第13話『榊坂家の仕事 その一』
病室の扉は基本引き戸であり、手を離すだけで勝手に閉じる。
これは車椅子や体の不自由な人の為だろう、開閉の一手間を省く仕組みだ。
あちらこちらに取りつけられている手すりにビニール袋が干してあるのは、入浴の際患部を保護するため。手すり自体も足を負傷した際には移動やリハビリの支えになる。スロープやエレベーターの広さ、トイレの個室がカーテンでしか仕切られていないことも使い勝手を良くするための工夫である。
荘司は病院内を観察しながら歩き、ふと思う。
今まであまり意識したことないが、人が人らしく生活するということは存外難しいのだ。
ほんのわずかな瑕疵でさえ人生を大きく阻害するのだから。
虫は手足がもがれた程度では死なないが、人の場合、致命傷になることも多い。
複雑に進化した結果、脆弱になったのだ。
善し悪しではなく、単純な生き物の方が強靭なことがあるというだけ。
進化により、強さだけを獲得するなんてそうそうある話ではないのだ。
それがあるとすれば、きっとそれは悪魔との契約に等しい。
荘司はそれほど病院に馴染みがあるわけではない。
打ち身や捻挫程度の小さなケガは多くしてきたが、そのほとんどは姉が丁寧に治療してくれた。そもそも、トレーニングを続ける際、ケガは何よりも気をつけるべきなのだ。
一つの小さなケガがより大きなケガを生む。中途半端な治療で変なクセが生じてしまうと、手遅れになる場合も少なくないから、徹底的にケアを行う。
だから、荘司は今までの人生で大きなケガをしたことがない。
疲労骨折程度が最悪で五体満足。
肋骨にヒビが入った時には腹筋が上手くできず驚いたことさえある。
その際にはトレーニングも十分に休む。あれほど辛い練習も、数日休むだけで体が疼くようになるのだから、荘司はそういう星の下生まれたのかもしれない。
だからか、病院という場所でどんな顔をすれば良いか分からない。
いや、元から他人を慮ることは苦手なのだ。
頭が悪いし、気も利かないし、言葉を選ぶことも下手。基本的にコミュニケーション能力は低い。だから、友達も少ない。それを寂しいとも思わない鈍感な人間なのだ。
上手いこと言えたら良いのだが、荘司は変化球勝負が苦手だ。
覚悟を決めた。
扉の脇に立っている黒服に荘司は身分証を提示して一礼し、お見舞いに持って来たデザートの入ったビニール袋を持ち直す。これを選ぶ時間さえもただの逃げではないか、時間稼ぎではないかと悩んでしまった。一度咳払いしてから扉をノックした。
「入るぞ」
一つだけのベッドはカーテンで仕切られていた。寝ているのか物音はしない。
大きな窓からは強い陽光が差している。
清潔で、ひたすらに白い印象。
何故か猛烈な不快感を覚え、サンシェードを下ろすか少し考え、これも現実逃避の一種かと首を横に振りながら荘司は話しかける。
「彩葉? 起きてるか?」
「……荘ちゃん……?」
カーテンが音を立てて開いた。
そして、パッと飛び出し、胸にしがみつかれた。
その小さく、柔らかいものに弾き飛ばされそうになるが、荘司は予想していたので腰を落として耐える。そんな様子は決して見せない。
「彩葉……」
「荘ちゃん……荘ちゃん……荘ちゃん……」
彩葉は泣きじゃくっていた。
滂沱の涙が荘司のみぞおち辺りを濡らす。
どうして良いか分からず、ヨシヨシと背中を撫でると一層高い泣き声をあげる。
「う、う、うぇぇぇぇぇぇっっ、んぅええええっん」
ハンカチの一つでも差し出せられるように、と姉から渡されたのに、取り出すタイミングも分からない。ただ、荘司は背中を撫で続けた。
しばらく、彩葉は泣き続けた。
荘司はそれを遮ることをしなかった。いや、できなかった。
ようやく泣き止んだ彩葉は「ごめんね」と憔悴した顔で笑う。
「服、汚しちゃった」
「別に、気にすんな」
それだけしか言えない自分が嫌だった。
ベッドに腰掛ける彩葉に向き合う形でパイプ椅子に座り、荘司はため息だと間違われないよう深呼吸する。
さて、何から話すべきか。
……とりあえず、様子を探るか。
「体調は大丈夫か?」
「分かんない、でも、なんか、違和感があるの」
「違和感?」
「うん、体が軽いというか、フワフワしているの。何だか、アタシの体じゃないみたい。今だったら手を広げたら空も飛べそう」
「……何だ、そりゃ。体調は悪くないよな」
「うん。どちらかと言えば、体調良いのかも。気分はあんまり良くないんだけどね」
そう言って、エヘヘッと健気にも笑う彩葉。
しかし、その言葉の真の意味を知る荘司は皮肉だとしか思えない。
よく見ると、彩葉は痩せていた。
それは心労からではなく、単純に体質が変化したせいだ。
もちろん、元から太っていたわけではないが、それでも普通の人間なら余分な部分が存在している。それが削がれたのだ。
だから、おっとり幼く可愛らしい印象だったのが、可憐で美しい雰囲気になっている。憔悴していても艶やかな髪肌のせいか。
人間なのだから。生きていく上で自身の体つきが強制的に再構成されてしまった、ということ。こんなに美しくなっているのが皮肉だった。
釜田彩葉は鈴木一郎の手により、吸血鬼化していた。
どうして、あの鈴木一郎はこんなことをしたのか。
……嫌がらせ、か。
多分、そうだろう。
他に理由があるのかもしれないが、少なくとも、荘司にはそうとしか思えない。
最後の一言を思い出す。
――呪われろ。
これから自分が告げることを考えるならば、確かに呪いだろう。
肺腑に溜まった気持ちの悪い何かを意識しながら、荘司は口を開く。
「彩葉、お前に伝えなければならないことがある」
「? どうしたの、怖い顔して」
アハハッという空元気に空笑顔が空々しい。
「それよりもさ、アタシ、特に何かされたわけじゃないんだよ。本当だからね。綺麗な体のままだから! 美少女だから危なかったぁ。あの人ホモだよ、間違いなくホモ。ホモで良かったぁ。なんて安心しちゃ変かな。あ、お父ちゃんやお母ちゃんに会いたいから早く退院したいし」
「おじさんとおばさん、二人とも亡くなったよ」
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