第11話 いまさら
「はぁ〜」
深く長いため息が、ミルクガラスのシェードランプがやわらかく照らす店内へ沈んでいく。
染め糸の部屋でパソコンをいじっていたしろくんが、ライティングビューローに座る私をちらりと見る。
「どうしたんですか。ご飯食べすぎました?」
たしかにさっき、祖父の美味しいご飯をもりもり食べたけれど、食べすぎでため息とか、完全に子供あつかい。
私、しろくんより四つも上なのに。
コホンと、ひとつ咳ばらいをする。
「しろくん、女性にそういうデリカシーのないこといったら、嫌われるよ。私だからいいようなものの。彼女にはいわないようにね」
「彼女なんて、いないです」
ふいっと、猫みたいにつれなくそっぽをむいた。
「えっ、しろくんもてそうなのに」
「まこさんこそ、デリカシーないですよね。僕にそんなこというなんて」
あっ、うちにしょっちゅう来てるんだから、彼女はいないか。しまった。傷つけたかな。しろくんはまだ、ぎりぎりガラスの十代なのに。
「それより、イヤリングのデザインできたんですか」
ご飯を食べた後、店で仕事をしてる理由はデザインがきまらないから。ため息の理由もこれ。
ゴールデンウィーク真っ只中の現在。ありがたいことに、店は連日お客さんでにぎわっている。
SNSをみて、遠方から来られるお客さんもいらっしゃった。
手芸が趣味だけど、こんなに多くの染め糸をおいている店は見たことがないと、喜んでくださった。
すると、すかさずしろくんがネットショップの案内をしたのだ。染め糸なら、ネットショップでも購入できますよ、と。
私にかせられたふたつの仕事のうち、イヤリングより、ネットショップの方が早く出来あがった。
しろくんにせかされたのもあるけれど、遠方のお客さんへ染め糸をとどけることができる。その思いに背中をおされた。
今日も忙しく、閉店してからしろくんがネットショップの注文を、まとめてくれていた。
そして、後回しになったのがイヤリング。あやちゃんの誕生日は五月の末。もう時間はない。
あいるさんも、イヤリングを楽しみにしていると、いっていた。
ちょうど昨日、あいるさんは来店された。さらさ西陣で会ってしばらくぶりだった。
雨宮さんがプチポアンクロックをたいへん気にいっていたと、報告に来られたのだ。
それから、伏見にはいかないと。
あのポスターの酒蔵は、松本酒造という伏見の壕川沿いに建つ酒造メーカーだった。
夢の中の景色を見にいくか、あいるさんはそうとう迷ったそうだ。でも、やめたと明るい声でいったのだ。
『やっぱりやめとく、こわいし。夢の中の私と今の私を混同しそうで』
おずおずと、私が夢はまだ見ているのかとたずねると。
『なんか、また会いたいって思いながら、最近は空ばっかりみてるんよね。冬が終わって、あの人は去っていったみたい』
空ばかり? 恋しい気持ちがつのっているのだろうか……。
でも、あいるさんに以前の悲痛な感じはない。夢は夢とわりきっているみたいだった。
それならよかった。生まれかわりなんて、そんなことあるわけがない。
現在の自分は過去の自分のかわりじゃない。
私は、しろくんの背中に遅い返事をする。
「あやちゃんも、あいるさんもイヤリング待ってくれてるから、早くしないとね」
うつむいていた頭がふっと持ちあがり、くるりとふりかえる。
「あいるさんは自分の前世、知りたいと思わないんですね。昨日まこさんにしゃべってるの、聞こえてきました」
あいるさんのことをいわれているのに、自分のことをいわれているようで、ドキリとした。
「前世って、そんなオーバーな。ただ不思議な夢みてるだけなのに」
「前世の記憶を持ってる人、けっこういるんですよ。小さな子供が、突然母国語以外の言葉を、しゃべりだしたり。チベットでは、何度も輪廻転生する高僧がいる」
仏教の思想には人の魂は輪廻転生するとある。だからお年寄りはよく、赤ちゃんが生まれると、なくなった誰々の生まれかわりだとすぐにいうのだ。
「でも、前世の記憶なんてあっても幸せなの? そんなもの、ない方がいいんだよ」
あいるさんを見ていたら、変な夢をみて、けして喜んではいなかった。むしろ、つらそうだ。
「まこさん、僕が最初にここへ来た時、やっとあなたに会えたっていったの覚えてますか」
しろくんの、整った顔はアンティークドールのように、無表情だった。
「お、覚えてるよ。私たちどっかで会ってたのかな」
ずっといえずにいた問を、いまこのタイミングでいうのは我ながらずるいと思う。
私はずっと無視してきたんだから。
「僕たち、前世で会ってたっていったら、どうしますか」
「なんで、いまさらそんなこというの?」
いまさらなのは、私だ。ずっと棚上げしていたことを聞いて、相手に質問でかえされ、うろたえている。でも、ここで、わずかな抵抗でもしないと、しろくんの瞳の奥へ吸い込まれそうだった。
「冗談ですよ」
しろくんは、何事もなかったかのようにパソコンへ向かい、キーボードを打ちはじめた。
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