第50話 魔王の語る女神の真実

 

 夕方を知らせる教会の鐘が茜色の夕陽に照らされた王都の街に鳴り響いている。


 仕事の時間が終わり、これから一杯引っ掛けてから帰る労働者たちがどの飲み屋にするかで楽しそうに相談しながら通りを往来していく。

 平和なこの街に安寧をもたらした英雄のひとり、聖女モナは陰の差した表情をしていた。




「これを教会の地下室で見つけたわ」


 いつかと同じく、ウルはダイニングでゆったりとアルコールを楽しんでいた。

 手元のグラスからモナがテーブルの上に置いた本に視線を落とし――ふっ、と微笑んだ。


 彼が今日飲んでいる瓶の銘柄は“女神の施し”という名のブランデー。

 これはブドウ農園がある隣町、メルロー子爵領の特産だ。ラベルには女神像と同じ女性が王冠をした人間や剣士、農民に手を差し伸べている絵が描かれている。


 モナの視界にその絵が入った時、信奉する女神様に対して、いつもと違う感情が胸の中で渦巻いていることを気持ち悪く思った。



「それで? 俺のところにコレを持って来て、いったいモナはどうしたいんだ?」

「すべてを話してちょうだい。貴方が知る、全てを。私が、納得できるまで」


 断固とした決意を持って、ウルにそう言い切った。

 もう後には引けないし、引くつもりもない。

 当事者なのに自分だけ蚊帳の外で運命だけが決められる――そんなのはもう、嫌だった。



「……それは無理だ」

「どうしてよ!? 魔王である貴方が、このことを知らないはずがないでしょう!?」

「俺にも言えないことぐらいはある。「ウル!!」……だから、話せる範囲でならいいよ」


 ウルは烈火のごとく怒り狂うモナに「負けたよ」と小さく嘆息すると、自分が座っている正面へ座るよう手で促した。




 ……暫しの間、無言のまま時間が過ぎる。

 彼も何から話せばいいのか、逡巡しているようだ。

 魔法が堪能な彼が自前で作ったであろう氷の塊が、黄金色のブランデーに溶かされてカランと音を立てた。



「そうだね、まずは魔王と女神の関係から話そうか……」


 そもそも、魔王はなぜ現れるのか。

 なぜ勇者に倒された後も復活し、再び世を荒らすのか。


「それは……魔王とは、とある存在によって造られた存在だからだ」

「造られた……? いったい、誰が。何のためによ?」



 そんなこの世界にいる女神が聞いたらすぐに天罰を与えられる様な人物がいるとは。それも、魔王が造られるだなんてとびきりの罰当たりだ。


 だがウルが答えたのは、驚くことにモナも知っている人物だった。


「――女神だ」

「はい?? そんなくだらない冗談なんて聞きたくないわよ? まったく、そんな有り得ないこと……!!」



 ウルに本当のことを言え、と詰め寄るモナ。

 しかしウルも怯むことなく、しっかりと彼女の眼を見て応える。


「俺が言うんだから間違いないさ。魔王と勇者、そして聖女。これらは全て、女神が自身の為に作ったシステムなんだ」



 つまりウルが言う事実とは、こうらしい。


 魔王が現れると、人間の生活を脅かすようになる。

 女神は人々に救いを与えるため、宣託によって勇者を選出し、討伐させる。


 聖女は勇者を助け、女神の代理人として民に安らぎを与える。



 それは確かに、モナも知っている。

 だがそれがすべて女神が仕組んだこと、というのはいったいどういうことなのか。




「簡単に言ってしまえば、女神の自作自演だよ。信仰を集め、力を奪い、更なる上の神格に至る為の、ね」

「まさか……女神様が魔王を生み出していたってこと?」



 嘘だと言って欲しい。

 そんな気持ちで言ってみるが、彼の首が横に振られることはなかった。


「残念ながら、そのとおりさ」

「そんな……有り得ないわ……」



 女神を崇め、信仰することでこの世界のありとあらゆる生き物は生きていける、そう教えられてきたのだ。ましてや聖女というものは女神の意思を汲み取り、正義の心をもって生きよと母に叩き込まれた。


 それが根底から覆させられようとしている現状に、モナを形作る全てがガラガラと崩壊し始めていた。

 今の彼女の心理状態はかなり危うい状態だと言えるだろう。



「魔王は殺されると、魂が勇者に宿る。そして勇者と聖女は結ばれ、子を成す」

「ちょっと待って、もしかして生まれた子が男の子だったら女神様に捧げるって……」



 日記によると、代々の聖女は王族か勇者との間に子を産まされていた。

 女児だったら次代の聖女。そして男児だった場合は女神によって奪われると記されていたはずだ。



「そうだ。そいつこそが次の魔王。そして勇者とはその抜け殻を女神が利用したものだ」

「嘘よ! だって貴方、契約が終わったらレオを返すって!」

「……身体は返すという約束だ。身体にレオの魂が残っているかどうかは」

「――やめて!!」



 頭を抱え、理解することを拒むように振り乱す。

 彼女の美しかった髪は疲労とストレスですっかり艶を失ってしまっている。

 目も落ち窪み、満足に睡眠も取れていないのだろう。


 真実を突き付ける苦しみを押し殺しながら、ウルは懺悔のように続きを告げようとするが……


「モナ……」

「それ以上、言わないで……もう……お願い」


 モナは壊れてしまったかのように、親指の爪を噛みながらブツブツと呟き始めてしまう。

 心配したウルが慰めようとするも、口を開く寸前に彼女はガバッと立ち上がった。


「ごめんなさい……今日は失礼するわ」

「あ、おい……!!」


 モナはそれだけ告げると、まるで幽鬼のようにフラフラと家から出て行ってしまった。





 ふたたび、ウルの家に静寂が訪れる。

 テーブルの上の料理はすっかり冷めきってしまった。今から続きを食べる気にはもう、なれない。


 ウルは「はぁ……」と深い溜め息を吐くと、ブランデーに口を付けながらひと言呟いた。



「なぁ、そろそろ隠れてないで出てきたらどうだ?」

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