第10話 帰路

「いたっ」

 向日葵の急ブレーキで楓は向日葵に激突した。

「勢い余りすぎだよ」

「いや、前触れもなく止まった人に言われても」

 目的地についたようで、向日葵は指をさした。

 楓はぶつけた箇所を撫でながらその方向を見た。

「えっ!」

 住宅街に特段目を引くような建物はないだろう、と思っていたものの、予想外のものを前に楓はのけぞっていた。

 何が起こったのかわからなくなりながらも、目の前の建物を隅々まで観察した。

「ほら、ここなら遅くなっても問題ないでしょ?」

「確かに問題ないけど……」

 向日葵の目的地は楓の家だった。

 キスや告白をされたことで浮かれ気分で、特段前方すら確認せず、向日葵に手を引かれ歩いていたため、楓は家を見るまで向日葵の言葉以外の情報がすり抜けていた。

 そのため、一度行きに通った道の景色すら見えないまま、自らの家の前まで来てしまっていたのだ。

 とんだ前方不注意である。

「いや、そもそもなんで知ってるのさ」

「だから言ったでしょ。狙った獲物は逃がさないって。そういうことよ」

 楓には一体何をどうしたら、昨日今日で住所まで把握できるのか理解できなかった。

 探偵でも雇えば可能か、とも思ったが、わからなかった。

 そもそもクラスメイトに知られて困ることでもないため、楓はそれ以上考えなかった。

「他にも、楓ちゃんのことならなんでも知ってるよ」

「本当に?」

「転校するまでに徹底的に調べ上げたからね。朝邪魔されちゃったから、逆に楓ちゃんのスリー……」

「た、立ち話もなんだし入ろっか」

 楓はあることないことを公衆の面前で話される危険を感じ、向日葵の背中を押して家にあげた。


「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

 向日葵はなんの遠慮もせずに靴を脱ぎ始めた。

 堂々としてるな。と思いながら、楓も靴を脱ごうとした時、またしてもドタドタと激しい足音が接近してきた。

「おかえりなさい。あら? どうしたの? 友達?」

「いえ、楓ちゃんの彼女の夏目向日葵です。これからお世話になります」

「まあ、丁寧にこちらこそ。今日はどうしたの?」

「遊びに来ました」

 今度こそ強盗かと思う間もなく、颯爽と現れた母だった。

 向日葵は向日葵でこれまた堂々と言ってのけた。楓は向日葵の言葉で胸の内から全身が熱くなる思いだった。

「あらそう。いいわねー」

「ちょっと何言ってるの?」

 楓は向日葵に反射的に口を開いていた。

「え、違うの? さっきOKしてくれたのに……」

 向日葵に心配そうに顔を見上げられ、楓は顔をそむけた。

「違くないけど、違くないけど!」

 楓にとって初めての恋人という嬉しさは確かに本物だった。

 しかし、前の楓なら異性だったが、今の楓にとっては同性ということが、人に話すことを躊躇わさせていた。

 それが、認めないかのような行動を引き起こしたのだ。

「好きじゃないけど、いいって言ってくれたの? そうだよね。私たち今日初めて会ったばっかだもんね」

「違うの。好きだけど、その、嫌いだからとかじゃなくて、なんて言うか……」

 楓は言葉に詰まり、向日葵の顔を見たり、また視線を外したりした。

 人に知られず、二人の間で完結していたらいい。そんな逃避的な思考が楓の頭をもたげた。だが、楓は頭を振って思考から追い出した。そうではない。と、自分もまた向日葵のように堂々としていたらいいのだと。

 楓の感情はあくまで自分の照れや恥であって、向日葵のことを考慮していなかった。向日葵が人に話したい気持ちを尊重していなかった。

 それでも、家族にさえ、一歩踏み出す勇気がなかった。

 プールの時は向日葵からあれほど安心感をもらえた楓だったが、今はそうではなかった。

「家族にくらい話してもいいんじゃない?」

 母は言った。

「確かにわかるわ。普通と違うんじゃないかって気持ち。でも、今までだってそうだったじゃない。お母さん、ずっと楓が女の子を好きだって知ってたのよ。好かれるためにあの手この手を使ってみてるのもね。見てて思ったわ。ああ、娘だなぁって。私はお父さんと結婚したけど、今は世間の理解もあるし、いいんじゃないの? 別に公言しなくてもいいと思うし。それは二人の自由じゃない?」

「お母さん」

「ま、でも、自分のことばかり考えるのはよくないと思うわよ。その辺はちゃんと二人で話し合いなさい」

「はい」

 二人揃って返事をした。

「ささ、玄関で話すのもあれでしょ。さっさと中に入っちゃいなさい」

 今日の母は、いきなり触り出すこともなかった。

 至って真面目に言葉を並べるとリビングに戻っていった。

「ごめんね。楓に確認もしないでバラしちゃって」

「いいよ。僕こそ、向日葵を否定するようなこと言っちゃってごめん」

「遠慮は必要ないって。間違ってたら言ってほしいから」

「うん。向日葵が言いたいなら彼女だって言っていいからね」

「ありがとう」

「どうぞ」

「改めてお邪魔しまーす」

 母が見ていることに気づくと、楓は向日葵を押して家へ押し上げた。


「ねぇ、今日会った子と付き合いだしたの?」

 リビングに入るなり母に聞かれ、楓は頷いた。

「さすがにこんなに節操がない子だとは思ってなかったわ」

「ひどくない? さっきいい感じで話してくれたのに台無しだよ?」

「わかるわ。あの子かわいいものね。まるでペットみたいだし。お菓子を出したら、ちっちゃい子のように喜び楽しみながら食べているしね」

 向日葵を見ながら母は頷きながら言った。

「ペットって……」

「それに行動的よね。早速親に挨拶に来たのかしら。楓が自分から連れてきたんじゃないんでしょ?」

 再び頷く楓。

「でも、挨拶って、そんなたいそうなことしに来たんじゃないんじゃ……」

「彼女が来てるのに親とばかり話してちゃ失礼よ。ほら行きなさい」

 自分から話してきておいて。という思考を脇に置くと、楓は向日葵のもとに向かった。

「美味しいね。これ」

「そう?」

 向日葵はリビングの机に常備されているお菓子を食べていた。

 向日葵が食べているのはスーパーで買える、どれもありきたりなお菓子だ。

 特別に高いものもなければ、期間限定や季節限定といった珍しいものもない。

 どこにでも売っている個包装のお菓子だった。

「向日葵は普段お菓子とか食べないの?」

「まあね。あんまり好みじゃないかな」

「無理に食べなくていいからね? 出されてるからって全部食べなきゃいけないものじゃないから」

「でも、楓ちゃんと一緒なら食べられそうだよ? 楓ちゃんは好きじゃないの?」

「僕もあんまり食べないんだよね。正直向日葵のお弁当の方がおいしいと思うよ。あ、でも、比較対象じゃないか」

 向日葵はいきなり停止するとぱくぱくと口を動かすと、次々にお菓子を食べだした。

「いやー今日のお菓子は美味しいな」

「そんな日によって変わるものでもないと思うけど」

 楓は向日葵の発言を疑い試しに一つ手に取った。

 甘味が苦手だった楓はチョコを手に取ったものの、手が止まった。

 それでも横で美味しそうに食べる向日葵を見て、包みを開け、意を決して口に運んだ。

「んー」

 最初は抵抗していた楓だったが、頬を抑えて味わっていた。

 舌に載せるとチョコは少しずつ溶けだし、甘さが広がった。

 楓には今までに食べたチョコの中で一番美味しく感じられた。

「ね。一緒に食べると美味しいでしょ?」

「うん」

 向日葵が言うように、一緒に食べているからかと思ったが、味覚が変わっているように感じられた。

 今までと同じチョコを食べているはずが別物のように感じられたからだ。

 しかし、体が変わったからか、世界が変わったからか判断できなかった。

「確かに美味しいね」

「でしょ、でしょ?」

「でも、やっぱり向日葵のお弁当の方がおいしかったよ」

 空腹は最高の調味料だなと、昼の弁当の味を目を閉じ、改めて思い出していた。

 楓が目を開けると、向日葵が楓を見つめたまま動かなくなってしまったいた。困って助けを求めようと母を見ると、母は手招きしていた。

「行けってそう言うことじゃないわよ。なんで自分の部屋に連れ込まないの?」

「え、なんか発言が問題ありそうなんでけど」

「家に来てるんだから問題ないでしょ。それより、弁当忘れてったのはそういうことだったの?」

 睨むような母の視線に楓はいすくめられた。

 忘れて行ったことを怒っているのだと思い、視線を泳がせ、瞬き数回の間に答えを導き出した。

「そうじゃないよ。向日葵とは今日初めて会ったって言ってたでしょ?」

「もう呼び捨てでも? そうよね。若いもんね。たまたまよね」

 激しくこくこく頷く楓。

 誠意は伝わったらしく母はため息をついたが、

「別に怒ってないわよ」

 とつけ加えた。

 しかし、手を額に当てると再びため息をついた。

「……胃袋を掴まれたのね……」

「何か言った?」

「なんでもないわ。ここじゃ向日葵ちゃんがかわいそうでしょ。自分の部屋に連れて行ってあげなさい」

 楓は首を傾げつつも母に言われた通り、向日葵を介抱するように立たせると自室へと招いた。

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