第13話 風呂

「お先にどうぞ」

 自分が言おうとした言葉を先に取られ楓は驚いた。

 向日葵はあれだけ楽しそうにしていたものの、向日葵は楓の部屋につくなり、座り込んでゲームを始めたのだ。

 楓はてっきり、走ってでも先に入ろうとすることを予測していたため、意表を突かれた形となった。

「あれ、先に入れろー! って感じじゃないの?」

「お風呂は逃げないからね。私は焦らされるのも大丈夫なタイプだよ」

「お風呂が焦らしてるわけじゃないけどね」

 律儀にツッコんでから、楓は向日葵の言葉に甘えることにした。

 少しの間でも一人の時間がほしくなっていたのだ。

 思い返せば、転生してから誰かといる時間ばかりで、昨夜の風呂も半ば気絶状態でゆっくりすることもできなかった。

 今まではそそくさとお風呂を済ませるタイプだった楓だが、今は一人で湯船に浸かりゆっくりしたい気分だった。浴槽を思い浮かべると今でも少し不安に顔が歪んだが、いざとなれば助けてくれるだろうという安心感から楓は風呂の準備を始めた。

「はいこれ、向日葵用のパジャマね」

「わかったー行ってらっしゃーい」

「はーい」

 向日葵の気楽な返事を聞いてから、楓は自室を出た。

 変なことはしないように釘を刺しておくべきだったか。とも考えたが、下着類の入っているタンスは見ないように言ってあったので、楓は戻ることなく浴室に向かった。


 楓は今でも慣れなかったが、体が自動的に制服を脱がしてくれていた。

 男子の学ランが、雑に着られることを思うと女子は大変だな、とリボンをほどきながら考えていた。

 しかし、これ以上はイカン、と一瞬楓は手を止めた。リボンの次は、とりあえず、靴下から脱ぐのだった。

 楓にとって制服の上下が鬼門だった。なくなれば、隠している部分が見えることになるのだ。だが、体が戻る保証もなければ、戻る方法さえもわからないのだと言い聞かせた。今の体に慣れるべく、上からゆっくりと脱いでいった。

 まるで、目の前の女子を脱がせているような背徳感を覚えながら、楓は自らが下着姿になる光景を鏡越しに見ていた。

 やはり、未だ覚悟が足りず、自らの下着姿もチラチラと見ることしかできなかったが、今のところはそれで進歩とすることにした。

 水泳の着替えではまじまじ見るということを考えなかったため、なんとかなっていたが今はそうではなかった。

 一つ目の難関を越えたものの楓の手はまたしても止まってしまった。今度の方が止まった手を動かすことは楓にとっては非常に大変な激務だった。

 数秒羞恥心と格闘したのち、結局下着姿のまま浴室に入るわけにもいかず、覚悟して脱ぐと、目をつむって浴室に入った。

 浴室内で目を開けると、湯気により、ほどよく視界が遮られ、楓はほんの少し平常心を取り戻した。

 深呼吸を一度してから、鏡に映る姿を直視した。

 今の姿になってから初めて見る、自らの一糸まとわぬ姿を前に、本当に女子になってしまったことを自覚した。

 死して、生き返ったのだから、それだけで喜び未練など持つべきではないと考えたが、それでも、あるものがなくなっているのを見るのは、楓をどうにもやるせない気持ちにさせた。

 下着の形状や感触からわかっていたことだったが、改めて見せつけられるとショックは大きかった。

「はあ」

「ヤッホーって自分の体見てるの何してるの? 意外とナルシストだったの? まあ私は楓ちゃんのそう言う趣味も否定しないけどね」

「違うよ! ただ見てただけでなんでもないって。それより何しに来たの?」

「お風呂!」

 端的に述べる向日葵に、楓が聞き返すより早く、

「ささ、お客さん。どうぞどうぞ」

 と促され、楓は渋々椅子に座った。

 向日葵は手際よくシャンプーを泡立てると、楓の頭を洗い出した。

「お客さん。かゆいところはありますか?」

「んーん」

「そうですか……」

 何か期待していたのか、楓の返事にちょっとしょんぼりしながら、向日葵は楓の頭を洗い続けた。

 楓は人に洗ってもらうのなどいつぶりだろう。と思いながらしばらく洗われていた。

「髪長いけど伸ばしてるの?」

 店員さん口調はどこへやら、向日葵が聞いてきた。

「うーんと、長い方が色々髪型変えられるかなーっと思って」

 楓はテキトーに答えた。

 女子の髪の長さ事情など楓は知らなかった。

 ただ、長い方が好みではあった。その分ケアとか大変だろうが。

「なるほど」

 と向日葵は言っているが、合っていたのか、間違っていたのか楓には判別がつかなかった。

 それは違うよ。という反論にヒヤヒヤしながら向日葵の次の言葉を待った。

「でも、下ろしてるだけで結んだりもしてないよね?」

「それは、うーん……」

 昨日今日はそうだったけど、と言おうとしたが、記憶にも特別複雑な髪型をしている記憶はなかった。

 それに、調べ上げたと言っていた向日葵を前に、理由ならまだしも、見た目でわかることで嘘をつくのは得策ではないと考えた。

「これから、やろうかなって感じだよ」

「そっか、じゃあせっかくだし、お揃いにしようよ」

 男子なら泡で髪を逆立てるところだろうが、向日葵にしっかり泡を流されると、

「両手で持ってて」

 と言われ、わからないなりに髪を握った。

「えへへ、簡易ツインテールでお揃いだよ」

 鏡には二人一緒に手でツインテールを作っている姿が写っていた。

「いや、ツインテールはなんか恥ずかしいって言うか」

「でも、かわいいし、似合ってると思うよ?」

 ポッと音がするほど照れると楓はすぐに向日葵から視線を外した。

「照れてるの?」

「照れてない」

 実際照れていた。

「赤くなってるよ」

「熱いからだよ」

 赤くなっていることを風呂場のせいにしたものの、実のところかわいいと言われるだけで照れていた。楓は自分に対するキラーワードだと自覚した。

「でも実際かわいい顔してるけど、そうね。短くしてかっこいい系もいいかもしれないけど、せっかく伸ばしてるんだし、ポニーテールとか?」

 かわいいと言う言葉に咄嗟に顔を背けてから、考えてみた。ツインテールの姿は心理的にハードルが高かったが、ポニーテールなら気持ち大丈夫そうな気がした。

「それならいいかも」

 決め手は楓にも簡単にできそうだし、何よりただ下ろしているよりも涼しそうだったからだ。

 暑い中周りは工夫を凝らし髪型をアレンジしていたが、楓は長髪でしかもただ下ろしていたせいもあり、余計に暑かったのだと今になって納得した。

 向日葵は楓の後ろに回ると髪を一つにまとめて見せた。

「どうですかい?」

「いいかもね」

「じゃあ、明日は二人でポニテね」

「二人で?」

「お揃いは嫌?」

「嫌じゃないよ」

「じゃあ決まりね!」

 約束だよ。と小指を出されると、楓は指切りをした。

 それから、向日葵はえへへと笑いながら嬉しそうに今度は自分の髪を手でまとめていた。

 明日から一緒に登校するのに、一緒に家から出てきて、同じ髪型など何言われるか戦々恐々としたものの、子犬のようなつぶらな瞳で見つめられては楓は断ることなどできなかった。

 先程、向日葵を泊めることに自分都合で反対しようとしたこともあり、楓は反対しなかった。

 我慢するのは違う気がしていたが、そうではなく、相手の喜んでいる顔を想像すると、恥ずかしさより嬉しさが増したのだった。

 まだ実行していないにも関わらず、楽しそうに笑顔を浮かべてくるくると回っている向日葵を見て、楓も嬉しくなってきていた。

「そんなに回ってると滑るよ」

「大丈お」

 楓の言わんこっちゃなく、言ったそばから向日葵は足を滑らせた。

 楓は咄嗟に身を投げ出し壁になろうとしたが、壁に両手を突き出し、バランスをとった向日葵に壁ドンされる形になった。

 心拍が急に跳ね上がる。

 二人の間に沈黙が流れた。

 数秒間見つめあったものの、互いにサッと目をそらしてしまう。急に訪れた気まずさ。

 再び視線がぶつかると向日葵は口を開いた。

「俺と付き合え」

「付き合ってるでしょ」

 冗談めかした向日葵のセリフに、互いに笑い合うと、再び体を洗い出した。

 途中、前は自分で洗うという楓の言葉を聞かず、向日葵の手が伸びてきては楓がそれを叩くというのを繰り返した。

「フヒー極楽極楽」

「おじさん?」

「いっやーお風呂が気持ちいいのは年齢関わらずだよ。気持ちいいでしょ」

「まあ、気持ちいいけど」

 家の風呂に二人で身を沈めると当たり前だが狭かった。

 楓が一人で入っても、膝を少し折らないと入れないところに二人も入れば、それはぎゅうぎゅうだった。

 しかし、未だ完全に消えたわけではない水への恐怖が向日葵と一緒だと薄れる思いだった。

 そんな余裕のできた楓の心は、湯の中で足や膝があたりあう初めての感覚で混乱状態になっていた。楓がずっと思っていたことだが、楓も向日葵も肌がすべすべだった。

 男の時も最低限は気をつけていたつもりだったが、それでも比較すれば赤ちゃんと岩ぐらいの違いだった。

「うふふ。好きだよ。楓たん」

「どうしたの?」

「うふふふふ。んふふふふふ。楓たん。楓たーん。ぬふふふふふ」

 向日葵は突然気味悪く笑い出した。同時に、しきりに楓にキスを迫ると押し返す手を巧みにかわし、頬に唇に口づけするのだった。

 そのままバグったようにうふふふふふと繰り返していた。

 少し湯船に浸かっただけなのにのぼせたのかと思い、楓は慌てて立ち上がった。

「ふふふ。積極的だね」

 向日葵から伸びてくる手をすんでのところで回避すると、

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

 楓は向日葵の両脇に腕を回すとを風呂から引き上げた。

 風呂に浸かっているからか、階段を登らせた時よりも重く、力が必要だった。

 それでも、このまま放置していずれぶくぶく沈ませないため、必死になって浴槽から引きずり出した。

 次にドアを開けた。

 エアコンにより冷やされたひんやりとした空気が、リビングからか流れ込んできた。

 幸い秋元家では父の帰りはものすごく遅い。

 男の目を気にする必要はなかった。

 とりあえず、軽くバスタオルで体を拭くと、タオルで巻いた。

「何してるの?」

 突然話しかけられ、楓は目を白黒させた。

 向日葵はいつの間にか不気味に笑うことをやめており、横になったまま楓の顔を見つめていた。

「意識戻った?」

「いや、ずっとあったよ。何してるの?」

「え? そうだったの? これは、あれ、向日葵のぼせたのかと思って……」

「スキだらけだったから襲っちゃおうと? それなら言ってくれればいつでも私はいいのに、なんなら今からでもいいよ」

 楓が言い終わるより早く向日葵は言った。

「違うよ! それにいつでもは問題でしょ。ってそうじゃなくって、心配してとりあえずリビングに運ぼうとしてたんだよ。今ならお父さんもいないし」

「そっか、ありがとう。嫌な顔せずお風呂入ってくれたのに、その上介抱までしようとしてくれるなんて……」

「いや、彼女なら当たり前というか」

「なら、毎日一緒にお風呂に入ろう!」

「そ、それは、どうかな……」

「まあ、考えといて、お礼にお嬢様のように扱ってあげるから」

「お、お嬢様?」

 楓は首を傾げた。

「まあまあ、あとはお任せください。楓お嬢様」

 両手を軽く突き出し、落ち着くように促されると、楓はそのまま洗面器の前に立たされた。

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