第5話 出会い
宗助は全体的に薄汚れており、大きな鞄を抱いていた。背は低く、童顔で――その時は不安げな顔をしていたので余計――子どもに見えた。まさか自分より一つ下、瀬戸香と九つも離れているとは思わなかった。
瀬戸香は今まで見たことのない恍惚とした表情で宗助に体を擦り寄せようとしていた。彼はそれを拒んで、彼女が近付くと避けた。
訳が分からず二人を眺めていると、宗助が話し出した。思っていたよりもずっと低い大人の声で驚いた。馴染みのない喋り方も不思議だった。彼が言うには、瀬戸香に懇願されて連れて来られた、とのことだった。彼は、もう開放してほしいと続けた。警戒を露にしていた。
私がまだ理解できずにいると、瀬戸香が大粒の涙を溢し始めた。そして、此処にいてほしいと喚いた。宗助は驚きながらも宥めた。彼女は喋るのを止めて、嗚咽を零すだけになった。
そこで漸く悟った。人に対して平等に強くストレスを抱く妹が、唯一好意を抱ける人間こそが宗助なのだ。
その時、顔の横に包丁がある感覚が蘇った。もう二度とあんな体験はしたくなかった。
私はこの知らない男を逃さないことに決めた。
親切な人間を演じ、食事に誘った。そのまま、泊まらせた。
宗助が風呂に入っている時の瀬戸香の様子から、襲い掛からんとしていることに気付いた。説得して、彼女には大人しくしていることを約束させた。
宗助が寝る準備を始めると、私は酒を持って話に行った。
宗助は旅行者だと自分で言っていたが、荷物の様子や瀬戸香が公園のベンチで眠っていたところを発見したことから居場所がないと分かっていた。だから、暫くはこの家を宿として使ってほしいと頼む予定だった。いや、頼むというより酔わせて上手いこと誘導しようとしていた。それが無理なら、酩酊させて枷をはめれば良いと思っていた。私は壊れていた。
話は上手く運ばない上、逆に酔い潰された。まともに動けない私に対し、宗助はこの家の立地条件と家庭環境について尋ねた。近くに家がないことや伯父家族と熱心に付き合っていること等を話した。宗助は舌打ちをして、突然この家を出ることを告げてきた。驚くと、彼は冷たい目で話し出した。
――食事と風呂に感謝しているが、二人のやっていることは正気とは思えない。害を被るのは目に見えているので、これ以上関わり合いたくない。
おおよそこういう内容だった。話の途中で怪談に例えられて、客観的に状況の異常さを理解した。
しかし、宗助を手放す訳には行かなかった。首に向かって包丁が並べられているイメージが表れて、心を乱した。半狂乱になってあの夜のことを話した。悲観的な未来の予想も披露した。実の妹への恐怖を打ち明け、私が殺されたくないから妹の傍にいてくれと自分勝手な願いを繰り返した。
宗助は隠しもせずに呆れ果てた。自分には関係ないと切り捨てた。
私は年甲斐も無く泣き、胡坐をかいていた彼の足にしがみついて駄々をこねた。
結局、その醜態に宗助は折れた。瀬戸香が落ち着くまで留まることを約束してくれた。
――この出来事で、彼が妥協できる柔軟な人間だと私は思い込んでしまった。後になって、それが誤解だと分かった。
兎も角、私の家に宗助は住むことになった。そのことは予想以上に利益があった。
まず、瀬戸香のことだ。彼は彼女を躾し直した。飴と鞭を見事に使い分け、真人間に近付けた。お蔭で伯父家族等他の人間と多少真面に話せるようになった。話す言葉も柔らかいものを選ぶようになった。宗助に対しても適切な距離をとるようになった。
次に、家のことだ。宗助は積極的に手伝ってくれた。最初のうちは生活費だけでも納めたいと言って、私の親戚の居酒屋で働いていた。だが、瀬戸香が店に押しかけて泣いた為に辞めざるを得なくなった。そうなると後は家事をするしかなかった。料理は私達より上手で、生活の質が上がった。彼が台所に立つと、瀬戸香が大人しく手伝うので私は大分楽だった。家業の方も手伝ってくれ、私と一緒に伯父の指南を受けた。一人で頑張るより精神的に余裕が持てた。人付き合いも上手く、異様な状況にも関わらず周りに受け入れられてくれた。伯父は喜んでさえいた。
最後に私自身のことだ。前述の事で余裕が生まれ、自身に目を向けることができた。司央里に連絡し、縁を繋ぐことが出来た。
全てが調子よく進んで、五月二十日の瀬戸香の誕生日を迎えた。
十六になった彼女は結婚しようと朝から宗助を追いかけまわした。その時には既に誰から見ても宗助が献身的な愛情を瀬戸香に抱いていることは分かっていた。瀬戸香自身も恋人関係ではないにせよ、自分が愛されていると自覚しているようだった。
宗助は渋った。自分とはそうなるべきではない、と繰り返した。拒否するうちに、初めて本当の経歴を明かした。瀬戸香も私も――その時点でも何かが麻痺していたのだろう――特段それを怖いとは思わなかった。宗助は何の牽制にもならないことを知ると、家を出ていくと言いだした。
その時点で私は宗助をこの家に引き留めようと必死になった。宗助がいなくなければ前の状況に退化していくのは想像に難くなかったからだ。あの夜がフラッシュバックし、ヒステリックになった。瀬戸香の勢いにつられ、結婚を勧めさえした。
宗助は追い立てられ、そして、渋々、あの条件を出したのだ。
――子どもが生まれて大きくなって、「時機」が来たら、桜刃組に入れたい。望みはそれだけであり、それが果たせないのならば誰とも一緒になりたくない。
宗助がそのようなことを語った時、生々しい熱を感じた。まるで今までが抜け殻であったようにさえ感じた。その願い自体を否定すれば、彼自身を否定するような気がした。
瀬戸香はすぐに受け入れた。妙に浮かれていた。
私もあっさりと受け入れた。子どものことなんか考えられなかった。その時は生まれることも、宗助が言う「時機」――この時点で「時機」としか言われてなかったが殊に強調されていた――が来ることも確定できなかった。不確定な事よりも今の生活の維持しか見えていなかった。
そうして、二人はすんなりと夫婦になった。瀬戸香は一段と落ち着いたし、宗助はより献身的になった。結婚指輪以外の一般的な華々しい事はしなかったが、二人は幸せそうだった。
結婚指輪は宗助が買ってきたものだった。家業の手伝いに対して多くない額を渡していただけだったので、突然高価な買い物に驚いた。瀬戸香が尋ねたところ、他の目的用の貯金を切り崩したと言っていた。指輪以外にも瀬戸香や清美のことでその貯金は使われることがあった。その貯金の目的こそが清美を桜刃組に入れることだったと分かるのは十七年後だった。そして、二十五年後の今、その貯金の恐ろしさを知ることになった。
話を戻そう。
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