第53話 カラスの報せ
魔王ウルに自身を捧げた夜の次の日。
モナは王都にある噴水広場に来ていた。
女神祭りも終わり、徐々に人々の往来も落ち着いてきている。
青々と葉を茂らせている広葉樹の下にあるベンチに座り、モナは教会にある鐘楼の上空を飛び交う鳥たちを眺めていた。
今日はどんよりとした曇り空だが、不思議とモナの心は落ち着いていた。
そんな彼女の元へ近づいて来る人物がいた。
「……お姉ちゃん」
「リザ……」
あれから全く家にも教会にも寄り付かなかった妹との再会。
お互い見つめ合い、二人だけの空間が切り取られたかのような無言の時間が過ぎる。
「これ……アタシも読んだよ」
「あっ、聖女の日記! そっか、私がウルの家に忘れていったままだったわ……ってアイツ。よりよってリザに渡したのね」
リザが片手に持っているのは、歴代の聖女たちが書き記した数多の想いが込められた日記だ。
そこには勇者と王家との秘密が書かれている。
それを読んだという事は、リザも真実を知ったという事だろう。
モナはどう説明をしよう、と話の切り口で迷ってしまう。
これだけ周囲に喚き散らしておいて、気にしないでなんて言えない。
そう考えると今までの自分の言動が恥ずかしくなってしまい、黙ってしまった。
すると突然、リザの瞳からポロリ、と大粒の涙が地面に落ちた。
一度こぼれてしまえば、まるで決壊したダムのようだった。止め処なく次から次へと流れ落ちる雫を見て、思わずモナは彼女に駆け寄って抱きしめた。
「アタシ……お姉ちゃんに謝らなきゃって……思って」
「どうしたのよリザ。なにも貴女が謝ることなんて……」
えぐえぐと泣きじゃくる妹の頭を優しく撫でて慰める。
だがいくら経っても、彼女が泣き止む様子もない。
「お姉ちゃんばかり聖女だなんだってチヤホヤされてアタシ、嫉妬していたんだと思う」
「そんな……」
「そもそもアタシは聖女になるのが嫌で逃げ出したのに……それがこんなことになっちゃって。責任とか役目とか……ぜんぶ、お姉ちゃんが辛い思いをしていたのにアタシ……アタシは……」
「……いいの。いいのよ、リザ……貴女が居てくれたお陰で、お姉ちゃんはここまで頑張ってこれたんだから……」
結局のところ。
お互い、つまらない意地の張り合いだったのだ。
モナは姉として妹を幸せにしたかったが故に、彼女をコントロールしようとしてしまった。
リザは自由を求めつつも、姉に憧れていた気持ちを整理できていなかった。
そんな姉妹のすれ違いが長年積み重なって、今回たまたま表に出てきてしまっただけなのだ。
「でも……お姉ちゃんが、このままじゃ……」
「大丈夫よ。私、もう覚悟を決めたから。私で全てを終わらせるつもり」
「それって……もしかして……!?」
モナの表情はもう、決まっているようだった。
彼女が心に決めた人はただ一人。
その心も身も、女神の為にも王家の為にも捧げるつもりは無い。
「でも、レオの身体は一年で女神様に奪われちゃうって! それに今は魔王が……」
「そうね。でも、私が彼を守るわ。私の命に賭けても、ね」
絶望でも諦観でもない。
幸せに満ちた聖母の様な顔で彼女はリザにそう答えた。
「お姉ちゃん、そこまであの人を……」
それに彼女はあの日、すべてを捧げると誓ったのだ。
他の誰にでもない。今まで信奉していた女神にでもなく、己自身に。
そんな時、空から白いカラスが飛んできた。
「あれは……」
「すごい、綺麗な鳥……アタシ達の方に降りてくる!?」
この辺りに存在する白いカラスと言えば、魔王ウルの使い魔しかいない。
ゆっくり羽ばたきながら降下し、バサリと優しくモナの肩へと降り立った。彼はこの使い魔をメッセンジャーとして重宝していたということは……。
「何かしら。えぇっと、たしかウルはこうやってたわね……」
いつか彼が見せてくれたように、カラスの頭に手を乗せ、目を瞑ってみる。
すると、彼の自宅に居るのであろうウルが映像として脳裏に映った。彼の顔を見てしまったことで、つい昨晩の情事を思い出してしまう。
モナは思わず頬を赤らめてしまった。
『モナ、落ち着いて聞いてくれ。キミの母上の手掛かりが見つかった』
「えっ!?」
モナは驚いて思わず大声を出してしまう。
使い魔でメッセージを届けるくらいだから急用だと思っていたが、予想外の報告だった。
『スラム街の騎士団詰め所の牢屋に居るらしい。そして恐らく、彼女を連れ去った犯人。それは……ミケだ』
「そんなっ! まさか彼が!!」
『ミケから俺の家に手紙が届いたんだ。教会に一人で来い、と。恐らく彼は俺の正体に気付き、亡き者にしようとしている。キミは俺の事は放って母上を救出しに行ってくれ。気を付けろよ、騎士団も恐らく敵だ。――いいか、絶対に来るんじゃないぞ!』
伝言を伝え終わると、純白のカラスはバサバサと羽ばたいて再び空へと帰っていった。
蚊帳の外に置かれてしまっていたリザが、呆然としている姉を心配して話し掛ける。
「どうするの、お姉ちゃん」
「リザ。お願いがあるの……」
事情を聞いたリザは、母レジーナが弟分だったミケに監禁されているという事を聞いて、驚き慌てふためく。
ウルはどちらかしか助けに向かえないと思っていたようだが、ここには心から信用できる妹が居る。
モナはもう、悩まない。
リザに作戦を話し、自分の想いを託すことにした。
「――分かった。そっちはアタシに任せて」
「頼んだわよ。じゃあ気を付けて」
「お姉ちゃんもね!!」
そうして二人は互いの目的地に向かって走り出した。
――己の運命を自分自身で決めるための最後の戦いが始まる。
選んだ道の果てに、それが大事なモノを失う運命だったとしても。
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