第6話 梗津事件
瀬戸香の懐妊が分かったのは、結婚した年の夏だった。宗助は喜んだ。私も喜んだが、彼女の腹が大きくなっていくうちに不安が過った。「時機」を考えずにはいられなかった。ヤクザになる子にどう接すればいいか考えたし、そもそも未来を他人が決定する残酷さも漸く理解できて悩んだ。しかし、その悩みは二十一年二月まで忘れることになる。
五年四月四日、清美が生まれた。
清美は悩みが全て吹っ飛ぶくらい可愛い子だった。
瀬戸香は出産前から子どもの世話は全くしないと明言していたので、私と宗助で育てることになった。宗助は甲斐甲斐しくやっていたが、何処か危なっかしく、私がちゃんとしないといけないという意識が強かった。それで余計清美が可愛く思えた。
清美自身の魅力も勿論凄まじかった。人懐っこく、お喋りな子だった。気分屋だが、不機嫌になってもすぐ笑うような良い方向の特性だった。笑顔が特に可愛らしく、子どもの無邪気さとあいまってすぐに人に好かれていた。伯父家族も司央里もすぐに骨抜きになった。司央里と私が結婚に踏み切ったのも清美のお蔭と言って差し支えない程だった。ぽんかんも清美によく懐き、お兄さんのような顔をしていた。
清美が生まれて私達家族やその周りはいっそう明るくなった。
穏やかで何もかもが輝いていた日々。それが壊れたのはぽんかんが亡くなった日、二十一年二月十六日だ。
崩壊は偶発的に起きたものではなかった。それまでに崩壊へと繋がる道を歩んでいた。私達はその道をいつ選んでしまったのだろう。
二歳ぐらいの清美を思い出す。清美は左手で私と手を繋ぎ、右手で拾った枝をリズミカルに振っていた。私の左手にはリードがあり、その先でぽんかんが歩いていた。夕空の下、黒毛に混じった茶色の毛が黄金に輝いていた。清美がぽんかんに話しかけると、ぽんかんは嬉しそうに尻尾を振って清美を見た。清美は私にも話しかけた。私と目が合うと、弾けるような笑みを見せてくれた。
この子をあれ程までに傷つける運命はいったいいつから決まってしまったんだろう。
宗助は積極的に旺盛に清美をヤクザに適した人間――暴力的で支配的、脅しが上手いというようなイメージしかできないけれど――に教育しているようには見えなかった。
彼は清美に名前で呼ばれているが、その呼び方に相応しいように父ではなく、兄として振る舞っていたように見えた。叱りはするが、この家に住まわせてもらっている人間としての立場での物言いが多かった。子どもと同じテンションではしゃぐし、しょうもないちょっかいを出すこともあった。清美が段々と落ち着いて大人になっているのと相対的に宗助は幼くなっているような錯覚さえ覚えた。
清美が中学三年生になるまで、宗助は桜刃組がヤクザとは言わなかった。しかし、幼い頃からオウジンという輸入会社として思い出の話をよくした。業務内容には触れない、仕事仲間の話が殆どだった。その中でも、初代組長――初代社長と偽っていたが――の話が多かった。宗助の口から語られるその人は弱者を守る正義の味方であり、慈愛とカリスマ性に溢れた英雄だった。あまりに心酔して語るので、多少は美化しているのだろう。清美は年齢が二桁になる頃には茶化しながら聞いていた。初代組長に近い人間も美辞麗句付きで話していた。自分に近い年代の人間のことは綺麗には話さなかった。かと言って貶すこともなかった。桜刃組を抜けさせられた際にリンチされたというようなことを私には話していたので、意外だった。二代目組長については話さなかった。聞かれても、話す価値がないと言って話さなかった。たまに初代組長の孫で二代目組長の息子の話をした。在という特徴的な名前の子だった。清美の四歳上で、宗助自身も詳しくはなかった。ただ、その頃唯一文通していた中津留さん――宗助をリンチの怪我が治るまで匿っていた医者――の手紙で近況を知ることが出来たそうだ。そして、その殆どは父親から不遇を受けていることだったらしい。曖昧にそのことを言いながら心配していた。清美は幼い頃は一緒に心配していたが、大きくなるにつれてあまり感情を入れなくなった。清美にとってオウジンの話は御伽話のようで、その物語の登場人物としか捉え難い少年が苦しんでいて、挙句に行動的である筈の父親が行動せずに気を揉んでいるだけというのは不思議なことだったのだろう。私も彼に関する話は反応に困った。
しかし、ある日、宗助の話が突然現実味を帯びた。
清美の小学六年生の夏休みのことだ。日本中を震撼させた事件があった。
千葉県梗津市のアパートに住んでいたとある家族の事件だ。日曜の昼下がり、小学三年生の息子は友人たちとスイミングスクールに、父はスーパーに行っていた。母は家に一人でいたが、大阪からやって来たある男の来訪を受けた。彼はゴルフバッグで日本刀を持ち込んでおり、それで母を追いかけ回して腹を数度切って殺害した。ベランダへと繋がる窓の横に倒れた死体を横目に、彼は麦茶と西瓜を口にして父を待っていた。スーパーから父が帰ると、男は玄関で父を襲った。父は致命傷を負ったが、その場で男と組み合い馬乗りになった。挙げ句、刀を奪い、男を何度も刺して殺害した。人相が分からなくなるまで顔を潰した。彼はそれで力尽き、男に重なるようにして倒れた。二人の大量の血はドアの下をくぐり抜けて流れ、ちょうど廊下を歩いていた住人を驚かせた。そして、通報され、ニュースになった。小学生の息子を残した悲劇性と相打ちの上に犯人が最も酷たらしく死んだという異様さで世間の目をひいた。
全国ニュースでも取り上げられ、一人の男の顔写真がテレビに大写しになった。宗助はそれを見て、持っていた硝子のコップを落とした。割れたコップを気にも留めずに真っ青な顔で画面を見つめ続けていた。
その時映っていたのは、妻を殺されて犯人を惨殺した男、猩々屋善継だった。
近くにいた清美はテレビの中の坊主頭と宗助を交互に見て、知り合いなのかと尋ねた。宗助はオウジンの同僚だと答えた。清美は当然驚いていたが、その時はそれ以上尋ねかった。私も聞けなかった。
しかし、その事件はその後もよく報道されて、忘れさせてくれなかった。犯人の動機どころか被害者との接点も分からないなか、とあるコメンテーターは猩々屋善継をこき下ろしていた。それで、清美は本来の人物像が気になったらしく、宗助に尋ねた。宗助は懐かしそうに善継との思い出を話した。随分と仲が良かったらしく、愛おしげだった。ただ、最後にオウジンを追い出された日のことを話す際には打って変わって冷たい態度をみせた。二代目社長と喧嘩になった時に、社員の中で真っ先に宗介を責めたのが猩々屋だったと素っ気なく言った。清美は納得がいってないようで詳しく聞こうとしていたが、宗助はそれ以上のことを語らなかった。私はそれがリンチを差すことに気付いて猩々屋を恐ろしく思った。
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