第2話『榊坂家の日常 その一』
争わずに生きられる存在などない。
人の歴史を紐解いてみると、宗教、人種、貧富、身分……さまざまな差別、いや、差別だけではなく誤解や偏見、悲しいすれ違いで多くの争いが起きてきた。
それは人間だけに限らない。
例えば、動物は棲み分けという争いを避けるシステムを本能的に構築しているが、それでも数少ない食料を確保するために殺し合いをすることだってある。
動物に限らず、食物連鎖の下層である植物だって、日光の強弱で成長に差が出るし、成長した草木は若木の生育を阻害したりする。
これだって争いの一つの形だろう。
強いモノが喰うし、弱いモノは喰われる。
弱肉強食が真理の一つだとしたら、強さはある意味で正しさなのかもしれない。
そして、最強と言われて誰を思い浮かべるか? と問われれば、榊坂荘司(さかきざかそうじ)は躊躇せず父の名を上げる。
父――榊坂真一(さかきざかしんいち)は今年で三十七歳になる。。
中肉中背であり、成長途中の荘司とそれほど体格は変わらない。
おそらくはあと一年もすれば、荘司が見下ろす側になるだろう。
髪に白いものが混ざり始めているが、健康的に短く刈りあげている姿はまだ若々しい。練習中はともかく、普段は温厚な性格なのだが、笑っていてもどこか獰猛(どうもう)な雰囲気を隠し切れない人である。
それもそのはずで、剣道の師範として警察に請われて教えに行っている。しっかり血税も払っている一市民のくせに慕われているから驚きだ。
その昔、荘司が道端を歩いていると、いきなり強面の警察官に話しかけられて驚かされたこともある。というか、そのせいで補導されたとうわさを広められたのは小学生の頃のちょっとしたトラウマだ……あれは本当に酷かった。
そんなわけで、荘司はもう父とほぼ毎日のように立ちあって十年近いが、一度も勝ったことがないし、そもそも、勝てると手応えを感じたことさえない。
それは今日の朝練も例外ではなかった。
自宅の道場は冬のシンとした空気が張り詰めていた。
しかし、足元から漂う冷気に寒いなんて弱音を吐くほどの余裕が荘司にあるわけではない。
むしろ、そんなことで集中力を乱されている現実の方に寒気がする。
道場は十五畳くらいの広さで、天井がやけに高いのは素振りをする際に問題にならないように、という配慮だ。
個人が鍛錬(たんれん)するには十分な広さである。
十六年という荘司の長くない人生の中で、道場にいる時間が一番長いかもしれない。
いや、本当にそんなことに気を取られている場合ではないのだ。
静かで張り詰めた空気の中、荘司は父と互いに正眼の構えで対峙していた。
父も荘司と同じく道着の上に防具を着用している。
背丈や体格だってもうそれほど変わらないはずなのに、竹刀を構えて立っているだけで自分より一回りは大きく見える。
竹刀は触れるか触れないかの距離だった。
いわゆる一足一竹刀の間合い――これが基本だ。
もう一歩踏み込み、竹刀を振れば敵を斬ることができるのだが、牽制し合うことでギリギリの均衡を保っていた。
いや、それは荘司の視点であり、父からすれば、ただただこちらを試しているだけだろう。
相手を圧倒できるだけの能力を有していて、小出しにする意味があるとすれば、それは試すためでしかないのだ。
駆け引きが通用するほど力の差が拮抗していればまた話は違うのだろうが、父は遥かに格上の存在である。
剣道は間合いの奪い合いがそのまま勝敗に繋がる。
それは実際の距離だけではなく、心理的な駆け引きも含まれる。
荘司はほとんど動いてさえいないのに、もう劣勢に立たされていた。
ジッとしているだけなのに、荘司は遠近感が狂わされる。
それに伴って視界が歪みそうになるが、それは父の『意』に完全に呑まれているということであり、荘司は丹田(たんでん)に力を込め我を保つことで対抗する。
それは一段高いところから世界を俯瞰(ふかん)するイメージだ。
他人事のように状況を分析はするのだが、感情と結びつかせない。
速度や技術、体格や筋力、そんなものとは一線を画している。
すなわち、『呼吸』と『間合い』の殺し合い、化かし合いである。
自分だけではなく、人と戦っているからこそ生まれる精妙なやり取りだからこそ、一瞬で戦いは決してしまう。
今の状況は息を整えて自分を保つことしかできないのだった。
荘司は息を鎮める。
気温を無視して身体が熱を帯び、汗が顎を伝い、板張りの床にシミを作る。
熱い。
苦しい。
その苦しさは発熱した際に生まれたものだ。
息苦しいというよりも単純に喉が渇き、口内が粘っこくなる。
ジリ、ジリと焦燥感をかき立てられるような時だけが過ぎる。
ただ構えているだけでも体力の消耗は激しかった。
人はがむしゃらに暴れまわるより、身体を支えるだけで微動だにしない方が堪えることがあるというが、今はそんな状況に加えて父からのプレッシャーが加えられる。
恐怖心に囚われているだけではないのだ。
竹刀で打たれる恐怖心が皆無なんてことではない。
そもそも、それは生き残るための能力が欠如しているという意味なので恐怖は必須だ。練習をするということも衰えることへの恐怖心がなければ集中できないのが普通だ。
感情を殺すな、とは父の教えだった。
ただし、感情に振り回されるな、飼い慣らし、律しろ、と。
それが荘司の耳にタコができるほどに聞かされた一つの指針であった。
感情が生まれるのは自然なことなのだ。
それを受け入れることがその第一歩であり、最終地点でもある。
それが振り回されないということであり、必要以上に気にしないという意識が大切なのだろう。
今、荘司は父が自分を斬りかかるタイミングを嗅ぎとろうとしていた。
その先を制す、それだけに意識を集中していた。
……何が違うのだろうか?
立ち姿、その姿勢が違うのだろうか?
いつもこちらが力み、集中を切らし、先に打とうとしてその前に斬られてしまう。
受け潰しという技術は鉄板流と呼ばれる大棋士のように揺るぎない。
この感覚の差がどうしてもつかめない。
いや、その永遠ともいえる一瞬が理解できない。
ほんの少しなのだ。
あともう少しで見えそうな気配はあるのだ。それは蜃気楼(しんきろう)のような幻ではなく、実在しているはず。
言葉にできるかどうかは微妙だが、
……今!
荘司が息と共に唾を飲み込んだ瞬間、父が斬りかかってきた。
――いや、違う!
しかし、そう判断したのはほんの一瞬であり、実際のところ、父さんはまだ斬りかかってなどいなかった。『意』を操られたのだ。そう、見える。いつもと同じだ。見極める。真なる攻撃の瞬間を。動きそうな自分の体を制する。まだだ、まだだ、まだだ――。
衝撃。
痛み。
目の奥で光が明滅する。
まだ動いてないと思った父がいつの間にか残心をとっていた。
頭を打たれて、いや、荘司が気付かない間に『斬られて』いたのだ。
ぐらりと身体が揺れ、思わず荘司はその場に膝をつく。
面で防御されているのに歯を食いしばって眩暈に耐える。
視界が完全にブラックアウトするほどの衝撃だった。
父は厳然と告げる。
「立て」
「……は、い」
荘司は吐き出す息で返事する。吸い込むことができない。震える足を叱咤し、荘司は立ち上がる。そして、しっかりと一礼し、下がる。
今日の父との特訓もこれで終わり。今日も負けた。
悔しかった。
毎日毎日、敗北を積み上げ、屈辱という泥濘(でいねい)を舐める。しかし、それは悪いことではない。悔しさという感情を失ってしまった時に人は歩みを止めるのだから。
荘司は悔しさを噛み締めながら面を外す。
朝稽古の終わりだった。
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