第14話 風呂上がり
「まずはお体をお拭きします」
楓が体に巻いていたバスタオルが、向日葵の手にスルスルと奪われた。
楓は反射的に腕で体を隠した。
「これがお嬢様扱い?」
「そうでございます」
「いや、お嬢様でもそれくらい自分でするでしょ。っていうか今の時代お嬢様っているの?」
反論を口にし動揺を誘い、バスタオルを取り返そうと躍起になった楓だったが、向日葵は俊敏な動きで楓の手をサッサッとかわした。
楓は体を腕で隠しているため、片腕しか使えず、動きが鈍くなっていた。
「いいからいいから、じゃあ今の時代じゃないお嬢様ってことで」
向日葵は飄々と述べると、スキをついて楓の体を拭き始めた。
「あっ」
「大丈夫だよ。優しくするから」
「いや、そう言う問題じゃなくて」
なにやら興奮気味に、鼻息を荒くする向日葵に、楓は身の危険を感じた。
一歩また一歩と近づいてくる向日葵の姿に、楓は放課後の学校裏を思い出した。
後ろは洗濯機、楓に逃げ道はなかった。
「ひあー」
結局、楓は向日葵からバスタオルを取り返すことはできず、されるがまま体を拭かれた。
「はい、最後は隠してる部分も」
「自分でやるよぉ」
「いいから、もうお風呂場では隠してなかったんだから隠す方が恥ずかしいよ」
向日葵の言葉で、楓はゆっくりと腕を下ろした。
何度も理由をつけてやめさせようと試みたが、向日葵が手を止めることはなく楓は体を隅々まで拭かれてしまった。
「うう」
「触られるくらい今さらでしょ。それに、今回はタオル越しだし」
「納得できない」
「それに、楓ちゃんが暴れたせいで床がびしょびしょだからね」
「それは、申し訳ない」
「さ、今度は下着ね。次こそはじっとしててね」
「いやだからそれくらいお嬢様でも自分でやるでしょ」
「いいからいいから、やってあげるって言ってるんだからここは甘えとけばいいのさ」
「だから納得いかないって」
反抗しようにもすでに下着は向日葵の手の中に落ち、奪い返そうにもまたも目にも止まらぬ動きでいなされるのだった。
今度は両手が空いていたが、それでも結果は同じだった。
何も着ないで廊下に出るわけにもいかず、仕方ないと思い楓は諦め、今度は大人しくする道を選んだ。
「よろしい」
向日葵の指示に従い下着をつけてもらう。
今のところ下着を自分でつけられない楓は、できない姿をさらすよりマシかと考え直した。
体を拭かれる時もそうだったが、下着をつけられるときの方が肌が擦れその度に楓の口から吐息が漏れた。
今までしてこなかった経験に、肌の感覚が敏感になっているのか、擦れるたびに体を震わせた。
楓は自らの体を自動的に動かしてつける時とは、比べ物にならない恥ずかしさに体の火照りを自覚した。
「体熱いよ?」
「風呂上がりだからだよ」
「そっか」
向日葵はそれ以上聞かなかった。
なんとかごまかしたと安心して楓は下着をつけ終えるのを待った。
「次はパジャマね」
「いや、もうそれこそ誰だってできるよ」
「いいや、これこそ着せてもらうものでしょ」
「そうなの!?」
「そうだよ!」
よくわからない向日葵の気迫に気圧され、楓はもう観念してぱっぱと着させてもらう道を選んだ。
「よくできましたって言って」
「え? よくできました?」
「疑問系じゃなくてもっと偉そうに」
「よくできました」
演技などしたことなかったが、楓は偉そうなキャラクターと思い出して、言った。
向日葵は満足したように頷くと、それ以上修正を求めず、楓の前でひざまずいて、右手を胸に当てた。
「お褒めに預かり光栄です」
そして、向日葵は楓の手を取り口元へ近づけると、そのまま手の甲を唇に押し当てた。
楓は反射的に手を引っ込めそうになったが、ここではこらえ、向日葵が唇を離すまで待った。
「これがお嬢様なの?」
「こんな感じじゃない?」
おそらく向日葵はお嬢様と執事か何かの真似事をしたのだろうが、楓には実感が湧かなかった。
たいてい第三者目線からしかみたことがないため、ひざまずく向日葵の姿を見て、これだ。とは思えなかった。
そもそもパジャマ姿のお嬢様はギリギリわかるが、体にタオル巻いた執事では締まらないな。と楓は思った。
「ささ、次はこちらにお座りください」
もう抵抗することを諦めていた楓は、促されるまま椅子に座った。
ドライヤーからブオーという風の音が鳴ると、向日葵は楓の髪に風を当てた。
「……」
楓は鏡越しに向日葵がなにやら口を動かしているらしいことに気づいたが、聞き返すことなく目をつむって無視した。
長い髪を一人で乾かすのはさぞ大変だろう。と思いながら楓は弛緩しきって優雅に座っていた。
前世の楓は床屋へ行くことが面倒だったが、ドライヤーで乾かす時間の方が面倒臭いと感じ、髪が伸びると床屋へ行くほどドライヤーの時間が苦手だった。
風を当てていると乾かすはずが、いつの間にかむしろ汗をかいていることによくいらだちもしていた。
だが、今は向日葵が勝手にやってくれていることをいいことに、何も考えずただ髪を乾かしてもらっていた。
自分でやっている時には感じなかったくすぐったさを楽しみながら、向日葵の手が頭や髪に当たる感覚をうつらうつらとしながら観察していた。
楓の顔には笑顔がのかっていた。
「はむぅ」
「……!?」
声にならない声を上げ、楓は立ち上がった。状況が理解できず、何かが当たった部分を咄嗟に両手で押さえた。
向日葵の姿勢からすると、どうやら楓は耳を噛まれたらしかった。
耳は無事残っていて、噛みちぎられたわけではなかった。
「食べ物じゃないんだし食べてないから大丈夫だよ。ちょっと甘噛みしただけじゃん」
「いや、なんの前触れもなく、え? 甘噛み?」
「ちゃんと言ったよ。あ、言いましたよお嬢様。こくこくと頷かれてましたし」
気持ちよさにうつらうつらしていたのが了承と判断され、噛まれようだ。
「僕のせい?」
言葉遣いにはツッコまず聞き返したが、向日葵は気にする様子もなく口を開いた。
「まあいいじゃない。ちょっとしたことでしょ」
向日葵はぽんぽんと椅子を叩き、楓にまた座れと合図をした。渋々座った楓だったが、少し前のようにリラックスすることはできなかった。
向日葵が楓の髪を乾かし終えると、向日葵は自らの着替えをし、髪を乾かし始めた。
何度か今度は自分がやると言った楓だったが、向日葵は今日のお嬢様は楓だからと言って聞かなかった。
その抵抗として、着替えを一から観察することにした。
人の振り見て我が振り直せということで、楓は向日葵の着替えから今後自分でも着替えられるように学ぼうと考えた。
だが向日葵は大人しく着替えず、楓にポーズをとって見せたりした。恥ずかしがらせるつもりもあったが、楓は顔が赤くなったのがバレる前に向日葵から視線を外した。
結局楓は、向日葵に対して何もできずに浴室を後にした。
「ささ、あとはお部屋までエスコートしますよ」
「これはちょっとそれっぽいかもね」
風呂上がりやドライヤーをかけられている間落ち着かなかったこと、向日葵の着替えでさらに体が熱くなったことなどが重なったせいで神経が昂っている楓はテンションが上がっていた。
そのため、向日葵のごっこ遊びにもノリノリで付き合い始めていた。
「段差にお気をつけください」
「わかりましたわ」
楓はそのまま向日葵に手を引かれ階段を上り、部屋の前まで戻ってきた。
ドアも開けてもらい、クッションも用意してもらい、その上に座った。
「少々お待ちください。アイスを持って参ります」
「うちのですわよね?」
「すぐにお持ちします」
楓の質問に、明確な返事もしないで向日葵は部屋を後にした。
束の間の休息、結局風呂には一人で入ることができなかった楓だったが、リフレッシュできたと感じていた。
クーラーで冷やされた部屋に楓の頭は冷やされた。
いつもの楓ならなら自分の行動に身悶えしていたところだが、今は遠くから聞こえてくるエンジン音にまだ忙しく動いている人々を感じた。
忙しなく過ぎた一日だと感じたが、それでも自分よりも長くせっせと働いている人を思うと少し楓の気は安らいだ。
楓の父もいい例だ。
まだ家に帰らず仕事を続けている。
向日葵の両親も家にいることが少ないと言っていた。
忙しかったり、大変だったりするのは自分だけじゃないという事実が楓の死や転生、フラれたショックをほんの少しだが軽くした。
大人たちが社会を回してくれるから学生という身分でいられるのだと感謝し、楓は再び外の音に耳を傾けた。
すぐという言葉は本当だったようで、コンコンというノックの音が響いた。
楓は思考を切り上げると現実へ戻ってきた、彼女の向日葵もまた楓の心を軽くしていた。
「どうぞー」
「失礼します。お嬢様、あまり言葉を伸ばされては、はしたないですよ」
「そういうもの?」
「おそらく、ささ、アイスでございます。ややっ、お風呂からあがられてすぐに扇風機に当たると冷えてしまわれますよ」
「なんか、今のは執事って言うより、じいやみたいだね」
「大体同じじゃない? そろそろ終わりにしてアイス食べよっか」
「そだね」
こうしてお嬢様と執事ごっこは幕をおろした。
「ありがと」
「どういたしまして」
向日葵が持ってきたアイスはバニラとチョコだった。双方チョコを望んだためじゃんけん。数度のあいこの末、結果は、楓がバニラ、向日葵がチョコとなった。
冷凍庫から出したてのカップアイスは固く、なかなかスプーンが刺さらなかった。擦ってすくってもほんの少ししか集まらず、食べようにも食べられなかった。
「れろー」
「それのがは、したなくない?」
「いいの楓ちゃん以外誰も見てないし」
手持ち無沙汰で向日葵はカップアイスのふたについた部分を舐めた。
楓もせめてもの思いで舐めた。擦って集めた部分よりは味があったが、それでも満足感が得られるはずもなかった。
「そっちもちょうだい」
「え、もうないよ」
「いいからいいから。はい、こっちもあげるね」
楓は何に使うのかと思い、とりあえず渡した。すると向日葵はほとんど唾液しかついてないふたを舐めた。
そんなにケチなのかと思ったが、まだ舐め残しがあるのかもしれない。楓も真似して受け取ったふたを舐めた。味はしなかった。
楓には向日葵の意図がわからず、また考えなかった。そのため、本物のアイスに向き直ると、時間も経っただろうと考え再びスプーンを突き刺した。が刺さらなかった。
「溶けないね」
「そうね。こっちも、チョコなら溶けやすいかと思ったけどダメだー」
向日葵は脱力して床に寝転び、左右に転がり出した。
楓はその間も果敢にアイスに挑んだが結果は同じだった。待ってから少し待つタイプのものかもしれないと考え始めていた。
ついに転がることにも飽きたのか、向日葵はアイスを持ってきたにも関わらず、あめの包みを開けると舐め出した。
楓もやることがなく、向日葵を見ていた。
「美味しい?」
「うん。食べる?」
「まだあるなら」
楓は手を出した。すると、向日葵は楓の両肩をつかんだ。
何かおかしいと思った楓だったが、向日葵の細い腕のどこに力があるのか、楓は身じろぎひとつできなかった。
しかし、首が自由だったため、みるみる近づいてくる向日葵の顔を反射的に避けることはできた。
「な、何しようとしてるの?」
「あれろあれろうろりれるろ」
舌にあめを乗せたまましゃべる向日葵の言葉を楓は聞き取ることができなかった。
しかし、今何をしようとしているのかは状況からわかっていた。
次もかわわす。と意気込み正面から向日葵の顔を見た楓だったが、瞬間移動のように高速で接近したきた顔に反応できず、楓は口の中に入れられるあめを受け入れるしかなかった。
「んんー!」
「おいしいでしょ」
驚きで咳き込んでしまうも、吐き出さないように気をつけた。突然の心拍上昇。
口の中に球体が転がっていることは理解できたが、楓は味を感じられなかった。
「おいしい。かな? ちべたっ」
感想を聞く間もじっとしていなかった向日葵は楓の頬にアイスのカップを当てた。
「おー溶けた溶けた。楓ちゃんがいい感じにあったかくなってるから、もう食べられそうだよ」
「僕はアイス溶かす係じゃないんだけど、それに時間が経って溶けたんでしょ」
向日葵の作戦通りかそうでないか。
まんまと楓の火照った体でアイスは溶け、スプーンを入れるのにちょうどいい柔らかさになった。
「ちべたい」
楓は仕返しに向日葵にアイスのカップをぶつけるといたずらっぽく笑った。
楓のアイスも食べやすくなり、二人は時々交換しながら。アイスを食べきった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます