第14話『榊坂家の仕事 その二』

 荘司が両親の死を告げると、最初に彩葉の笑顔が凍った。

「は、はは、な、何を言ってるの……?」

 そして、彩葉はもう一度、笑おうとして、

「あ……ああ、あああ」

 堪えきれずに涙が溢れ、

「うわあああああああああああああああああああん!」

 号泣し始める。先ほどの泣き方どころではなかった。

 まるで、魂そのものが壊れかねないほどの勢いだった。


 外にいた黒服が何事だ、と確認してきたが、荘司はひと睨みで退かせる。邪魔だ。殺すぞ。

 荘司はグイッと彩葉を胸に抱き寄せ、強張った体でそれを受け止めた。

 彩葉は無抵抗で、ベッドから床に膝を落とし、膝立ちの姿勢で泣き続ける。

「分かっていたんだろ? 最初に俺が見舞いに来たことでさ」

 彩葉は応えない。そんな余裕なんてなく、こちらの言葉が届いていないことなんて分かっているし、言葉で慰められるとも思っていない。

 現実から逃れられないのだから。


 荘司は思う。

 ……誰かが告げなければならないのであれば、その役目は俺のもの。


「ひぐ、うぐ、はぁ、はぁ……えぐっ……」

 泣き続けた彩葉は過呼吸に陥る。

 荘司はお見舞いの中身を全て放り出し、ビニール袋を口に当てて落ち着かせる。自信はないが、確かこの処置法で良かったはずだ。

 ナースコールを押すべきか、それとも、すぐにナースセンターに駆けつけるべきか。

「行か……ないで……」

 彩葉に裾を掴まれて動けない。

 もうちょっと落ち着いてから告げた方が良かったのか、と一瞬後悔するが、それを振り払う。弱気が鎌首をもたげるなんて最低だ。もう後戻りなどできない状況なのだから。


 先ほどよりも長い時間かけて落ち着いた彩葉がボソリと呟く。

「あの人、殺してないって言ってたのに……」

 何を言われたのか分からないが、彩葉の両親の死因はショック死だった。

 あの吸血鬼に血を吸われることに耐えられなかったらしい。


「……アタシ、もう一人きりなの?」

 ここで必要なのはフォローだ。

 そんなことはない、俺がついているという一言が重要になるのだろう。


 しかし、それは嘘である。

 虚飾に塗れた偽善でしかない。

 優しいかもしれないが、同時に酷だ。


 両親の死を告げた時点で、最後まで話をし、選択させなければ。

 ……いや、そもそも、そんな選択肢じたい存在していないのだ。選択させるフリをしているだけ。結果論で他人の功績や罪業を貶めるような最低さ。人は後からだったら、無関係だったら、いくらでも正論が言えるのだ。平和を声高に叫び、己は決して手を汚さない類の悪辣さ。表面上は善人に見えるからこそ、悪魔のような所業。


 例えば、全ての国から軍隊がなくなれば世界は平和になるかもしれない。

 しかし、その最初の一人になれる人間はどこにもいない。いるとしたら、悪人に騙されて奪われ、殺されて打ち捨てられるだけ。結果、武器を捨てた人間は存在しなくなる。

 世界は変わらない。


 つまり、荘司がやっていることは最低のことだ。

 そう、そんなことは知っていた。


 長い吐息で心を落ち着かせ、荘司は言う。

「もう一つ、彩葉に伝えることがあるんだ」

「え……?」

「とても大切なことなんだ」

「なにを?」

「吸血鬼って信じるか?」


 彩葉は冗談を聞かされたような顔だった。

 一瞬だけ笑おうとして、それができずに無表情で応じる。

「荘ちゃん、こんな時に冗談? 面白くないんだけど」


 怒るのは当然だな、と荘司も思う。

 むしろ、怒らない方が人間として終わっている。

 だから、その人間らしさに荘司は安心さえ覚えていた。

「本当に、真面目な話なんだよ」

 だからこそ、真剣な顔で首を横に振る。本当だよ、と。


 その証明のため、お見舞いに持ってきたりんごを軽く取って見せる。

「これ、握り潰せるか? ちなみに、俺はできるが」

「できるわけないし、できると思う方がおかしいよね! 何? 荘ちゃん、そんなにアタシを傷つけて楽しいの?」

 涙目で叫ぶ彩葉。そんな傷ついている少女の背中を蹴飛ばすような真似は正直心苦しい。しかも、突き飛ばした先は奈落の底だ。そうやって良心が痛いフリをする自分のことが、怖気がするほど嫌いになりそうだった。


「本気で、握り潰せると思ってやってみてくれないか? 頼む」

「…………」

 彩葉はもう答えようとしなかった。

 どこか疲れたように、もうやってられないとばかりにりんごを受け取り、

「えい」

 軽い調子で握り潰した。

 ピシャッとりんごの汁が飛び散り、果肉の一部が荘司のズボンに張り付いた。


「……え?」

 彩葉は信じられないとばかりに目を丸くする。

「これ、りんごじゃなくて、何? え? 何?」

「本物だよ。彩葉の体は吸血鬼になったんだ。だから、あんまり今までと同じだと思わない方が良いからな」

 さっき抱き留めた時も、荘司じゃなければ肋骨が折れていたかもしれない。

 呆然として動けない彩葉へ荘司は用意していたハンカチを差し出す。

 こんな使い方をするなんて、夕音子も予想していなかっただろう。とんだ皮肉だ。

 彩葉はハンカチを受け取らず、茫然自失としていた。だから、荘司はその手を取り拭った。飛び散ったりんごも処理した。


 それが終わった頃、ようやく彩葉はノロノロと動き出す。

「……お父ちゃん、お母ちゃんが殺されて、アタシは吸血鬼? え? 意味が、分かんない……何が起きてるの……?」

 呆然と呟く彩葉の姿は痛々しかった。

 しかし、事実は変えられないのだ。

「彩葉、とても信じられないとは思うけど、聞いて欲しいんだ。俺の話を」

 彩葉は青ざめた顔で「……うん」頷いた。

 だが、その表情と態度は「聞きたくない」と全力で物語っていた。

 荘司は気付かないフリで無視して、一から話し始めた。



 荘司は吸血鬼という存在の話について話し始めた。

 その内容は、父から聞かされたことを自分なりに咀嚼してものだった。

 ただ、彩葉の両親が殺されたのは榊坂家のせいだ、という部分は強調した。

 その間、彩葉が口を挟まなかったのは、どういう理由か。

 信じたからとは思えない。

 あまりにも荒唐無稽で、荘司もあんな殺し合いをしなければ、信じられなかっただろう。彩葉の体質の変化にしても根拠としては弱いはずだ。超人になったから即ち吸血鬼、なんて説に論理的整合性はないからだ。同じことを考えたな、とどうでも良いことを思い出す。


 彩葉は本当に最後まで一言も喋らなかった。

 無表情で、何を考えているのか長い付き合いの荘司にも分からない。今、彩葉を苛んでいるのは荘司だったが、その心根を知りたいと本気で思った。

「――というわけで、彩葉、お前は吸血鬼として保護されなければならなくなった」

 と、そこで荘司は言葉を切る。

 言葉に迷った挙句、結局、選べなかった。

「……いや、これは不誠実だな。本音を言おう。彩葉に人間としての尊厳は失われた。これからは超法規的措置が取られるだろう。残念だけどな」

 荘司はあえて酷薄に突き放した。結局、優しい言葉を選ぶことができなかった。


「そっか、酷い話だね……? 酷い話だよね……?」

「ああ……本当にな……」

「あの、外でアタシを守ってくれてるっぽい警察の人も、そういう関係なの? あの変質者から守ってくれてるんじゃなくて、アタシが逃げないよう見張ってるの?」

「警察かどうかも分からないけどな」

 明確な肯定をせずとも、彩葉は意を汲んでくれた。


 彩葉はため息のような声を俯いたまま漏らした。

「アタシに責任なんてないよね……?」

「ああ、責任はない。運が悪かっただけだ」

「運が悪いとか本当に酷い話だね……酷いよ……」

「……この世は理不尽だからな。理不尽に生まれて、理不尽に死ぬもんだろ」

 もう応じる言葉がなくて、そんな皮肉めいた返事しか思いつかなかった。

「……そうかもね。うん、仕方ないよね……」

 弱々しい仕草で頷く彩葉。思わず手を差し伸べたくなるが、グッと留まる。マッチ・ポンプとか人間性最低過ぎるだろう。


 そこで一つ質問を思いつく。

 それはとても単純な質問だったが、どう切り出せば良いか分からない。

 言ってやるべきだろうか、と思いつつ荘司は言葉にできない。

 だから、彩葉をジッとただ見つめる。

 しばし沈黙が空間を支配した。普段は沈黙であっても気まずくなどならないのに、今はすぐにでも病室から飛び出したくなる。喉元を掻きむしりたくなるような、そんな時間。


 彩葉は血を吐くように言う。

「うん……分かったよ。荘ちゃんたちに任せる……」

「本当に、良いのか?」

「うん。どうせ、お父ちゃんもお母ちゃんも死んじゃったんだよね? もう……」

 その語尾は「『もう』どうでも良い」という意味だっただろう。

 目の光の失われた彩葉を見ながら、荘司は「そうか」と頷くに留めた。

 それから、一言二言と言葉は交わしても、会話にはならなかった。

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