第12話 夕食時

 夜のとばりが降り始めたが、向日葵に帰る様子は見られなかった。

 暗くなるにつれて、楓の不安は段々と大きくなってきていた。

「ねえ、そろそろ帰った方がいいんじゃない? 大丈夫なの?」

「遅くなっても平気なところって言ったでしょ? 大丈夫だよ」

「それって僕にとってじゃないの?」

「私にとってもそうだよ」

 肩を上げ、平気そうに言う向日葵に、楓は首をかしげた。

 楓には向日葵が冗談を言っているようには見えなかった。どうやら本気で遅くなっても平気と思っているらしかった。

 そして同時に、夏に夜になるということはどういうことかを思い出した。夏は日が長い。ということは暗くなった時にはもうすでに遅い時間なのだ。

「楓ー向日葵ちゃーん。ご飯よー」

 母の声。何故か、向日葵の名前まで呼んでいたのは楓も気になった。

 ゲームをして駄弁っていただけだったが、すでに時間は夕食時になっていた。

「ほら、呼ばれてるよ。ご飯だって、行こっ」

 まるで自分の家かのように、さも当たり前といった様子で立ち上がると、向日葵は手を差し出して楓を立ち上がらせた。

「でも」

 楓は向日葵の説明に納得していなかった。

 遅くなれば遅くなるほど危険が多くなる。

 男の時はヤンキーに絡まれなければ大丈夫だろうと思っていたが、今は女子、家まで送って行こうにも自らの身も危険にさらされるとなると楓の気持ちは固まらなかった。

 不安気な楓をよそに、向日葵は何も気にしない様子でドアノブに手をかけた。

「本当に大丈夫だって、基本両親は忙しくて家にはいないけど、一応連絡しといたし、楓のお母さんにも許可はもらってるから、楓が心配することはないよ」

「そうなの?」

「うん。だからご飯食べよう。もうお腹ぺこぺこだよ」

 あれだけ、お菓子食べていたのにと思ったが、楓も今では空腹だった。

 急な情報量の増加に楓の頭は処理が追いつかなかったが、互いの親が了承済みならいいかと責任を押し付け、楓はそれ以上考えるのをやめた。

 登りの時とは正反対に向日葵は元気に階段を駆け降りていって、すぐに姿が見えなくなった。

 向日葵の姿が見えなくなって、ふと余裕が生まれ、考える楓。

 おや、向日葵は一体何に関してお母さんに許可をもらったのだろうか。と。

「楓ちゃーん。早く来ないとなくなっちゃうよー」

「はーい」

 ひょこっと顔を出して楓を呼ぶ向日葵の姿を見て、楓はとりあえず階下へ移動したのだった。


「美味しそうですね」

「ありがとう。せっかく楓の彼女さんが来てくれたからね。向日葵ちゃんに楓の好物を知ってもらおうと思って」

 照れた楓は即座に母に追及しようとしたが、母からのウインクを受け、母なりの気遣いと受け取り文句を控えた。

 並んでいるのは唐揚げにハンバーグ。見事に昼に美味しいと食べたものとメニューが被っていた。

 冷静になって、あーんされて食べさせられたことを忘れ、お菓子と比べて美味しかったなどと言ったことが恥ずかしくなり、楓は顔を手であおいだ。

「やっぱり唐揚げやハンバーグが好きなんですね」

「やっぱりって知ってたの?」

「ええ、もちろんです。彼女ですからね」

 と向日葵は胸を張ると、母に向日葵が楓を好きになり、楓について調べ尽くした経緯を話した。

「なるほどね。楓が一目惚れしたんじゃなかったのね」

「私が一目惚れでした。運命の出会いってやつですかね」

「いいわね。お熱いわね」

 それからも向日葵は、楓が未だ自覚すらしていない楓の真実のようなものをペラペラと楽しそうに話すのだった。

 何度も止めようとした楓だったが、母がいいじゃないと言うと、向日葵は再び話し出すのだった。

 その中で、何故かついでに楓のスリーサイズの話になり、隠していたわけでもなかったが、向日葵の口が止まることはなく、とうとう暴露されてしまった。

「あらそう、やっぱり着痩せするタイプだったのね。昨日触った時にもわかったけど、しっかり順調に成長しているようで安心したわ。私があんまり大きくないから心配していたのよ。お父さんの家系かしらね」

 楓は反射的に体を小さくした。

「あんまり姿勢を悪くすると小さく見えるわよ」

 明らかに胸を見ながらの母からの更なる追撃に、楓は姿勢だけ正すと俯き肩を震わせた。

 どれだけ自分のことを話すのだ。と楓は思った。

 しかも、父の遺伝がどうだとか言われ、思考はぐちゃぐちゃだった。

「それから……」

「そ、そろそろ、向日葵のことも知りたいんじゃない? お母さん」

 ただ止めるだけでは止まらないならと、楓は話題を帰るために母に水を向けた。

 母は興味を持ったらしく、目を輝かせると頷き、楓に続きをうながした。

 ふふん。と鼻を鳴らし、まだしゃべり足りなさそうな向日葵を見た。

 今度は恥をかかせてやる番だと、反旗を翻すべく楓は意気込んだ。

 しかし、出会いの話はもう話されたため、母の知らない話題となると今日一日の出来事くらいだった。

「向日葵はね。まず、転校生として来て姿を見るなり、この人はって思ったんだよ。歓太郎から聞かされていた不審人物だと思って」

「そうね。見ず知らずの人が居たって聞いてたら、それだけだと怖いものね」

「ひどいなー」

「向日葵だって疑うのは当たり前って言ってたじゃん」

「言ったっけ?」

「言ったよ。続けるよ?」

 楓は極力向日葵の野次を意に介せず話を続けた。

 途中まで楓が気づくことはなかったが、楓が話したそれは、完璧超人である向日葵が、今日一日楓にしてくれたことの数々の紹介であり、向日葵への賛辞であり、付き合い始めるまでのエピソードだった。

「それで、軽々しく内容も聞かずに約束して、人気のないところで唇を奪われた挙句、易々と彼女になったわけね」

「言い方! ……じ、事実だけど……」

 向日葵に恥をかかせようと語り始めた楓だったが、向日葵のように堂々と褒めることもできず、最終的に真っ赤になっていたのは楓だった。

 自分から言い出したことのため、してやられたという反感を抱くこともできず、ただただ熱が冷めるのを待つことしかできなかった。

 楓は冷静ではなかったが、それでも、向日葵の言葉数が少なくなっていることには気がついた。

「どうしたの? 向日葵」

「あーいや、あはは。いい話だったよ。楓たん」

 向日葵のテキトーな返事を楓は聞き逃さなかった。体から余分な熱が放出され、頭が冴えてくるのがわかった。

「そう? どこがよかった?」

「いやーもうね。なんだろう。全部よかったよ。全部」

「具体的には?」

「具体的!? そうね。あの、えっと……」

「もしかして、自分でやってきたことを人に聞かれて恥ずかしくなって思いつかないとか?」

「そ、そ、そんなことないよ。別に、今の今まで夢中でやってきたから気にしてなかったけど、ずっとカッコつけてたとか、好かれようとしすぎてたとか、これで失敗したり、拒絶されてたりしたら一体どうするつもりだったんだろうとか全然考えてないから!」

「考えてたでしょ!」

 向日葵が初めて明らかに照れているのを見てとると楓は向日葵の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「うう」

 と言いながら縮こまる向日葵をいいことに、楓は心理的優位性と今まで自分が感じていた恥を感じさせられたことによる目的が達成できた嬉しさに舞い上がり、今までされてきたことを無自覚にしかえししていた。

 しばらくの間食事中ということも忘れ、二人だけの世界に浸り、笑い合いながら戯れていた。

 しかし、二人してピクッと体を止めると、恐る恐ると言ったふうに前に向き直るまでそう時間はかからなかった。

「ふふ。お熱いわね。私のことは気にしなくていいわよ」

「冷める前に食べちゃおっか」

「そだね」

 母が見ていることを思い出し、二人一緒に赤くなると黙々と食事に戻った。

「別に気にしなくてもいいのに、あーんはしないの? あーんは」

 顔を見合わせると、一口ずつだけ運び合い、それから再び黙って食べた。


「ごちそうさまでした」

 二人は手を合わせて食後の挨拶を終えた。

「はい。片付けは私がやっておくから寝るまで好きにしてていいわよ」

「はーい」

「え? 寝てくの?」

「そだよ。言ってなかった?」

「聞いてなかった」

 皿を運び始めた楓は止まった。

 許可うんぬんの話を思い出し、夕食でなくこれだったかと気づき、思わず食器も気にせず手を額に当てるところだった。

 危なくなる前に皿を運び置いた。

「ん? 寝てくって泊まってくってこと?」

「だからそう言ってるじゃない。こんなに暗くなってるのに女の子一人で帰らせるわけにはいかないでしょ。向日葵ちゃんのご両親になんて説明するのよ。」

「確かに、そうだけど……」

 楓は母の正論に反論を試みようとしたが、言葉が出なかった。

「ね……私は一人で寝るから、向日葵ちゃんは好きにしなさい」

「それは僕が決めることじゃないでしょ!」

 思わず大きな声を出したことで向日葵はビクッとして楓を見た。

「なんでもないよ」

 と言って、皿を運び続けながら再び話し出した。

「冗談はよしてよ」

「ふふ、別に冗談じゃないわよ。恋人同士が一つ屋根の下ですることなんてそういうことでしょ」

 ふふふふふ。と笑い続ける母にツッコム気力もわかず、楓は黙って食卓に並んでいたものを運び終えた。

 何にしても気が早い。

 それに相手がいることだ。仲の良さに相手の気分に色々考えるべきことがあるだろう。と楓は考えた。

 なんとか悶々とした思考を脇へやると、さっさと退散しないと面倒なことになると向日葵の背中を押してリビングを出ようとした。

「あ、お風呂沸いてるわよ。楓、パジャマ貸してあげなさい」

「はー、ん?」

「ん? じゃないわよ。大切な彼女を制服で寝かせる気? それじゃ疲れが取れないでしょ」

「はーい?」

「やったー楓ちゃんのパジャマだー」

「大きい分には着られると思うわよ」

「んっふふ。おっ風呂、おっ風呂」

 向日葵はすでにノリノリでお風呂気分ということが言葉からも態度からもわかった。

 そして、楓が押し出す必要もなく、向日葵はスキップでリビングを出て行った。

 睨みつけるべく母を見ると、母は場を準備したとばかりにウインクしていた。

 見た目ばかり幼く見える母に何も言えず、楓もまたリビングを後にした。

 パジャマを着られるのか。と思いながら。

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