第18話『榊坂家の仕事 その六』

 榊坂真一は息子を見ながら思った。

 ――やはり討伐人には向かない子供だったな、と。


 もちろん、夕音子の意向も汲んで、無理に討伐人にさせるつもりなどなかったが、それでも多少は期待していたのだ。才能は申し分なかった。自分より確かな剣の素質がある。優しい性格を除けば最強の討伐人になれただろう。

 そもそも、父が息子に期待しないわけがない。


 真一がわざわざ永続的な吸血鬼化なんて口にしたのは何故か?

 それは半ば威嚇と牽制のためである。

 敵対関係にある今、彼の言葉を信用する理屈などないのに荘司はそれを受け入れ、戦意を喪失しないまでも懊悩している。迷いは動きに表れ、鈍っている。

 そんな莫迦げた話があるものか。

 吸血鬼化が進んでいるということは真だ。

 しかし、『弾丸』を使用した場合の精々が六割程度の身体能力しかない。

 確かに人間は超越しているが、吸血鬼並でも身体能力に優れない者クラスでしかない。だから、しょせんは中途半端な半吸血鬼なのだ。


 真一が普段の狩りでわざわざ『弾丸』を服用していることは荘司も知っているはずなのに、冷静さを欠いて思い至ってない。

 だから、今、荘司が持っているであろう『弾丸』を使用すれば、五分の戦いができるはずだ。能力次第では五分以上だろう。こちらの能力である、鉄板流は把握されているのだから五分以下ということはない。


 ふと、真一は昔のことを思い出していた。

 真一が初めて吸血鬼を斬ったのは、やはり今の荘司と同じような状況下であった。


 幼なじみが吸血鬼化したのだ。


 その原因はもうハッキリ覚えていない。

 いや、それを言うなら、幼なじみのことも詳しいことは覚えていない。正確には努力して忘れようとして、忘れた。人は意識して記憶を騙すことさえできるのだ。


 とにかく、真一は幼なじみを斬った。

 しかし、息子の荘司は幼なじみの彩葉を斬ることを選ばなかった。


 それは、それだけの差でしかなく、実のところ、大した問題ではない。

 感傷に浸ることも、何かを託すような見方をすべきではないのだ。

 そもそも、ここで息子が自分を斬れないのであれば、どうせ誰かに殺されるに決まっているのだ。誰か、真一以外の討伐人か吸血鬼に。その人格次第によっては言葉にできない悍ましい目に遭うだろう。

 汚れ仕事なのでネジの壊れた人格は残念なくらいバリエーション豊富だ。

 だとすれば、ここで引導を渡すのが親としての役割であり、義務であり、優しさでさえある。

 だから、真一は無言で荘司を威圧し続ける。

 命乞いをしてくれ、諦めてくれ、と。

 しかし、このまま信念を貫いて欲しいという矛盾した気持ちもあった。自分にできなかったことをして欲しい。やはり仮託する願いに内心で苦笑してしまう。

 醜悪だった。


 無表情にどうにかこの状況を抜け出そうと策略を巡らせている荘司は、刀を構えたままの姿勢で、警戒は解いていない。

 しかし、苦悩が伺えるほどなのにほとんど隙がない。

 同程度の身体能力であれば、技術差はさほどない。

 真一の方が経験による老獪さは上だろうが、単純なセンスを比べると、同い年だった頃の真一より遥かに荘司の方が上なのはこの点からも明らかだ。

 まだ荒削りだが、剣道家として見れば、親のひいき目抜きで非凡という言葉が生温い程の天才だ。幼き日から十年一日の如く、鍛えに鍛えた鋼の結晶。金剛石よりも貴重な努力の日々。

 だからこそ、父としてケリをつける。


 ジリジリとした時間が過ぎ、ほんの一瞬だけ、彩葉を見る。

 泣きそうな顔で、こちらを祈るようにして見ていた。

 可哀想なことだ、と真一は他人事のように思う。

 彼女の両親も普段からとても良くしてもらっていた。申し訳なさで一杯だ。責任の一端は確かに自分にもあるのだから。

 しかし、それとこれは別問題なのだ。

 やはり吸血鬼という存在は危険なのだから。

 それでも、全てを捨てでも守りたいと息子が思った相手だと考えれば、ある種の感謝の念さえもあった。そう思える相手と巡り合うこと、それを人は幸福と呼ぶのだろうから。幼い頃から可愛がってきたのだから、義理の娘になる将来さえ夢に見た。

 儚く、虚しい夢だったが。

 それも終わりだ。


 ため息かどうか自分でも分からないような引き絞った吐息。

 真一は息を抜いたことで、新鮮な吸気を肺腑に溜める。

「シッ!」

 余った息を吐き出しながら、溜めた力を爆発させる。

 飛び込む。

 体勢はやや低く。

 荘司の反応は速かった。

 真一が足元を狩るような一撃を放つと、荘司は軽やかなバックステップで避ける。しかし、人間の身では限界がある。遅い。

 そのまま斬り上げるようにして追撃すると、荘司は刀の切っ先で弾いた。刃毀れを避けるため直接当てるわけではなく、方向を変えるための手段。

 真一の膂力が勝り、弾いたはずの荘司の体勢が後傾に崩れる。

 崩れた隙を逃さず、真一は左袈裟に斬り下ろす。

 それを読んだ荘司は右腕を差し出す。

 一か八かで肉を差し出し、骨を断つ作戦に出たのだろう。

 致命にならない程度の損傷で勝ちを獲得するつもりだろう。


 甘い。


 将棋の中に、一人で挑戦する詰将棋という種目がある。最善手を続けて指し、相手の王を詰ますのだ。これもその一環。

 真一は、荘司が一か八かの賭けに出るであろうと読んでいた。

 そう出ざるを得ない状況に追い込んでいた。

 だから、それまでずっと攻め続けていたのに、刀を引いた。

 差し出してきた右腕を無視し、一歩後ろに下がる。

「え……?」

 という荘司の声が虚ろに響いた。

 そして、真一は横に寝かせた刀を踏み込みつつ、突き出す。

 首と心臓を荘司は無意識的にガードしていた。咄嗟の判断にしては悪くない。

 だから、狙いはそれ以外。

「しゃあっ!」

 気合と共に突き出された真一の刀は見事に荘司の鳩尾を貫いた。



 彩葉は荘司が貫かれる光景を目撃し、悲鳴をあげそうになった。

 真一が荘司を斬った。いや、貫いた。

 一突きで胸を刺し抜かれた荘司は、ゲホッと大きな血塊を吐く。刀を持たない右手で口元を拭った。その手にベットリと血が付着している。

 それを目の当たりにして、彩葉はクラクラと目眩に襲われる。


 ――今からでも、アタシが命を差し出せば、荘ちゃんの命だけは助けてもらえないだろうか?

 その考えに取り憑かれて、そうすべきだ、という意志に襲われる。

 ずっと守ってくれたのは荘司だった。

 故に、彼しかないという状況が怖かった。

 それは荘司に見捨てられたら、何もないということだから。

 そして、こんなじり貧の状況でも荘司は彩葉のために命を懸けてくれた。

 もう、それで満足じゃないか。

 彩葉は、自分の人生は幸せ過ぎるほどに幸せだった、と思う。

 荘司のせいではないし、もう十分迷惑をかけたのだから良いじゃないか。


 荘司が死ぬことは自分が死ぬよりも恐ろしかった。


 もう、無理だ。

 叫ぼうとして、ふと彩葉は思い出す。

 ――彩葉っ! 絶対に、何があっても、手を出すなよっ!

 その一言を。

 それはまばたき一つに満たない逡巡。

 彩葉は荘司のことを信頼できるかどうかで判断した。

 しかし、それは自分にも当て嵌まる。

 荘司の信じてくれという信頼に応えなければならない。

 唇から血が滲むほど歯を食いしばり耐えた。

 言葉を飲み込み、手を引っ込める。

 ただ、強く祈った。

 大好きな幼なじみの勝利を。



 真一はため息をつく。

 終わった――いや、最後までとどめを刺さねば。

 息子を刺し貫いた刀を引き抜こうとして、真一は気づいた。


 抜けない。

 刀が抜けないのだ。


 刀で肉を穿つ際に注意すべきは、周囲の肉を広げながら引く必要があること。摩擦力の関係で真っ直ぐ刀を抜くとつっかえるのだ。

 そして、それは普通、それほど難しくない。

 軽く捻るだけで周囲の組織を破壊し、傷を広げることができるからだ。

 だが、今、まるで周囲の肉が再生しようとしているかの如く蠢いていた。そして、一瞬の抵抗を確実にするためだろう、荘司は右手で虎徹の刃を持たないようにガシッと掴んだ。


 そこで真一はふと思い出していた。

 血を吐いた際に口を拭った時のことを。

 あれは口を拭ったのではなく、『弾丸』を口に運んだのではないか、と。

 そして、吸血鬼とはいえ、この回復能力は異常だ。そこで至った思考はひとつだけ。


「……超回復能力?」


 そんな都合の良い能力が発現するとは、知っていたのか? いつ? どこで?

 考えたって分かるはずもないが、荘司はこうやって、真一の攻撃力を奪うために生命を張ったということ。

 真っ向勝負という一か八かではなく、確実に不意を打つために。

 その場で虎徹を手放すべきだったが、真一は一瞬だけ息子に感心してしまった。

 こんなに戦術面も含めて成長していたのか、と。自らの生命を差し出してでもこちらの首を狩る。それは討伐人としての才能も疑いようもない、ということ。逃亡中の身ということは、ケガをしても癒せないのに、肉を斬らせて骨を断つとは――。

 それが隙だった。

 親というよりも師匠としての感嘆。

 本当だったら、自分も『弾丸』を飲んで鉄板流として受け切れば良かったのに。


 荘司の左腕一本で振るわれた菊一文字を真一は避けきれなかった。

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