第4話『榊坂家の日常 その三』

 朝食も終わり、姉と一緒に登校するため家を出た瞬間、少女から声をかけられた。

「荘ちゃん、夕音ねぇ、おはよっ!」

 満面の笑みの少女に夕音子と荘司は答える。

「彩葉ちゃん、おはよう」

「おう、おはよう」

 そして、荘司はそのまま続ける。

「じゃあな」

「うんっ!」

 そのまま手を振ってから背中を向けて別れる。


 だが、すぐに背後で叫び声が上がった。

「って、オーイ! いきなり無視しないでよ! 同じ学校行くのにそれは酷いと思うな! 思いますよね!?」

 夕音子が困ったように微笑んでいるが、荘司は「やれやれ」と嘲笑する。

「おいおい、俺と姉さんの貴重な時間を邪魔するなよ。それに無視してないだろ。あいさつしてやっただろ」

「えー! 超絶上から目線! その態度は幼なじみに酷いよね! 酷いですよね!?」


 ギャーギャーと甲高い声で喚くは彼女の名前は釜田彩葉(かまたいろは)。隣家に住む幼なじみである。

 中学三年生の十五歳、なのだが、とてもそうは見えないくらい幼い容姿をしている。

 全体的に小さいせいで、どことなく短躯種の犬っぽい。背中にまで届く長いポニーテールが尻尾みたいに見えるからかもしれない。

 一応美少女と言えなくもないかもしれないが、姉とは違い長い付き合いのひいき目が含まれているせいかもしれない。

 好みによるだろうローリングな人にはド直球かもしれない。


 荘司は冷然と告げる。

「大体、お前、中等部だろうが。一緒にするなよ」

「もうちょっとで一緒っていうか、同じ敷地内だし! 同じところに行くのにその態度はダメだよね! ダメですよね!?」

「そうだよ、荘ちゃん。仲間外れは可哀想だよ」

「ちぇ。仕方ないな。姉さんが優しいから特別に同行を許してやるよ」

「荘ちゃん、分かり易すぎだよね! どんだけ上から目線なのよ! もうちょっとは幼なじみを労ろうよ!」

 ギャーギャー叫ぶ姿は正に子犬がご主人さまに遊んでもらえず怒っているようだ。

 クスリと夕音子は優雅に笑う。

「本当に荘ちゃんと彩葉ちゃんは仲良しさんだね」

「え? あは、夕音ねぇ本当にそう見える? いやぁ、アタシも照れちゃうな」

「姉さん、勘弁してよ……」

「この人本気で嫌そうな顔だ! 失礼だよ! 失礼ですからね!?」


 もう十年来の付き合いなんだからそのくらい分かれよ、と荘司は思う。

 別に嫌っているなんてことは全くないが、からかって面白いくらいの扱いである。血の繋がりのない妹程度の認識。

 むしろ、夕音子に手を繋がれたりする方がよほどドキドキする。血の繋がりということさえ無視できれば、どう考えても異性として姉の方がハイスペックだからだろう。

 しかし、どうしてだろう。

 共に過ごした時間は一番と二番で間違いないような生活なのに……。


「ああ、胸のサイズか」

「荘ちゃん、口に出ているからね! 出ていますからね!? どこに目を向けてるのかな! 何考えているか分かっちゃったけど、控えめに言っても最低だからね!」

「ああ、ゴメンゴメン。控えめなのはお前のおっぱいだろとか思ってゴメンな」

「謝るポイントが異次元! 反省ゼロだよね! ゼロですよね!?」

「ツッコミがしつけーよ」

「偉そう! 態度が異世界! 最低だよね! 最低ですよね!?」

 そこで何故か夕音子が寂しそうに微笑む。

「んー、お姉ちゃんを無視して二人だけ仲良しは寂しいかも……」

「あ、ごめんね、夕音ねぇ。でも、無茶を言う荘ちゃんが全部悪いと思うんだ」

「あー、アナタ、誰デスか? 姉さん。とりあえず、学校まで手を繋ごうか」

「本当に荘ちゃんはブレないね! ちょっとビックリしちゃうよ!」

「うん、お姉ちゃん、荘ちゃんと手を繋いで登校とか久しぶりだよ。アハッ」

「夕音ねぇもそれで良いんだ!? 超笑顔だし! どんだけアタシ目に入らないの!?」


 姉さんの手は家事を毎日頑張ってくれているけど、スベスベだった。きっと手入れをキチンと行っているのだろう。

 せっかくだし、今度の誕生日にハンドクリームでもプレゼントするかな、と荘司は思った。これは世界に残すべきものだ。


 荘司たちの通う学校までは徒歩二十分ほどだ。

 中高一貫の私立校で、夕音子も荘司も彩葉も中学一年生から在籍しているし、彩葉は高等部への内部進学が決まっている。

 この学校に夕音子が進学した理由は近かったからである。

 母がいない家庭で家事を負担することが多かったので、近所の方が都合は良かったのだ。地元の公立高校はバスを使用しなければ登下校できない。

 そして、姉がいるという理由で荘司が、荘司たちがいるからという理由で彩葉が進学した。


 ちなみに、スポーツに力を入れている学校なので、いくつかの種目で全国大会に出場している。

 勉強については学科にもよるが、全国平均よりは上という程度で、成績優秀な姉が大学に進学しないというのは珍しいケースである。

 それも、やはり荘司たちが心配で地元から離れたくないからだった。

 ケガの多い職業である父とその後継を望んでいる荘司のため、という判断もあったようだ。電車で通える距離に適正学力の大学がなく、それくらいなら、という判断もあった。

 つまり、夕音子の選択肢や可能性を限定しているのは、自分である。

 その負い目がないということはないのだから。


 彩葉は半眼で言う。

「姉弟で手を繋いで登校とか小学生じゃないんだから……ってアタシは言いたいわけですよ」

「問題ない。世話になっている姉さんのこと、俺は大好きだからな」

「アハッ、荘ちゃんったら正直過ぎるよー」

 それを言いながらも姉は頬に手を当てて嬉しそうに体をよじる。顔は真っ赤で死ぬほど嬉しそうだった。

 彩葉は呆れたようなため息混じりに言う。

「本当にブラコンシスコン姉弟なんだから……」

 荘司はキッと強めの視線を彩葉へ向ける。

「彩葉っ」

「な、何よ。ほ、本当のことだし」

 荘司はポリポリと頬をかき、恥ずかしさから視線を逸らす。顔が熱い。

「そ、そんなに褒めるなよ……照れるじゃないか」

「ええええええ! 照れちゃうんだ!? ちょっとおかしいよね! おかしいですよね!?」

「アハッ、彩葉ちゃんってば最大級の賛辞だよー。恥ずかしいなー」

「夕音ねぇもぶっちゃけ過ぎだよね!? 知っていたけど、アタシはどんなリアクション取れば良いのかな!? ご教授願いたいかな!?」


 シスコンが褒め言葉は紛れもない真実だが、何の問題があるのだろうか?

 美しく聡明で優しいパーフェクト姉のことが嫌いな弟なんてこの世に存在するわけがない。俺の姉は超可愛い。世界一だ。

 荘司は胸を張って神に宣誓できる。


 そんな話をしていると、学校へ到着していた。

 姉と放課後の約束をして、その場で解散した。

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