第8話 心臓病の妻 有希をいたわる大杉
大杉のOKサインに有希はほっとしたような表情を浮かべ、
「わあ、やったあ。これで未来のデザイナー誕生ね」
有希は無邪気にはしゃいだ。
小学生のような笑顔を見せ、大杉にすがりつく有希を見て、真由子は軽い嫉妬を感じずにはおれなかった。
夫婦というよりは、兄妹みたいな関係に見える。妹をいたわる兄と、その庇護の元で無邪気に甘える妹。ちょっぴりしつけの厳しい兄と、それに従順に従う妹。
もうここまで親密だと、真由子の入り込む余地など、許されなかった。
でもいい。こうして大杉と向かい合えただけで、私の夢は叶ったんだ。
真由子は、そんなちょっぴり悲しい言い訳で、自分を慰めずにはおれなかった。
そのとき、有希がベビーピンクの腕時計を見て言った。
「あっ、もう六時半。早く買い物しなきゃ。ほら、あなたの好きなすきやきコロッケ、売り切れちゃいそう。ついでに、私の未来のデザイナー誕生記念のお祝いのケーキも、特別にふんぱつしていいでしょう」
「こら、有希。調子に乗るな」
有希は、大杉としゃべるときは、少し上目遣いにしゃべる。その仕草が、まるで人形みたいである。
二人は、目の前の真由子のことなどは眼中になく、夫婦の世界に入っていたが、それは日常生活の一端の自然な光景である。
真由子はそれを静かに見守っているうちに、自然と涙がにじみでた。
これほどまでに、愛し合っている夫婦を、目にするのは初めてだった。そんな男性に片思いしていたとはいえ、二人の愛をただ、見守っていきたいという感情が心地よく沸き上がってきた。
二人の愛を壊そうなんて考えること自体が、罪人であるかのように、思えてならなかった。
私はただ、大杉さんがどんな人か知りたかったの。ときめきを感じさせてくれた人と、ちょっぴりふれあいたかっただけ。
それは、苦しい自己弁護とわかっていても、真由子はその言い訳にすがりつく以外に、自分を慰める方法など思い浮かばなかった。
「お久しぶりですね」
有希が買い物にいくために、席を立った途端、大杉が初めて真由子に話しかけた。
「ええ、あれは確かに京都の三条店以来ですね。私のこと、覚えて下さったんですね」
「ああ、もちろん」
「じゃあ、あのときなぜか『さあ、知らんなあ』なんてとぼけたりしたんですか」
「ああ、ごめんなさいね。あれは、自分の気持ちをごまかさずにはいられなかったんですよ」
「今だから言うけどね。実は僕も、あなたのことを、結構感じのいい人だなって思ってたんですよ。できたら、あなたのような人がそばにいてくれたら、気分も変わるだろうなあなんて思ってた。しかし、僕には有希がいる。だから、あなたに近づくことなんてできなかったんですよ。
あなたって、有希にはない魅力をもった人、そんな人と接したら本気になっちゃいそうで。もしそうなったら、心の中で有希を裏切ることになりそうで怖かった。
かといって、あなたは遊びの対象として割り切れるような、雰囲気の人ではないし。だから、僕はあなたから、背を向けるしかなかったんだ」
やっぱり、大杉さんって私の思ってた通りの人だったなあ。
見つめ合い、抱き合うことが恋の表現なら、目を伏せ、背を向けることが愛のあかしである場合もある。
いつかは冷めてしまう肌のぬくもりより、目には見えないが心に発した愛の芽の方がはるかに強いのではないだろうか。
愛の芽はいつかは、花咲くときが訪れるだろう。
大杉は静かに語り始めた。
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