7月11日

@mashey_

時計の針は進まない。

雨音と虚構が支配するこの空間は結界。


静寂はここでは脅威。

あと数刻で再びあれがやってくると感じる。


両足が不規則なリズムを刻む。

無地の闇はもはや何処にも存在しないこの世界で彼の心は復活を受け入れ、侵されていく。


音楽も絵描きも先刻辞めた。

まるで心の半分が何処かに消えてしまった様。

今、彼の心を満たすモノは存在しない。

埋めようとしてもこの矛盾でソウゾウされた円環を奔るだけ。


目指す場所はただの紛い物。

まるで砂の大地の蜃気楼の様。

結果嘘や妄想に縋り付き、補完する。

終わりのない悪夢。光のない朝焼け。


時間は可逆性が無い事で意味を持つ。

その事実は判っている筈なのに。

何故、心は痛み続けるのだろうか。

やはり人は矛盾で出来ている。

矛盾こそが人の形を作り上げている。

そんな事実も心を埋めてはくれない。


日付を刻み続ける紙切れも今日は俺の味方をしなかった。

蒸し暑いこの部屋に黴の薫りが充満する。

それと釣り合うように津波のような情報と怨念に似た何かがここにはある。

限界まで回された〖Volume〗のダイヤルは何時だか意味を持たなくなってしまっていた。

3箇所からの音の波は空いた心の孔を埋められたかのように感じられる。

これが錯覚だ、なんて理性は疾うの昔に捨てた。

結果がこれである。

窓際に置かれた仙人掌はいつの日か腐っていた。


「他人が信じられないんじゃない。」

「自分しか信じられない。」

それが口癖だった。

そんな堅い、愚かとも言える思想は何時だか打ち砕かれた。

今思えばこの空間へと招き入れたのも彼女が初めてだった、と思った。


結界へと作り上げたあの日以来、湯も沸かせない。

視線の先にはそこの少し残ったコカ・コーラと、湿気の無いカップ麺の食べカスがある。

そして何も拒絶する事無く長椅子に横になる。


そこに、彼女は居た。

何十年振りかの彼女の笑み。

短く切られた彼女の髪は美しかった。

彼はより彼女へと近づく。

心を、体を見たしてもらう為に。


そうしている内、彼は広い場所に居た。


彼は太陽を見、「眩しいね」と呟く。

彼女は月を見、「淋しいね」と呟く。

彼は「寂しくないよ」と。

彼女は「淋しいね」と繰り返す。


相容れる事の無い二人が月光の下で共鳴する。

決して埋まる事の無い溝を「自己完結」が染めていく。

そこに歩み寄りは見られない。

そこに蜜月を過ごしたいという想いは見られない。

そうして風が彼女を連れて行く。


...筈だった。

彼女は俺を見るなり泣いた。

かつて擦った肌は痣だらけ。

腕を捻られた赤子の様な顔をして泣いていた。


黴と埃の薫りが鼻の奥を突く。

目前のペットボトルの中身は無い。

窓の外は春の訪れを告げている。

天井には満天の星空とそこから一つ突き出ている山を覆う雲海に満たされ、結界内を涙で満たしていた。

彼はそれに気が付かず、目を醒ます。

コンクリートとなった床の上には葉書程度の大きさをした紙袋が「再会」を求める。

彼は拒んだ。

まだ行けないと。


彼の心は、埋められていた。

本当は初めから解っていた。

事実を受け入れようとしなかった心は歴とした自分の意思。

眩しいから。と外界を拒み続けた自分の意思。

彼女は紛れもなく"Enemy"であり、「救い」だった。

そんな彼女を求める許、壊してしまった。

これが彼女にとって「救い」だと。「喜び」だという自己完結に心を封じ込めて。

その想いが彼女への好意を超えている事を知っていながら。

そんな勘違いと疚しさが作り出したこの世界で

彼は一人、外へ外へと進み続ける事を選ぶ。

それは彼の心に初めて産まれた人並みの感情。

大切にしたいと思えた想い。

けれど、掴み所が無い目標。

彼は足場として"心"を選んだ。

それでいいと思えた。



彼女をこの結界から解き放つ為に、

彼は自らの心を否定するのだった。

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7月11日 @mashey_

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