第5話『榊坂家の日常 その四』

 放課後に姉と買い物デートは、弟として当然の願望だと思う。

「夕飯の買い物するだけだよー。荘ちゃんは先に帰って練習すれば良いのにー」

 夕音子はそう言うが、荘司としては無視できない。

「いやいや、何言ってるのさ。姉さんを一人になんてさせられないよ」

「嬉しいけど、荷物持ちとかいらないからね。姉さん、こう見えても力強いからー」

「いや、そうじゃなくて、悪い虫が近づかないように……」

「? よく分からないけど、冬だし虫なんていないと思うよー」

 くぅ、その純真無垢な心の姉さんでいてくれ、と荘司が思っていると、グイグイと強く袖を引かれた。

「荘ちゃん……アタシを無視しないでよっ」

 ジト目の彩葉が不満そうに頬を膨らましている。全く視界に入らなかった。

「あれ? 彩葉、お前いつ湧いたんだよ?」

「最初からだよ! 最初からいましたからね!? どんだけ二人の世界作ってんの! っていうか、湧いたってどういうこと!」


 彩葉も帰宅部であるため、特に理由がなければ一緒に帰ることが多い。

 別に待ち合わせているわけではないが、放課後になると校庭の一角に自然と集合しているのだ。

 しかし、やはりおじゃま虫というか、これも余計な虫だなぁ、と荘司は思う。

「本当に俺と姉さんの間に入るとか空気読めないよな」

「口に出ているからね! 出ていますからね!? 酷いよね! 酷いですよね!?」

「繰り返すなよ、どうでも良いんだし。あと、そのテンションちょっとうっとうしいぞ」

「重大だよ! 重大ですからね! もうちょっとオブラートに包んだ言動と幼なじみの扱いの改善を求めるよ!」


 彩華も他に友達がいないということはないだろうに、わざわざ一緒に帰宅するということが理解できない。もっと交友関係を深めろ。

「お前は寄り道しろ。もっと青春を謳歌しろ。バラードからロックまで絶唱してろ」

「でもさ、荘ちゃんってば、夕音ねぇがクラスメイトの男子と一緒に放課後遊ぶとか言ったら怒るでしょ?」

「はっはっは何を言ってるんだよ彩葉は面白いなー」

「何、その棒読み。ってか、目から光が消えたんだけど。怖いんですけど!」

「そんな奴がいたら、俺は自分を抑えられる気がしないな」

 殺意の権化として暴れ回る自分の姿が、リアルに想像できた。イマジネーションだけで嫉妬がヤバイ。ついでに、荘司の怒りで世界もヤバイ。

 真顔で告げる彼に、彩葉は絶望的な表情で叫ぶ。

「このシスコン! あっと、シスコンが褒め言葉だから、えと、この変態!」

「変態と書いてシスコンと読むのであればやはり褒め言葉だな」

「もうこの人、ダメかもしれない……」

 自明の理で何故か彩葉は頭痛を覚えたらしい。可哀想に。

 肩を落としながら彼女は続ける。

「もう良いから三人で帰ろ」

「ああ、っと」

 荘司が頷いた。


 その瞬間、体が勝手に反応していた。


 その次に何が起きるか理解し、風の動きで理屈ではなく『届いて』いた。

 彩葉の体を軽く突き飛ばし、直撃コースだった飛来物を荘司は左手で掴み取る。衝撃を吸収するため手は大きく柔らかく引いた。

「荘ちゃん!? 大丈夫!?」

 姉の悲鳴のような叫びに空いた右手を振って応える。大したことではない。

 いきなり野球の硬球が飛んできたのだ。打球だろうか?

 しかし、校庭で野球部が練習しているとはいえ、こんなところまで飛んでくるなんて不可解だった。

 が、顔を上げて周囲を見ると、ヤベェという顔をしてこちらを観ている野球部員がいたので、荘司は投げ返してやることにした。

 全力で。

 意識するのは体の使い方。地面を蹴り、その反動で膝から腰、肩に至るまで駆動。放り出す瞬間まで脱力することで、球を加速させる。


「っ!」


 自然と呼気が漏れ、鞭のようにしなった全身で硬球を放った。

 ボールは校庭を真っ直ぐ横切り、阿呆のような顔で見守る選手たちの頭上を超え、バックネットにまで突き刺さる。

 それを見て、目を回していた彩葉がようやく事態を把握したのだろう「ふぇぇぇ」と感嘆の息を漏らした。

「え? 今、荘ちゃん、百メートル以上投げたよね。スゴくない? いや、スゴイよね?」

「大したことじゃねぇよ。ちょっとムカついたから大人げないことしちまったかもな」


 こちらを指さして騒ぎ始めたので、面倒になった荘司は彩葉に手を差し伸べる。

「立てるか?」

「あ、うん」

 その時、一瞬だけ彩葉の顔色が変わったのを見逃さない。伊達に長い付き合いではないのだ。荘司は提案する。

「肩貸してやろうか」

「お姫様抱っこならお願い」

「本当にお前はガキだな」

 荘司はため息を吐きながら、お姫様抱っこで彩葉を抱え上げた。

 彩葉は顔を赤くして手足をバタつかせる。

「うわ、うわ、うわ、ちょっとこれは恥ずかしいよね! 恥ずかしすぎですよね!?」

「暴れんなよ、うっとうしいな」

 自分から要求してきたくせに暴れる彩葉を放り落としてやろうかと半ば本気で思う。照れられると、こっちまで恥ずかしくなるじゃないか。


「姉さん、申し訳ないけど、ちょっと急いで出ようか」

「うん、でも、荘ちゃん、それ、お姉ちゃんもちょっと羨ましいかも」

「……姉さんにお姫様抱っこは俺の理性が崩壊するかもしれないからさ、その……家で。二人きりの時ね」

「んー、お願いね」

 夕音子は、なら善しとばかりに微笑む。

 お姫様抱っこされたままの彩葉が絶叫する。

「やっぱり、アナタたちおかしいよ! 絶対におかしいですからね!?」

 荘司たちは急いで校庭から走り出た。

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