治っても、貫かれた内蔵は損傷したままのようだ。所詮は仮吸血鬼、ということか。いや、傷がとりあえず塞がるだけでも感謝すべきだろう。
自分の能力が超回復だ、と気付いたのは偶然だった。
ただ一回だけ『弾丸』を使用していたから、何となく分かったのだ。こうすれば、父を倒せるかもしれない、と直感的に悟った。羽ばたく鳥が飛び方を本能的に理解するように、その直感に従った結果だ。まさに薄氷の勝利だったが、勝ちは勝ち。
ちなみに、試しは病室前にいた黒服を昏倒させるために使用した。
速やかに倒すためというより『弾丸』の効果を確かめるため。そもそも、そうでなければ、圧倒的確実に倒せるわけがない。すくなくとも音はしただろう。
父の傷は荘司より遥かに遅いが、確かなペースで治癒している。
右肩から左脇へ深く斬り裂き、そのまま両腿を横薙ぎに斬り払ったのだが、この調子だと半刻もしないうちに戦闘能力を取り戻すかもしれない。
体が半ば吸血鬼化しているため、だろう。何となく理不尽だと思う。自分の能力を根本から否定されている気分。いや、どちらにせよ、もう『弾丸』がないので、吸血鬼にならないと無理なのだが。父の懐を探れば持っているだろうか?
それよりもとどめを刺すべきだ、と荘司の理性が告げている。全ては終わった後で構わない。
そうすれば、逃げ切れる可能性が高くなるだろう。
しかし、荘司が決断を下す前に、彩葉が傍に駆け寄ってきた。
「荘ちゃん、大丈夫なのっ!?」
「いや、大丈夫じゃない」
「え……?」
顔を曇らせる彩葉に荘司はおどけたように笑いながら告げる。
「だから、俺を吸血鬼にしてくれよ」
荘司の言葉に「もうっ」と、彩葉は頬を膨らませる。
「そんな軽口叩けるなら十分でしょっ。もう治ってるじゃない!」
「いや、冗談じゃなくてな」
グラリ、と荘司の視界が揺れる。世界から色彩が喪われつつあり、思わずたたらを踏むが、どうにか耐えた。
まだ大丈夫。と信じることで耐えた。
「荘ちゃんっ!?」
彩葉が荘司の脇の下から支えるようにして抱きかかえてくれた。か細い少女の腕だが、腕力は吸血鬼のもので、不安定さはなかった。助かるが、情けなさも感じる。
「ちょっと疲れただけだ、心配すんな」
「でも、傷は塞がってるみたいだけど、顔色超悪いよっ! 大丈夫じゃないならそう言ってよ! そんなにアタシは頼りにならないかな!? ならないか……」
「自分で言って勝手にヘコむな、アホ。しかも、俺、最初にヤバイって言ったし。理不尽なやつだな。もう俺は『弾丸』も持っていないし、これからも彩葉を守る力として、吸血鬼化は必須だろ」
荘司の言葉で彩葉は黙った。
そして、
「ねぇ、荘ちゃんは本当にずっとアタシの傍にいてくれる」
「約束する」
「それはいつまで?」
どういう意味だろう。
「アタシが死ぬまで傍にいてくれる?」
「当然だろう。でも、死ぬとか簡単に言うなよ」
俺の方が先に死にそうだけどなー、と言うかどうか迷い、結局、口を噤む。洒落にならないし、多少は空気を読んだ。
「でもさ、アタシが死んだら、荘ちゃんは追われる理由がなくなるんだから、吸血鬼になる必要ないよね?」
「莫迦か。もう俺はお前と一蓮托生だっての。それに俺の寿命が尽きちまうだろうがよ」
「そんなに長い逃亡しても、十三真鬼になれないんだったら、生き残ること事態無理だよ。きっとここ数年――いえ、数ヶ月が勝負。それまで生き残れるかどうかが問題だからね。アタシさえいなければ、荘ちゃんだったらどんな状況でも生きていけるよ。おじさんや夕音ねぇだって許してくれるに決まってるもん」
理屈としては理解できるが、それではダメだ。荘司が受け入れられるとは思えない。
彩葉は何かを悟ったかのように微笑む。
「アタシの能力、分かったよ」
「え?」
突如、彩葉の手の内から暖かい光が生まれ、それが荘司の中に吸い込まれた。
目を凝らして確認しようとするが、その前に光は消失する。
それはほんの一瞬の出来事だった。
ただ、その結果、身体が軽くなった。まるで、仮吸血鬼化した時のように。
そして、荘司の身体から痛みが消えていた。皮膚の下の肉が蠢き、急速に元の形に戻ろうとしている。体が修復、いや、復元されつつあった。
しかし、『弾丸』の効果は切れているはずなのに、どうして?
グラリと荘司の身体が揺れたのは、支えてくれていた彩葉の腕から力が失われたからだった。
「あ……っ」
「え?」
荘司が踏ん張ろうとする間に、彩葉の身体が崩れた。
「イテテテ……」
「そ、荘ちゃん、そこダメ。ど、どいてよぉ……」
体勢的に荘司は彩葉の身体の上にのしかかり、何というか、いろんなところを触っていた。ひたすらに柔らかい。すぐに飛び退る。
「す、すまん」
「ふ、不可抗力だから仕方ないよね。別に全然嫌じゃないけど……でも、喜んでいるわけでもないからね! 本当だよ! 本当ですからね!」
彩葉は闇の中でも分かるほどに真っ赤だった。先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のようだ。なんか、死にたくなる。でも、ずっとこのままいたいと強く思う。彩葉の前に跪き、屈服したいという欲求が生まれる。彩葉は素晴らしい人だから。大切な人だから。
しかし、なんだろう、この違和感は?
そこで荘司は気づく。
さっきまでだったら、こんな夜中では赤くなっていることなんて気づかなかっただろう。
超回復能力。五感強化。彩葉の体力低下。予想としては、分け与えた?
荘司が気付いたことに気付いたらしい彩葉は「うん」と頷く。
「アタシの吸血鬼としての能力を荘ちゃんに貸したのかな。形としては」
つまり、
「これがアタシの能力みたい。魅了の一種かな? 仲間を強化して戦わせる、的な。スレイブ化とかそんな感じかな。力を託した? 多分、これもそんなに長い間じゃないけど、とりあえず、ケガが治るまでは頑張って続けるよ」
死ぬまで傍にいる、ということ。つまり、死んだ後は自由ということ。更に言えば、これは魅了の結果であり、荘司に責任は負わせないということ。
それは荘司の要望と彩葉の願望の妥協点の結果だった。
「……俺を吸血鬼化してくれれば、もっと確実に十三真鬼を殺せるだろうに」
「二人とも吸血鬼だったら逃げられないって。どっちかは人間じゃないといろいろ厳しいよ」
それが彩葉の大義名分で言い訳。失敗しても荘司が人間生活を送れるようにという願い。
不要な気遣いが嬉しくないわけではないが、荘司は舌打ちをする。
「彩葉は……優しい奴だな」
「そうかな? そんなことないと思うけどね」
ケガが急速に治っている今、残った問題は一つだけだ。
「父さんを殺すだけ、か」
「荘ちゃん、待って。それは止めて」
彩葉は真剣な顔で言う。それは泣きそうでさえあった。
「おじさん、良い人だし、もう夕音ねぇに会えなくなっちゃうよ!」
「そうだな。でも、とどめを刺した方が逃げられる確率は高いだろ」
「そんなの関係ないよ。もう良いってば。このまま逃げようよ!」
「すぐ追いつかれるぞ」
「でも、アタシが嫌なの。荘ちゃんのお父ちゃん、アタシにも良くしてくれたし、家族で殺し合いとか絶対にダメ。アタシは許さないからね! 許しませんとも!」
どうするべきか? 彩葉の言葉は絶対であり、逆らう気力を奪う。これが彩葉の能力。しかし、彩葉のためにこそ、非情になるべきかもしれない。
一刻一秒が砂金並に貴重であり、そんな迷う時間さえも無駄だった。
正直、父を殺したくなどないが、安全に逃げ切るためには口を封じる必要がある。しかし、分からない。どうして良いのか、分からない。
「…………」
「一緒に逃げよ。きっと大丈夫だよ」
彩葉にギュッと袖を引かれた。
結局、その結論は変えられないのだ。
「……悪いな、彩葉」
弱いままかもしれないが、父殺しにならずに済んで荘司もホッとしていた。
「アタシのお願いだもん」
彩葉は良かったよ、と微笑む。だから、荘司もありがとう、と返した。
荘司は彩葉の手を取り、とりあえず、その場を離脱しようと――。
「待て」
父にいきなり呼び止められた。
このまま無視して去るべきか少し迷った。もう真一の傷も半分くらいは治癒完了しているようだったし、言葉を交わすことで未練や後悔が生まれる気もしたからだ。
しかし、結局、
「もう行くよ、さようなら父さん」
荘司が別れの言葉を告げると、真一は倒れたまま言う。
「もう止めん。止めんが、これからお前たちはどうするつもりだ」
「安曇高座を殺(と)りに行くよ」
ごまかすためではなく、本心でそう告げると父はため息を吐いた。
「お前は俺に似ず無鉄砲だな……。絶対にできるわけがないだろ」
「やってみないと分からないだろ?」
「やる前から分かるよ。お前は安曇高座の怖さを知らない。狙うなら他の吸血鬼にしろ。安曇高座が最強の吸血鬼だから……と言っても、他の吸血鬼の方がまだマシというくらいか」
そもそも、他の吸血鬼の居場所なんて全く分からないのだから、荘司たちに選択肢など最初からない。
父はポケットから一枚の紙を取り出した。
「これをやる」
荘司は襲われないよう警戒しながら受け取る。
「これは?」
「十三真鬼の一人の連絡先だ。上手く交渉しろ。それはお前の母さんだよ」
あまりにも自然な流れでとんでもない情報を告げられ、発作的に混乱する。え? 誰って言った? は?
「荘ちゃんのお母ちゃん?」
彩葉の不思議そうな一言に荘司は我に返る。そんなバカな。
「はぁっ? 母さんは死んだんじゃなかったのかよ?」
「お前、母さんが死んだ記憶ってあるか?」
「いや、覚えてないけど……俺が物心つく前に死んだんだろ?」
「それが、母さんの『黄昏の魔女』の能力だよ。記憶操作だ」
その名前は聞いた記憶がある。魅了の魔眼の持ち主だったか? しかし、記憶操作ってとんでもなく凶悪じゃないか。実の息子に対してそんなことをするのか? いや、それくらい悪魔的でなければ、十三真鬼になどなれなかったのかもしれないが……。
ふと、そこで一つの疑問が生まれた。
「どうして? どうして俺が母さんに会わなきゃならないのさ」
父さんは俺の質問に答える代わりに、
「俺の最初の討伐も幼なじみだったよ。今の荘司と同い年くらいだったな」
関係ないとしか思えない昔語りを始めた。
「…………」
ふと思う。感情を律しろという父の教えはその経験則を反映させたものだろうか?
「俺は幼なじみを殺した。お前の母さんはその幼なじみの双子の姉だったんだよ」
「……え」
父はとてもしんどそうにため息を吐く。失血や疲労だけが原因ではないだろう。意識を失わないよう必死なのは見て取れた。
「お前の母さん――朝(あさ)陽(ひ)姉さんは俺を許さなかった。だから、荘司を産んでからどうやったかは分からないけど、吸血鬼化して、十三真鬼の一人を狩った。うちから和泉守兼定を盗んでな。朝陽は俺を許してない。鈴木一郎もあいつの手のものだろう。動機は復讐だろうな。でも、お前のことは心配していた。だから、酷い目に遭うことはないはずだ」
たまに電話してくることだってあったんだぜ? 非通知だけどな、と、父はとんでもない秘密を暴露してきた。
会いたいとも話したいとも思わないが、やはり衝撃的だった。
しかし、そんな過去を父さんが持っているなんて全く知らなかった。隠されていたのだから当然か。
吸血鬼について教えなかったのも、そのせいか。
しかし、夫婦で敵対関係とは穏やかではない。例えば、俺は姉と事を構えられるだろうか? 荘司は考えるが、難しい気がする。はっきり言うと無理だ。
父の言葉を罠だと思わなかったと言ったら嘘になる。
だが、彩葉を見るとウンと軽く一つ頷いた。視線と共に心も通じ合った気がした。どうせ今の荘司たちは海図も羅針盤も持たずに海に出た船乗りのようなものなのだから、手がかりは一つでも多い方が良い。罠かも知れないが、虎穴に入らずんばなんとやら、だ。
「分かったよ」
だから、荘司は消極的に信じることにした。
「ありがとう」「ありがとうございました」
彩葉と二人で頭を下げた。
父は「そうか」と呟き、血が足りなくなったのか、その場で失神した。
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