第15話『榊坂家の仕事 その三』

 帰宅した荘司を出迎えてくれた夕音子は開口一番、こう言った。

「荘ちゃん、大丈夫だった?」

 それはどういう類の心配をしていたのか、荘司にはちょっと伝わらなかった。

 とりあえず、彩葉の逃亡の心配ではないだろう。


「問題ないよ。何か黒い服着た男が詰めてるし」

 そもそも、今の彩葉に単独で逃亡するほどの体力はあっても気力はない。

「そうじゃないよ……そんなに強がる必要ないんだよ?」

 こちらの内心を見透かしたような態度だが、むしろ、見透かせないなんてことの方がありえないか。長年共に暮らしている実の姉なのだから。


「辛い仕事だもんね」

 夕音子は荘司の体に手を伸ばし、ギュッと抱きしめてきた。

 荘司は力なくそれを甘受し、積極的に応じることも抵抗することもなかった。どこかボーッと頭が回らず、夢遊病患者のようなため息を吐く。

「別に……俺は大したことないよね」

 本当に、実の両親を失ったばかりの彩葉に比べれば全然大したことない。比べることさえおこがましいほどだ。

 しかし、そもそも、他人と不幸を比べてどういう意味があるのだろうか?


 夕音子は優しく質問する。

「荘ちゃんは、彩葉ちゃんのこと好き?」

「好きだよ」

 荘司の即答に、姉は「そっかー」と呟く。

「うん。やっぱり、辛いことだよね」

 その他人事のような言葉なのに、深い悲しみを湛えた瞳に荘司は何も言えなくなる。

 あえて、怒りを自分に向けるつもりなのだ。


「……何が悪かったのかな?」

「悪いのはあの吸血鬼の男。無関係の人間を巻き込むなんて最悪」

 そう、それは間違いないだろう。

 そもそも、自分が悩むのは間違いなのだ。

 この件に関して完全な無関係で、むしろ、自分も殺されかけたくらいだ。巻き込まれて災難であって、悩むのはお門違い。むしろ、一種の傲慢かもしれない。荘司の存在など一欠片の意味もないのだから。

 だが、心苦しさはどれだけ正論を並べ立てたとしても晴れなかった。


 ふと、思い出したことがあった。

 いつだったか、荘司は彩葉と『納得』について会話したことがある。


 それは二人きりで、徒歩で帰宅をしている、夕暮れ時の会話だった。

「結局、人に必要なことって『納得』なんだよな」

「納得? んー、自己満足とかそういう意味かな?」

「ああ。例えばさ、殺人鬼が女の子を殺したとする」

「いきなり物騒な例えだね」

「例えば、彩葉がレイプ魔の変態にいろいろされて惨殺されたとする」

「具体的になった!? 無用だよね! 無用ですよね!?」

「具体的か? いろいろって言葉を選んだんだけど」

「選ぶべきはそっちじゃないよね! 荘ちゃんはもうちょっと考えるべきだと思うな! アタシは遺憾の意を表明しちゃいます!」

「まぁ、彩葉が殺されたのは痛ましいことだよな。被害者だし、可哀想だ」

「んー、なんかいろいろ腹立つけど、それがどうしたの?」

「でもさ、絶対にこういうこと言い出す奴がいるんだよ。『変態に狙われたなんて釜田彩葉にも何か問題があるに違いない!』ってね」

 彩葉はゲンナリした表情で頷いた。

「あー、いるねー、そういう人。絶対いるよ」

「別にさ、そういう意見を言うのは自由だと思うんだけどさ、そういう奴って『他人と違った意見を言える自分かっけぇ!』とか思ってんのかな?」

「よく分からないけど、人と違った意見を言うって快感なんじゃない? それに、もしかしたら、そういう可能性があるかもしれないし」

「つまり、彩葉は変質者に狙われる理由がある、と」

「違うよね! 違いますとも! 例え話なのに、荘ちゃんは何を言ってるの!」

「冗談だよ。でもさ、一般的な見方をすれば、被害者を貶めるって死人にムチを打つというか、趣味悪いよな。どうしてできるのかなって考えたんだよな」

「その考えもあんまり趣味良くないけどねー」

「結局、人間って『納得』できるかどうかで、正しいかどうかなんてどうでも良いんだろうな。本当に大切なことは受け入れられるかどうかってだけで、正論とか事実なんて大したことじゃないんだよ」

 荘司の暴論に彩葉は小首を傾げる。

「でもさ、正しいことっていうか、良いことしたら気分良くないかな?」

「それはそれで納得しやすいだけだろ。多分、悪人だったら、他人のために動くなんて絶対に納得できないだろ。彩葉が良い人間だってだけ」

「う、それは褒めてくれてるのかな? 褒めてくれてるんですよね!?」

「ああ、どうでも良いなんて思ってないからな」

「思っているよね! 絶対に思っていますよね!? 荘ちゃん酷いな! 酷いですとも!」


 ――そんな意味のないやりとりだった。


 それを懐かしく想い、そんな懐かしく思うほど時間が経ったのかと驚く。

 いや、それは遠いと感じていたが、時間的なものではないはずだ。

 もっと心理的かつ距離的なものだ。

 荘司はそれを悲しく思う。


 そこで己を省みると、俺は果たしてこの状況を心から受け入れられるのだろうか、と考えてみる。心の底から。素直に。直感で。

 ……不可能ではない、と結論づける自分がいることに愕然とした。

 彩葉を見捨てても良いと考える自分がいたのだ。

 だからこそ、ああやって正論で突き放すことができたのだ。


 例えば、世界中全ての人間から「死ね」と糾弾されたとする。全世界の人間から後ろ指を指され、歩いているだけで石を投げられ、陰口以外に話題の俎上に載せられることはない。呪われ、罵られ、避けられ、忌まれる。死ねという一言が前口上となる。

 その場合、生きることは幸せだろうか?


 荘司は否だと思う。

 辛くて、辛くて、仕方がないだろう。そんなもの普通の人が耐えられるはずがない。すくなくとも荘司は耐えられる気がしない。

 ある日、身内が全て敵になる――それを人は悪夢と呼ぶのだ。


 荘司はふと気になったことを質問する。

「ねぇ、姉さんは吸血鬼のことどれくらい知ってるの?」

「荘ちゃんと変わらないよ。私もお父さんから聞かされただけだし、最初、知ったのも偶然だったし」

「どうやって知ったの?」

「お父さんが対戦者の資料を適当に扱っていてね。それでお父さんの部屋を片付けている際に偶然目に入っちゃったの。中途半端な知識が一番危険だからって教えてもらったの」


 父と姉らしいエピソードに荘司は苦笑する。

 それはエロ本を見つけられたなんか比べ物にならないくらい泣きたくなるだろう。自分のミスで愛娘に地獄を知られたのだから。


「じゃあさ、どう思った、その時さ」

「んー、難しいことを荘ちゃんは訊くんだね。信じられなかった、が一番近いかなー」

 それはそうか。荘司のような体験が伴わなければ、なかなか難しいはずだ。

「ただね、吸血鬼って可哀想だなって思ったの」

「可哀想?」

「『常勝将軍』安曇高座のやり口が残酷だなーって。多分だけど、あのお父さんとの殺し合いね、使えない吸血鬼を処分しているんだと思うの」

 荘司は夕音子の推理がよく理解できなかった。使えない?


「例えば、お父さんは弾丸を防御したりできるでしょ? 吸血鬼って凄い力を持っているじゃない? 多分だよ? これは多分なんだけどね、安曇高座のやり方って自分にとって必要な能力を持っていれば、密かに飼っているんじゃないかなーって。奴隷売買みたいな感じで手元に手駒として置いているんじゃないかな? よく考えてみるとさ、お父さんが全勝しているって奇妙だと思わない?」

「それは父さんが強いからじゃないの?」

「うん、お父さんは強いよ。でもね、お父さんって実は遺書を書いているんだよ。常に死を覚悟しているの」

「そうなんだ……」

「それに、能力次第ではちょっとした技術の有無なんて関係なくなるの。例えば、荘ちゃんは安曇高座の大量虐殺の力ってどんなものか想像できる?」

「忘れたから分からないけど……爆弾とか?」

「毒物生成よ」

 確かにそれなら大量に殺せるだろう。

「正確には毒以外の物質も汗腺から分泌できるらしいけどね。殺傷能力最高クラスの毒物だったら、近寄っただけで体が溶けちゃうんだって。本気を出せば、一度に数千人単位で殺せるらしいの」

 確かにそれではちょっとした武芸など役に立つはずもない、無茶苦茶な能力だった。


「きっと、お父さんが殺した吸血鬼って、安曇高座にとって不要だったんじゃないかな。もちろん、他の真鬼たちの目を欺く意図もあると思うよ。不干渉不服従の契約が結ばれているらしいし、いろいろとあるとは思うの。詳しいことは知らないけど、他の吸血鬼たちも身を守るためにいろいろと手を打っているみたいだし」

「……それ、彩葉もそうなのかな」

「多分ね。荘ちゃんは彩葉ちゃんがどんな能力か訊いた?」

「いや、そもそも、吸血鬼の自覚がないくらいだったから」

 それもそうか……と夕音子は頷く。


「だからさ、有用性を証明できれば、それほど酷いことにはならないと思うんだ」

 それは何の証拠もない、姉の願望だった。

 それなりに説得力はあるが、それが真実だったとしてもいくつか問題点がある。

 まず、彩葉が有用性を証明できるか分からないし、その有用性を活用できる場が与えられるとは限らない。そもそも、頑張って生きようとするかどうかも分からない。それに、安曇高座の元で生かされていて、幸せかどうかも分からない。下手したら、すぐに討伐人と戦わされるのだ。衆人環視の中、殺し合いの最期――悲惨と言う他ない。


 もちろん、他の人間だって保障なんて何もなくて生きていく。

 だが、何の責任もなく、何一つ悪いことをしていないのに、彩葉は人生全てを理不尽に蹂躙され過ぎていた。普通の人間に比べて、あまりにも自由度がない。強奪され、蹂躙され、陵辱された――本当に、酷い、話だった。


 荘司の口から重いため息が漏れた。心配そうな夕音子の顔。

「荘ちゃん……?」

 だから、荘司は、言う。

「俺が、やるから」

「荘ちゃん……」

 不安そうな姉としっかり目を合わせながら、宣言する。

「俺が、最後まで面倒見るから」

 不思議と手足に力が入らない。

 これは、宣言に力が入っていないのと同じ理由からだろう、と荘司は他人事のように思う。

 ……誰かが殺さなければならないのであれば、その役目は俺のもの。


「そんな人生送るくらいだったら、俺が彩葉を斬るよ」

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