第6話『榊坂家の日常 その五』
結局、彩葉は学校を出てからすぐに下ろした。
さすがに周囲の視線が気になったからだ。
無駄に注目を浴びるのは荘司の趣味じゃない。
彩葉は真っ赤な顔でうぅぅ、とうめきながら抗議する。
「じょ、冗談だったんだからね! 本気じゃありませんからね!?」
「そうかい。んで、足は大丈夫かよ。ひねっただろ」
「……気づいてたんだ」
「当然だろ。つか、さすがに責任感じるし、家までおぶってやろうか?」
肩を貸すには身長差がありすぎる。荘司の言葉に「ありがと」とはにかみながら、彩葉は首を横に振る。
「そこまでじゃないよ。ゆっくり歩けば問題ないし。帰って湿布でも貼ってれば明日には治ると思うし」
普段からこれくらいのテンションなら良いのに、と荘司は思う。無理か。
「なら、せめて荷物くらいは持たせてもらうぞ」
言うが早いか荘司は彩葉の手荷物を奪い取る。
一瞬だけ彩葉は抵抗しようとしたが「うん、荘ちゃん、ありがとう」礼を言った。
そこで夕音子が口を挟む。
「荘ちゃんも大丈夫? 飛んできた硬球をダイレクトで掴むなんて無茶よ」
「問題ないよ。でも、危ないよな」
まだ練習が始まったばかりだろうに、あんなかっ飛ばすようなことがあるのだろうか? アップの段階にしては激しすぎるし、そもそも、下校中の生徒に飛んでくるようなこと普通はありえないだろう。
違和感を覚えつつ、答えの出ないことなので忘れることにして、荘司は謝る。
「あ、姉さん。ゴメン、買い物は任せるね。彩葉を送らないと」
「うん、むしろ、ここで荘ちゃんが送らないなんて言ったら、説教だったけどねー」
さすがは姉さん天使さん。いや、もはやこれは女神の次元である。
選択肢を間違えなかったことに胸を撫で下ろしていると、彩葉が口を開いた。
「あ、ありがとね。でも、荘ちゃんスゴイね。あんなにボール投げるとか普通じゃないよね」
「まぁな。伊達に毎日トレーニングしてねぇし」
荘司の身体能力は伊達ではなく、かなり高い。
一見すると中肉中背に見えるのだが、実際は服を脱ぐとかなり引かれる。スポーツ特待の生徒にまでドン引きされる。筋肉が多過ぎて水に浮きにくいくらいだった。なお、完璧にカナヅチというわけでもない。
「荘ちゃん、やっぱり剣道部入れば良いのに。全国とか行けるんじゃない?」
「あー、それはいろいろあってな……」
「いろいろ?」
まだ顔が赤い彩葉。もしかしたら、守ってくれたとか勘違いしているのかもしれない。それを含めて説明と訂正しておこうと思う。
「彩葉はこんな問題知ってるか? 強盗に襲われて、幼なじみと大切な大切な姉が捕まりました。どちらかしか助けられません。どっちを助けますかって設問」
「ちょっと問題文にツッコミ入れたいけど、それは無視して、うん、知ってるよ。マンガで読んだし。『沈黙』が答えのやつよね」
個人的にはあれは決断力の問題であり、どちらかを選べない時点で両方喪うのではないか、と思っているのだが、その件については目をつぶる。
人間、選ばないという選択肢は選べても、選べないという選択肢はないらしい。
言葉遊びみたいだが言葉遊びではない。先延ばしにするという逃げ道を選んだ、に言い換えると分かり易くなる。
荘司は真面目な顔で言う。
「もし、俺がそんな状況になったら、幼なじみを選ぶだろうな」
「え、ええええええ!? これって逆転満塁ホームラン!? というか、ライバルが姉って時点で幼なじみ不遇すぎないかな? 不遇すぎですよね!?」
「そ、そんな、荘ちゃん。お、お姉ちゃん負けちゃったの……」
顔を真っ赤にして「喜んで良いのか分かんないよ!」とか言っている彩葉を無視して、姉が悔しそうにしている様子から荘司は早口でその理由を告げる。
「だって、姉さん、俺より強いから助ける必要ないし」
「え?」
それが答えだった。
荘司の言葉を予想していたのか、即座に夕音子は言い返す。
「荘ちゃん、私、もう練習止めて三年以上経つんだから、荘ちゃんよりも強いなんてないと思うよー」
それは違うだろ、と荘司は思う。
そもそも、荘司が父との鍛錬を続けられたのは姉が教えてくれていたからだった。
真一はぶっちゃけ人に物を教えることが下手すぎた。
教え方に「シュバッ」とか「ごおっ」とか抽象的な擬音が多く、最終的には根性論へと持って行く無能っぷりだった。逆に超天才なのかもしれない。
毎日、ボコボコにされている荘司の矢面に立ち、基礎を一から教えてくれたのは姉の夕音子だったのだ。それがなかったらどこかでぶっ壊れていた可能性が高い。
荘司は知られざる夕音子の武勇伝について語る。
「剣道部の西野先輩って知ってるか? 高等部三年で全国大会入賞したって人」
「あー、うん。アタシも名前は知ってるよ。有名人だし。それが?」
「姉さんな、その人に一時期付きまとわれていたんだよ。片想いって感じで。それで、俺が中学に入るすこし前くらいに、いろいろあって姉さんが剣道でボッコボコにした」
「はい? え? えええ、本当に?」
当時から大会で記録を残していた優秀な選手が一女生徒に手も足も出なかった――なんて酷い話過ぎて、目撃者も広めることを躊躇してしまうほどだった。年の離れた彩葉が知らないのも無理はない。
あの一件で人間って本当にヤバそうなことからは目を背けると荘司は学んだくらいだ。
「そ、そんなことないってばー。荘ちゃんってば、いい加減なこと言わないでよー」
彩葉が信じられないのも当然だろう。
おっとりして美しい夕音子から暴力性を嗅ぎ取ることは難しいが、事実である。
荘司はクレイジーな鍛錬を積んでいるが、それと同じような生活を姉も過ごしていたのだ。
荘司が中学に入ってから――つまり、基礎が一通り身についた時点で夕音子はスッパリと止めたが、それまで荘司は姉に勝たせてもらったことはあっても、勝ったことはない。
稽古なので手加減してもらっていた荘司とは違い、西野先輩は全力で叩き潰されたのだ。
しかし、それも自業自得というやつで、付き合ってくれなければ弟を酷い目に遭わせる、なんて計画で姉の逆鱗に触れたのだから、同情する気にもなれないが。
半分は男らしさ(笑)という名の強さを見せつけるためで、残り半分は自分が振り向かれない憂さ晴らしだったようだ。本当にバカ。
自身の愚かさで払った代償は大きかった。
西野先輩は自業自得とはいえ、それから長いスランプに陥るほどの敗北を刻み込まれた。正直、当時の荘司でも勝てた自信はあるが、ここまでのトラウマを植えつけることはできなかっただろう。一応、今はそれなりに克服しているらしいが、未だに夕音子のことは恐れているらしく近寄らないらしい。閑話休題。
「――つーわけで、我が榊坂家は剣道部に近寄らないんだよ」
実は幾度か荘司は大会に出たこともある。しかし、同年代の子どもでは勝負にならず、イジメみたいになるからあまり参加したくなくなった。父親について警察と練習したことがあるが、最低でもあれくらいのレベルは欲しい。
彩葉が驚いたように目を丸くする。
「夕音ねぇって荘ちゃんより強いんだ。スゴーイ」
「だーかーらー、彩葉ちゃん。私はもう三年以上まともに練習してないんだよ? 今は普通だってばー」
しかし、荘司が素早く反応できたのは、もっと早く姉が反応していたからだ。
そもそも、姉は完全に状況を把握し、こちらの心配もしていた。さすがに体力面は体格差もある荘司の方が有利だろうが、反射神経とかセンスで勝負できる気がしない。
ぶっちゃけ、素質は自分や父より上だとさえ思っている。
一種、人間離れした強さが夕音子の中にはあった。
「そういうわけで、姉さんのことを信頼しているから、もしも、お前が危険になったら救ってやるよ。仕方ないからな」
と荘司が悪びれて言うと、彩葉は楽しそうに笑う。
「それでもちょっと嬉しいかも。荘ちゃんが夕音ねぇよりもアタシを優先してくれるって初めてかもしれないしね」
「んー、お姉ちゃん、ちょっとジェラシー感じちゃうかもー」
荘司は夕音子を安心させるために強く断言する。
「安心してよ、姉さん。もしも、姉さんが助からなかったら俺は後を追うから!」
「えええええ! 安心できないよ! その発言はダメだよね! ダメな人ですよね!?」
「んー、お姉ちゃん、嬉しいけど、荘ちゃんには長生きして欲しいかな」
「夕音ねぇも喜んじゃうんだ!? 予想通りだけど驚きだよ!」
予想できているのに驚く彩葉に荘司は若干驚くが、とりあえず、彼女の足の状態はさほど悪くないようだ。その点は安心する。
それから、彩葉の足の調子に合わせて、ゆっくりと帰宅する。
途中、買い物へ行った姉と別れ、彩葉を家の前まで送った。と言っても、ほんの数十メートル余分に歩いただけだが。
「ここで良いよな?」
彩葉の家は酒屋を経営しているので、家族は基本在宅している。さすがに家に上がり込むことまでする必要はないだろう。
「うん、荘ちゃん、ありがとね」
「何が?」
「アタシのペースに合わせてゆっくり帰ってくれて」
いつもこうやってすましていれば良いのに、と荘司は心底から思う。あのハイテンションなツッコミさえなければ、深窓の美少女と言われても違和感がな……いや、あるな。そこはある。むしろ、大人しい彩葉なんて酢のない餃子のタレくらい価値がない。
「……荘ちゃん、何か失礼なこと考えてない?」
「いや、別に」
ゴホンと咳払いで彩葉の疑惑の視線をごまかしてから、荘司は続ける。
「大したことじゃねぇだろ。彩葉は感謝するポイントを間違えてんだよ」
「そうかな?」
「ああ、感謝するならそうだな……」
すこし考え、荘司はふと思いつく。
「今度、姉さんの誕生日プレゼントを選ぶの手伝ってくれよ」
パァッと花開くような笑顔になる彩葉。えへへへっ、と満面の笑みで真っ赤になってウヨウヨしている。
「うん、いつでも良いよ! 今からでも良いくらいだね! 任せてよ!」
「いや、お前、足の調子悪いだろ。今から練習もあるし。あと、デートじゃないからな」
「じゃあ、週末にでも行こうか? って、何で釘刺したかな!? ちょっとは期待しても良いよね? 良いですとも!」
面倒くさいので、ポンポンと彩葉の頭を撫でて荘司はごまかす。
「そうするか……あー、でも、週末に一緒とか姉さんにバレるか」
「アタシは別にバレても構わないと思うんだけどさ」
「いや、仲間外れだー、なんて悲しまないかな」
荘司の懸念に、彩葉は苦笑した。
「荘ちゃんって本当に夕音ねぇ大好きだね」
「まぁな。たった一人の姉さんだし。世話になってるし」
本当に、夕音子は幼い頃からあらゆる点で荘司たちの世話をしてくれている。家事が完璧だったから荘司は練習に専念できるのだ。
本来であれば、もっと遊びたい年頃だろうに「荘ちゃんが頑張ってくれるのがお姉ちゃんの幸せなの」とバックアップしてくれているのだ。
どれだけ感謝してもし足りないと思う。
「羨ましいなー、本当にね」
「? なんだ、そりゃ」
「あ、アタシの次の誕生日プレゼントは大きなぬいぐるみが良いな! こう抱きついて寝られるくらいのやつ!」
どのポイントが羨ましいか分からなかったが、話を逸らされてしまった。別に構わないが。
「分かった分かった。憶えている自信はないけど、気が向いたらプレゼントしてやる気がしないでもないと良いなぁ」
「この人、プレゼントする気ないよ! 予想通り過ぎて面白いツッコミできません!」
とりあえず、荘司は彩葉と共に週末の予定を立てた。
そして、帰宅し、すぐに着替えて日課の練習を始める。
夕方の練習は荘司一人きりで行うことがほとんどだ。
父は普段、あまりその時間家にいない。どこかへ剣道を教えに行っているのだろう。もしくは、近所の将棋道場に一局指しに行っているか。
どちらにせよ、普通のサラリーマンとは一線を画した働きぶりである。
そんなちゃらんぽらんな生活の割に羽振りは悪くないので、息子としては助かっている反面、ヤバいことに手を出しているんじゃないかと不安になる。いきなりお金がないとか路頭に迷わないだろうか?
練習を開始して十五分ほど経過しただろうか。
荘司が鉄の棒で素振りをしていると、チャイムが鳴った。
家には荘司しかいないので仕方なく応対に出ると、そこにいたのは一人の男性だった。
とても綺麗な顔をしたその青年は丁寧な口調で言った。
「榊坂真一さんはご在宅でしょうか」
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