11-1.騒乱

 突如、空に出現した奇妙な亀裂のような現象。

 はじめはその光景に驚いた人々であったが、人というのはある程度すれば物事を気にしなくなる生き物であるため……ひと通り驚き、スマートフォンなどを通して世界中に広めるということを行うと、どうでも良いように誰も話題に出そうとはしなくなる。

 だから少しずつ空に走った亀裂が地上に向けて広がっていることに誰も気づくことはなく、各種SNSにあげられている空の亀裂という現象の画像も誰かが創った合成だなんだと言われるだけで話題にはならなかった。

 そして空に走る亀裂はゆっくり、ギシギシとちいさく音を立てながら地上にたどり着き、保っていたバランスが崩れるようにしてパリンとまるでひび割れたガラスが砕けるような音を周囲に響かせた。

 突然聞こえた音に何事かと一斉に周囲を歩いていた人たちは音がした方向を見る。

 すると、音が響いたであろう方向には奇妙な光景があった。


「なんだあれ?」

「CG? あれって何かの撮影?」

「どっかの企業による新技術の突然の発表とか? 薄型立体映像のテロ告知とか?」


 そこは駅前にあるモニュメントの前なのだが……そのモニュメント手前に不格好な三角形のカーテンでも下ろされたように暗く歪んでいる空間が出来ていた。

 それは空のある一定の場所を起点にして地上に広がっているのだが、空には垂れ紐なんてものもなく……横から見たら線が走っているかのように見えた。

 暗く歪んだ空間の先には、何か別の景色がぼんやりと映っており……何かが動いているのがかろうじて分かるようであった。


「なんかの上映会でも始まるのか?」

「おい、誰か警察に連絡しろよ」

「いやいや、ここはアレに手を突っ込んでみるとかだろ?」


 それを周りの者たちは見ており、口々にその空間が何であるかを口にし始める。

 ある者は何が起きるのかを待ち、ある者は迷惑行為だと思い警察に連絡を促し、ある者はスマートフォン片手にそれに手を伸ばそうとする。

 何かが起きる。それを理解しながら、何が起きるのかと周囲の者たちはその場から動かず空間の先を見る。

 すると動いている何かが歪んだ空間をくぐるようにして……出てきた。

 それは子供のように小さい身長をした緑色の皮膚をしており、人間とは程遠い醜い顔に地獄の餓鬼を連想させるような体型をした醜い存在だった。

 醜い存在がこちらへと出てきた瞬間、それからは生ゴミの臭いなんて目ではないような汗の体臭と精液と糞尿がへばりついたような、吐き気を催す臭いが周囲に広がった。


「うっ、くっせぇ! 気持ちわる……!」

「何あれ? 人間なの?」

「誰か警察呼んだか? はやく呼べよ!」

「あれって、あれだろ? なんかのゲームで見たことがあるような気がするけど……なんだっけ?」

『ギ、ギギィ。ギギッ……ギヒッ! ギヒャ!』


 口々にそれを見ていた者たちは口にするが、それは周囲を見渡し……なにかを納得したようにニィと笑みを浮かべた。

 それが浮かべる笑みは見る者の嫌悪感を呼び起こし、どう反応すれば良いのかという躊躇いを産んだ。

 すると次の瞬間、それは近くにいた女性に向かって飛びかかると……その見た目に反した力の強さにより押し倒した。


「きゃっ!? な、なに――いやっ、何してんのよっ!? そんなの擦りつけないで!!」

「ちょ、放しなさいよ!! って、こいつぜんぜん剥がれないんだけどっ!! 力つよっ!! てかキモ!!」

『ギヒッ、ギギィ!! ギヒヒッ!』

「おい! やめろ、何してるんだよッ!! ――オラッ!!」

『グギャ!! グギャギャ!!』


 押し倒された女性は戸惑った声を上げようとしたが、それが発情期の犬のように股間を女性の太ももに当てて腰を動かしはじめたので悲鳴のような絶叫が上がる。

 女性の友人と思われる女性がそれを必死に引きはがそうと動かすが、力強く女性に張り付いているようで女性の腕力では剥がすことが出来ない。

 それが分かっているのかバカにするようにそれは鳴き声を上げながら、腰を動かし続ける。

 しかしその非常識な行為に腹が立ったのか、近くにいた男性が近づくとそれの横腹を蹴りつけた。

 蹴りつけられたことでそれはようやく反応し、苛立った視線を男性に向けると一旦女性を置いて自分を蹴った男性に飛びかかった。


「はやっ!? しかも、力がつ――痛っ! くそ、おい、やめろ!!」

『グギャギャ! ギャヒャ! ギヒャヒャ!!』

「くそっ! おい、誰か手伝ってくれ!!」

「っ!! わ、わか――って、おい、まだ何か来るぞ……!」


 飛びかかられた男性はそれの機敏な動きについてこれず、体に張り付かれるとギザギザした爪で顔を引っかかれはじめる。

 顔に走る熱い痛みを感じながら男性は必死に叫ぶ。

 その声にビクッと反応し、何名かの男性が近づこうとした……がそれが現れた空間から何かが出てくるのに気づき、身構える。

 直後、歪んだ空間をくぐるようにして……今まさに混乱を引き起こしている緑色のそれと同じような存在やカタカタと音を立てながら動く骸骨、そして2メートルほどの体長がある二足歩行の豚などが大量に現れた。


『『ギヒッ、ギヒヒッ!』』

『『『カタ、カタタ、カタカタ……』』』

『『ブヒ、ブフ、ブフヒ!!』』

「なにが……起きてるんだよ……」


 静寂の中、茫然と呟く男性の声が響く。

 けれど目の前の信じられないような光景に全員が固まり、動けずにいた。

 そんな彼らを見ながら、歪んだ空間から現れたそれらはニィと彼らを嘲るような笑みを浮かべると……一歩、前に進んだ。

 直後、ビクッと人々の固まっていた体は動くようになり、誰かの悲鳴とともに一斉にその場から蜘蛛の子を散らすかのように逃げ始めた。


「お、おい! 誰か、誰か助けてくれよ!!」

『ギヒッ! ギギギッ、ギギギィ!!』

「痛い! やめろ! やめてくれ!! 誰か、誰か助けてく――「どりゃああああああっ!!」――『ギャヒィ!?』――え」


 逃げ始める中、顔を引っかかれている男性は必死に叫ぶが喧騒により声はかき消されてしまい、自身の跨る化け物は自分をバカにするように嗤い、爪を再び顔に伸ばすとグググと傷つけた部位を擦りつけるようにして引いていく。

 その痛みに男性は子供のように叫ぶが、その声は聞こえない……はずだった。

 周囲に響き渡るような雄叫びが聞こえた瞬間、ゴシャ!という音が響き渡り、男性に跨った化け物は吹き飛ばされた。

 突然自由になった男性だったが、何が起きたのか分からず茫然とする。

 しかしそんな男性へと、自身を助けた人物が手を伸ばす。


「おい、アンタ立てるか!?」

「あ、ああ……」

「だったら早く向こうに逃げろ! ここに居たら危険だ!!」

「わ――わかった! た、助けてくれてありがとう!!」


 助けてくれた人物へと礼を言いながら男性は急いでその場から逃げる。

 そして逃げる際、男性は見た。

 自分を助けてくれた人物、それと同じように他にも数名、あの化け物たちと対峙する者たちの姿を。


「ちぇあぁぁぁぁーーっ!! 【三連撃】ぃぃぃ!!」

「ククク……、≪魔力弾マジックショット≫!」

「ここから先へは行かせない! 【ストライクスラッシュ】!!」

『『グギィィィィ!?』』

『『カタカタカタ! カタタ――』』

『ブヒィィィ! ゴフ、ゴフッ! ゴ――』

「……楽勝」

「油断しないでくださいませ! さあ、あなた方の相手はわたくしですわよ!!」


 二足歩行の豚の脳天に矢が突き刺さり、二足歩行の豚は絶命し倒れる。

 雄叫び、鳴き声、サンドバッグを殴るかのような打撃音、金属同士がぶつかる音、化け物が地面に倒れる音が響き渡る。

 謎の一団による、化け物との戦いが行われた。


 ●


「な、なんだ……あれ……」

「うそ、うそ。夢、夢だよね?」

「こんなの現実じゃねぇ!! 夢だ、夢に違いない……!」


 そんな駅前の様子を周囲の建物から人々は覗いており、恐怖に震えながら必死に助けを求めようとスマートフォンを操作するけれどもどういうわけか電話は繋がらない。

 逃げたい。全員がそう思うが外へと出る勇気など無かった。

 そんな中、謎の一団と戦うことを逃れた化け物たちは駅ビルの方へと近づくと周囲を見渡しはじめる。

 そして、窓から覗く人間に気づき、この周囲にあるのが建物であることを理解したようで……ズンズンと駅ビルに向けて動き出した。

 さらに新たなガラスが割れるような音が響き、空中から巨大なトカゲが何頭も姿を現し、上空を占領する。

 その様子を、5階、6階に居た者たちが見て、未知なる生物に恐怖する。

 巨大なトカゲが現れたのを皮切りに、さらにパリンパリンとガラスが割れるような音が響き、外では悲鳴が上がる。

 そんな喧騒に紛れるようにして、発砲音が響きはじめるのは騒ぎを聞きつけた警官が銃で応戦したからだろう。けれども、騒ぎは収まらない。


「だれか、誰か助けて……!」

「父さん、母さん……!!」

「いやだ! 死にたくない!!」


 近づいてくる化け物たちに悲鳴を上げ、1階にいた者や2階にいた者たちが必死に上へ上へと上がりはじめ、混乱が生まれ動けない。


「どけ! 死にたくないんだよ!!」

「邪魔だ! 金ならやるから、道を開けてくれ!!」

「痛い! やめてよ!!」

「お願いします! この子だけでも上に連れてってください!!」


 互いが互いを譲ることなく、人々は押し退け合いながら必死に登ろうとする。

 その間にも化け物たちはビルに近づきはじめ、ガラス戸に向かって手を伸ばそうとした――瞬間であった。

 突如地面が盛り上がり、ビルの周囲を覆うように土の壁が出来上がった。


『『『グギャ!?』』』

『『『ブヒィッ!?』』』


 突然のことで対処できずにいたのか、手を伸ばそうとしていた緑色の存在と二足歩行の豚の腕が下から上に吹き飛ばされ、骨が折れる音が響く。

 痛みにそれらの口から悲鳴が漏れ、何が起きたのか分からず必死にエスカレーターや階段の順番を奪い合っていた人たちは立ち尽くす。

 そんな中、5階と6階に居た者たちに新たな脅威が訪れていた。

 空を飛んでいた数頭の巨大なトカゲがその階に居た人たちに気づいてしまった。

 ギョロリとした鋭い金色の瞳がそこにいた者たちを捉えた瞬間、全員が死を連想した。

 事実、巨大なトカゲたちは駅ビルのほうを向くと……一斉に息を吸い込みはじめるのが見え、吸い込んだ息をいっきに吐き出した。

 そかもたんに普通の息を吐くのではなく、炎の息ブレスを。


「あ……」

「死んだ……」


 迫りくる炎に助からないと感じたそこに居た者たちはポツリと声を漏らした。

 だが、そこに炎の息が当たろうとした瞬間――何かに護られるかのように炎は防がれた。

 いったい何が起きたのか、死んだのではなかったのか。なのになんで生きている?

 そんな混乱が起こる中、死を覚悟した両親に抱きしめられていた子供は見た。

 巨大なトカゲと自分たちとの間に立った誰かの姿を……。

 そして、自分たちを護ってくれたのが氷の壁であることを!

 そして氷の壁が役目を終えたというように割れ、窓ガラス越しに見えた光に輝く銀色の髪が揺れるのを……!


「まほーつかいだ……」


 古めかしいローブにロッドという恰好をした……母親が寝物語に読んでくれた絵本に見た魔法使いの容姿。

 それに気づいた子供はそう呟いていた。

 直後、自分たちを狙っていたらしき巨大なトカゲたちは地上へと落ちていった。

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