第2話 父(寿観4年3月5日)〔前〕
薬師神子の邸宅にて、二十八人の組員が集められていた。彼らの共通点は、親も組員であったことがあるということだった。誰もが畳に腰を下ろしながら不穏な空気を感じていた。
淳は気に入りの若中である一ノ宮時也だけを連れて、二十八人の前に座った。
淳の手には骨壺があった。そこに収められていたのは純郎の骨だった。先月に癌で亡くなったばかりだったので、誰もがすぐに誰のものか察することが出来た。
淳はそれを掲げて、嬉しそうに告げた。
「こいつは僕が殺したから」
どよめきが上がると、淳はけらけらと声を上げて笑い出した。声に合わせて銀に染めた髪が揺れた。
「折角癌になったのに、だらだら生きているから毒を飲ませてやった。僕の殺意に気付かずに最期まで呑気に孫に話しかけてて滑稽だったよ」
僕は親切だから、と淳が冷たい目を二十八人に向ける。その隣で一ノ宮がにやついていた。
「お前達の大好きな老いぼれの死の真相を特別に教えてやるのさ。感謝してほしいね」
暗い顔で俯く者や青い顔で硬直する者、真顔に努める者がいた。宗助は立ち上がり、淳に間違っていると告げた。
淳がけたたましく笑い声を上げると、宗助は不快感を露にしながら言葉を続けた。
「誰も感謝なんざしませんわ。先代組長を殺すだなんて桜刃組を敵に回すだけですよ」
それで、と淳は緩やかに宗助の言葉を促した。宗助がむっとする。
「だいたい貴方は拝金主義が過ぎるんじゃけん、人の心ってもんを疎かにするきらいがあります。桜刃組向きちゃいます」
「お前達が現実を見てないんだよ。金は価値そのものなんだから、稼げるだけ稼ぐべきさ」
「あの人はそんなつまらん考えの為に桜刃組をつくったんちゃいます」
食らいつくような物言いに淳が呆れたような顔を見せた。
「僕が今の組長だよ」
宗助はかっと紅潮して、淳を指さした。
「本来そこにいるべきは克典さんじゃった! あの人が降りて、お前が狡くそこを奪っただけじゃ。世間知らずの若造がえらそばっとったらいかんぞ!」
「お前より二つも上なんだけどね」
淳は髪を後ろに流し、宗助の後ろに視線をやった。宗助が歯を剥く。
「じゃったら、そう見えるよう振るまえや! チャラチャラしくさって、無責任なことばっかしよって! 目先の利益しか見いひんのもたいがいにせえよ。今日儂らだけ集めたんも、どうせまたつまらん嗜虐心満たそうとしとるだけじゃろが! お前のそれでどんだけ迷惑被っとるか分からんのか!」
淳は隣の一ノ宮に向けて目を細めた。一ノ宮が片頬だけ笑い、肩を竦めた。腰まで伸ばした黒髪が揺れ、宗助の神経を逆撫でにした。
淳は宗助を目だけで見て、歌うように口を動かした。
「文句があるのは君だけだよ」
宗助が言い返そうと口を開いた途端、頭に鈍い痛みが走った。振り向くと、真後ろで座っていた筈の猩々屋善継が拳をつくったまま、見下ろしてきていた。その敵意に満ちた目に宗助は唖然とする。
宗助と善継は幼少期を共にした仲だった。宗助の母が出産してすぐに亡くなってしまうと、宗助は猩々屋に預けられた。猩々屋には数か月早く生まれた善継がいて、二人は兄弟同然に育てられた。宗助が十代になって猩々屋から離れても、二人は仲がよかった。
宗助は混乱する。今さっき口にした不平不満は純郎の時代を知る人間が密やかに言っていたことであった。善継も宗助と一緒に言い合ったことがあった。なのに、何故、宗助じゃなく、淳の味方をするのか。
善継が歯を噛み合わせ、宗助の背を蹴り飛ばす。予想外の攻撃に子ども同然の体躯が畳を舐め回した。
宗助が体を起こすと、同じ立場の筈の二十六人が端に寄りながら、自分たちを眺めていることに気付いた。五十二の瞳は二種類しかなかった。敵意を湛えているか、様子を伺っているか。宗助に賛同している者など一人もいなかった。
宗助が瞬きを繰り返すと、善継が無防備なこめかみに蹴りを入れた。一ノ宮が口笛で煽る。
善継は、宗助が立ち上がりながら戦意を露にするのを見て怒鳴りつけた。
「僕は、僕達は、薬師神子純郎一人に従っとったんとちゃう。桜刃組に従ったんや」
そして、拳をつくり宗助の頬を目掛けて振り下ろした。宗助がそれをいなし、善継の無防備な腹を殴りつけた。善継が苦痛に顔を歪めると、宗助の横っ腹に飛び蹴りが入った。矮小な体が再度畳に転がる。
蹴りをきめた猿山が鼻息荒く見下ろした。
鰐淵が立ち上がろうとする宗助の体を蹴り転がす。
藤鼠が右手を踏みにじる。
雲雀ヶ丘が髪を掴んで体を引き起こす。
蛇蔵が受け取り、羽交い絞めにする。
鶴木が左頬を殴りつける。
兎良島が顎を殴りつける。
獅子岳が腹を殴りつける。
鳥栖がアッパーを食らわせる。
猫家が鼻を殴りつける。
牛河が金的を蹴る。
羊森が頭を掴み、柱にぶつけて放す。
亀沢が腹を横から蹴り飛ばす。
獏宮が腹を上から蹴りつける。
狗邑が腹を蹴り転がす。
象嶋が頭を掴み上げ、床にぶつける。
虎井が頭を踏みにじる。
馬岡が首根っこを掴んで立たせ、鹿村へ投げる。
鹿村が投げ飛ばす。
鼬穴が尻を横から蹴る。
蛙川が鼻を蹴飛ばす。
犀間が跳ねて腹を両足で蹴る。
山羊沼が顔を掴んで立たせて、床へ投げる。
龍田が鳩尾を蹴飛ばす。
熊崎が顎を蹴り上げる。
宗助に只管暴力が降り注ぐ。目の前で広がる惨劇を淳は楽しんだ。此処に地獄がなったことで父の威厳を見た気がした。しかし、それも今日で仕舞いだ。スケープゴートが選ばれたからには、もう誰も父のことを考えないようにするだろう。
用済みの骨壺を手の中で転がし、そして、投げた。
白い陶器の壺が壊れ、内部の骨と共に散らばる。
軽く弾けた音に全員が一瞬体を動かすのを止めた。しかし、見なかったことにするかのようにすぐに暴力を続けた。
宗助は手を伸ばさずにはいられなかった。手を踏まれても、襟を掴まれても、純郎を目指した。
阻まれる度にあの日の苦しんでいた純郎を思い出す。あれからも、純郎はいつかの父のような弱者の為に動いた。自分の正義を貫き通した。
それがこんな最期を迎えなければならないなんて、間違っている。
桜刃組に救われた誰もが桜刃組の創設者を蔑ろにするなんて、間違っている。
桜刃組の組員が桜刃組を否定しなければならないだなんて、間違っている。
宗助の手が漸く骨の一片を掴む。即座にその手を腹に当て丸まった。
暴力は止まない。宗助ごと純郎を砕こうとでもしてるように、丸まった背中に蹴りが繰り返された。
暫くして善継が舌打ちをして、屈む。蹴りが止むのを見て、宗助の髪を掴んで上を向かせた。
ぼたぼたと鼻血が畳を濡らす。宗助の顔は赤くなったり擦り切れたり腫れたりしていた。だが、いつもと変わらず大きな目は爛々と善継を見据えていた。
善継が目を眇める。
「何やその面は。お前はな、僕達の居場所を失くそうとしたんやぞ。分かっとるんか」
宗助の顔に皺が寄る。喉がかっと熱を持つ。善継にその熱をぶつけるように唾を吐きつけた。
善継が濡れた頬を拭う為に手を放す。その指に千切れた髪が数本絡みついた。
宗助は顔を畳に打ち付けた。それから僅かに顔を上げ、掴んでいた骨を口に入れた。
鹿島信濃からは呑み込む喉の動きがよく見え、口を覆って悲鳴を上げた。
兎良島武瑠は暴力の熱に浮かされていたが、宗助の行動に気付くと嫌悪感を露にした。
「いかれとるやろ……」
宗助がふらつきながら立ち上がる。そして、しゃがれた声を上げた。
「いかれてるのはお前らじゃろが! 何が居場所じゃ! こんなに汚れとんのによう平気でおれるな! こんな桜刃組なんぞ間違っとるじゃろが!」
宗助の目が淳を捉える。善継がすぐさま宗助を殴りつけた。立っているのがやっとだった体がまた倒れ込む。
善継が熱い息を吐き、腹を踏む。そして、髪を振り乱して叫んだ。
「死ね」
電撃のように走り抜けた大声に全員がしんと押し黙る。
沈黙を噛み締めて淳が数度頷いた。それから左手を一ノ宮に突き出した。
一ノ宮は悪戯気に笑みをつくり、懐からリボルバーを出した。それを戯画的にかしこまって淳の手に置いた。
淳が軽やかな足取りで善継に近付く。彼の肩に手を置き、銃を渡そうとした。しかし、その時、正面にいる猪沢優作が目についた。
優作は真っ青な顔で目を潤ませていた。息は短く繰り返されて、肩が小刻みに揺れていた。身に纏ったスーツは全くと言って良いほど乱れていなかった。
淳が整然と揃った白い歯を見せつける。
「猪沢、お前が撃て」
銃を掴んだ手が優作に向けられる。
宗助を囲んでいる全員の目が優作に向けられる。彼らは優作の不参加を悟り、視線だけで責め立てた。
優作は震えながら、銃を両手で受け取った。
淳の手が銃から離れた途端、善継がこの場で最も年齢の低く、最も情けない男に喝を入れた。
「殺せ」
優作が肩を大きく跳ねさせてたじろぐ。おそるおそる宗助を見ると、優作を冷ややかに睨みつけていた。
優作は唇を噛み、銃を構えた。体の震えが止まらず、銃が暴れた。
そして、優作はゆっくりと銃口を――
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