第9話 約束
弁当の中身がなくなると、楓の脳は限界に達してた。
楓に行動した記憶はなかったが、机を付き合わせていたせいで見えるのは向日葵と空だけだった。
時折、あーんをせがまれるたび、それには応えたが、何か反応して見せる体力は残っていなかった。
しかし、昼休み終了のチャイムが鳴ると、向日葵から甘えた態度はなりをひそめ、弁当の早食いを初めた。
お互いにあーんしていた朗らかさはどこへやら、弁当の中身は異様なスピードでみるみるなくなっていった。
そんな様子に、楓はぼんやりと小さな体のどこにそんなに入るのだろうと、人並みな感想を抱いた。
あっという間に、向日葵は二つの弁当箱を空にすると、歯を見せて楓に笑ってみせた。
楓はとうに向日葵が食べきれないかもしれないことに不安など抱いていなかったが、それでも、よかったと安心した。
すでに、オーバーヒートしていた楓の脳はよかった、悪かった程度のことしか考えられず、ただ一緒になって笑っていた。
ふと向日葵の口元に米粒がついてるのを見てとると、
「あっ」
とだけ言って、向日葵に断りも入れず、指で取って食べていた。
「ありがとう」
「いえいえ」
二人して笑いあうと、机を戻し授業の準備を始めた。
しばらくして教師がやってきて、始業のチャイムも鳴った。
楓の時間は等しく過ぎたが、そこからは流れ作業のように授業が進み、時間は滑るように進んでいった。
同じ量の時間のはずが、少なくなったのか、加速でもしたかのように楓には感じられた。
教師が突然早口になったようで、全ての動きが倍速再生されてるように見えていた。
あーんしあいで、心ここにあらずの楓だったが、緩み切ったほうけたつらをさらすことは持ち前の能力によりなかった。
フラッシュバックのように蘇ってくる昼食の光景が、よく考えれば考えるほど、何をしていたのかわからなくなり、満腹も手伝って論理的な思考を不可能にしていた。
それでも授業には真面目に取り組み叱られることもなかった。
向日葵のちょっかいも相変わらずで嫌な顔せず対処していた。
そうこうしているうちに、楓が気づいた時には掃除をしていた。
教室内の掃き掃除が終わったのかゴミ箱を運んでいた。
「それくらい人に頼めばいいのに、楓ちゃんは私を呼び出してるんだよ?」
「これは僕の仕事だから」
「ふーん。そっか。じゃ、待ってるね」
「待たせてごめんね」
「大丈夫だよ。遠慮は必要ナッシング」
腕をクロスにさせると向日葵は下駄箱へと向かって行った。
向日葵と会話をした後は、残りの作業を終わるまでコツコツと作業を進めた。
掃除も終わり、物をまとめ、帰り支度。
手際よく済ませると教室を出た。
「よっ楓。帰ろうぜ」
ここでも待ち伏せしていた歓太郎が話しかけてきた。
「ごめん。約束があるんだ」
「お、部活か? あんま無理すんなよ」
「いや、そうじゃないんだけど……」
楓は歓太郎になんと説明したものか迷った。
話す義務はないが、一応関係者のようなものなので話しておいた方がいいかと考えた。
「まあ、なんか用事なんだな。終わったら気をつけて帰れよ」
歓太郎は察したように深くは聞かなかった。
「そうだ。速水くんが昨日見たのって……?」
「ああ、言ってなかったな。向日葵で間違いないと思うぜ」
「ありがとう」
「うんじゃ。また明日」
「おう」
すでに歓太郎は背中を見せ、手を振って退散していた。
楓はぽけーっとしたまま廊下を歩き、階段を降りた。
有用そうな情報を手にした後、一日を振り返り、色々とあったもののなんとか過ごすことができたことに、達成感を感じていた。
えへへと、声に出して笑ってしまいそうだったが、急に笑い出すのは気持ち悪いという考えが楓の行動を控えさせた。
しかし、そのままとろーっとした思考をしながら、ぺたぺたと歩き続け、下駄箱まで来て、楓は、はっと我に返った。
向日葵を校舎裏に呼び出していたことを思い出したのだ。
危うく、呼び出した挙句行かないという、悪質ないじめのようなものをしかけたことに鳥肌がたっていた。
焦って靴を履き替えると下駄箱を飛び出し、校舎裏にかけた。
掃除の時も気にかけたように話しかけていたのに、なんという醜態。と自らに罵声を浴びせつつ、楓はできる限り走った。
慣れないスカートのため、中が見えないよう気をつけたこともあり、歩くのとさほど変わらないスピードしか出ていなかった。
校舎裏に向日葵を見つけると楓は呼びかけ手を振った。
向日葵は木陰を見つけたようで、そこから手を振り返していた。
校舎裏にはそこまで広いスペースはないため、使われる頻度もほとんどなく、放置され気味なのか、植物がそこかしこに生えていたが、話をするには問題はなかった。
「遅いよ。仕事は終わった?」
「うん。待たせてごめんね」
小走りにより上がった息を整えながら楓は答えた。
「それで、話って何? 愛の言葉でもささやきに来てくれたの?」
向日葵の言葉に一瞬ドギマギした楓だったが、これまでのようにペースにのまれないように両手で顔を叩いた。
「ううん。愛の言葉じゃないよ。話ってのは、僕が昨日まで入院してたんだけど、僕の病室に向日葵が居たって言う人がいたんだ」
「あー確かにいたよ? それが何?」
ずいぶん簡単に白状したことで、楓はあっけに取られた。
それに何も悪びれるふうもなければ、説明する様子もなかった。やましいことは何もないということだろうか。
楓は言葉を続けた。
「いや、別に何ってわけじゃないんだけど、何をしてたのかなっていうのが気になって、聞きたかったんだけど、何してたの?」
「なるほど、何かされたんじゃないかと疑ってるわけね」
「疑ってるなんてそんな」
「もちろん当たり前の感情だと思うから疑ってていいよ。昨日までは赤の他人だったわけだし」
向日葵はそこで間を置くと、こほんと咳払いしてから話を続けた。
「ちょうど楓が入院してた病院に知り合いが入院しててね。お見舞いに行ったんだけど、道に迷っちゃったんだ。だから誰かに案内してもらおうと思って、看護師さんとか探しながらふらふらっと歩いてたんだけど、かわいい名前の子がいるみたいじゃないかと気づいたのさ。それが楓ちゃん」
「名前でかわいいって?」
「そう。楓ってかわいくない? 私は好きだよ。ま、それは置いといて。知り合いと嘘ついたら入る許可をもらえたの。恐る恐るドアを開けて、起きてないことを祈りながらゆっくりと中に入ったら、なんとまあかわいい寝顔かと思ったわけよ。そんで少し見惚れてたってのがことのあらまし。あとは楓ちゃんの知るように、誰かに見られて、報告され色々あって今に至ると」
「見てたの!?」
「見てたよ。あれはもう国宝級だったよね」
「そんな、なんで?」
「え? 寝顔ってかわいくない?」
「そもそも他人の病室に入らなくない?」
「いやー今日一日の言動とか、見てたらわかったかもしれないけど、私ってかわいい女の子が好きなんだよね。レーダーにビビッと反応しちゃったら、もう逃したくないのよ。まあ、それで転校までしちゃったのさ」
なるほどと思った楓だったが、事実を飲み込むことができていなかった。
ただのスキンシップやボディタッチだ。と、誤魔化して考えていたが、いちいち触れるところが際どいとは感じていた。
実態を体感したことのない楓は普通だと考えようとしていたが、やはり行き過ぎだったのだ。
主に、触り方や頻度が。
そして、男子がいようと容赦はなかった。
一日の最後の方はよく覚えていなかったが、ずっと何かしらされ続けていた。
考える人のポーズでこくこくと頷いたものの楓には理解できなかった。
「じゃ、そういうわけで、終わりね?」
「う、うん」
しかし、話は終わり事実のようなものは明らかになったため楓は引き下がった。
「今度は私のターン! の前に一つ聞いて欲しいことがあるんだ」
「なに?」
「私も一つお願いを聞いて欲しいんだけど」
「いいよ。可能なものなら」
「やった。じゃあ明日から一緒に登校してくれない?」
「それくらいならもちろんいいよ」
病室でも悪さをした様子もなく、また、今日一日転校生にも関わらず、色々と世話をしてもらった向日葵の頼みを、楓に断る理由はなかった。
跳んで喜ぶ向日葵を見て、楓の方も嬉しくなっていた。
「じゃあ、約束のご褒美をもらうね」
「うん」
ここでまた楓はハッとした。
言うやいなや向日葵は楓に接近したきたからだ。
「って、え、なに?」
にじり寄ってくる向日葵に恐怖を感じ、楓は半歩ずつ後ろに下がっていく。
距離は徐々に詰まるものの、飛びかかってくる様子はなかった。
そのまま逃げ場がなくなるまで続くかと思われたが、それより早く、こう着状態は破られた。
楓の足が植物の葉を踏むと楓の視界は突然上を向いた。
激突による痛みを予期した楓だったが、代わりに向日葵の手が背中に伸ばされただけだった。
まるでダンスや演技のワンシーンを切り取ったような情景に、お互いの顔は吐息がかかる近づいていた。
息がかかるたび背中に電流が流れるように流れ、くすぐられているように楓は体を小刻みに震わせていた。
「目、つむった方がいいよ」
楓に自由はなかった。蛇に睨まれたカエルのように固まってしまった楓は、視線をさまよわせていたものの、信じるように向日葵の目を見つめてから、恐る恐る、ゆっくりと目をつむった。
向日葵のことだから大丈夫だろうという信頼と、悪いことをしているような気分による罪悪感、そして、何をされるかわからないことからくる興奮で、楓の思考はパニックにおちいっていた。
束の間の静寂。
楓は世界に二人しかいないような気分になった。
少しして、楓の唇に柔らかいものが軽く触れると、スッと離れていった。
「ご褒美はいただいたよ」
向日葵が耳元でささやいた。それを受け、楓は向日葵の手から滑り落ち、その場にへたりこんでしまった。
そのまま、そっと唇に指を当てていた。
「あはは、何されると思ったの?」
「いや、ははは」
楓は衝撃から腰が抜けて立てなくなっていた。
何かいけないことでもされるのではと考えたが、唇を奪われただけだった。
前世も含めて、楓のファーストキッスだったため、楓としては衝撃なものの、マシな方だったのではと思った。
そして、確かに誰でも持っているものだと思っていた。
それから、向日葵から差し出された手を握ると、楓はゆっくりと立ち上がった。
地べたにへたりこんでしまった砂埃を向日葵に払ってもらうのも、されるがまま受け入れていた。
「これは、私のわがままなんだけど」
今日の向日葵にしては珍しく押し黙ると、言葉を選んでいるように視線を外した。
意を決したように顔をあげると、
「やっぱり、昨日見た時から楓ちゃんが好きみたい。付き合ってほしいな」
楓は突然のことにまたへたり込みそうになった。
自分が告白される側になるとは微塵も思っていなかった。
どう返事しようか今の楓は迷うことはなかった。
「僕でよければ」
「いいの?」
「逃したくないんでしょ?」
向日葵は何度も頷くと泣きそうになりながら楓に抱きついた。楓もすぐに抱き返した。
楓としても願ったり叶ったりだった。念願の彼女。それも、好いてくれる彼女。
朝椿に告白してほとんど間を置いていないのに、受け入れたことに尻軽と思われそうだったが、今の楓は気にしていなかった。
すぐに、二人は手を繋いだ。指の間に指を入れあい、硬く握る振っても簡単にはほどけないことを確認して笑いあった。
そして二人は学校を出るため、歩き出した。
「じゃ、行こっか」
「どこに?」
「内緒」
「遅くならないところだよね?」
「そもそも遅くなっても問題ないところだよ」
楓が何度聞いても向日葵は詳細を語らず笑って誤魔化すだけだった。
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