第39話 価値観の違い、世界の違い

 

 母レジーナが居なくなってから四日が過ぎた。

 魔王ウルとの残りの契約期間が終わるまで、あと十日。



 ようやくウルに弄ばれる日にも終わりが見えてきたというのに、モナはといえば酒場で情報収集をしていた。


 来る客来る客に母の行方を尋ねるが、どうやら有益な情報は得られなかったようだ。顔はやつれ、疲れ果てている様子でマスターに貰った果実水をチビチビと飲んでいる。


 そんな彼女の元へ、この国の王子であり勇者メンバーの仲間だったミケがやってきた。


「まったく……なぜ僕にもっと早く相談してくれなかったんだよ」

「……貴方は王子でしょう。それに今は騎士団の再編で忙しいって聞いていたし」


 王子が英雄となって帰還してきたため、新たにミケを中心とした騎士団が作られた。騎士団全体から見ればそれは小規模過ぎて名誉職のようなものだが、国を救ったミケは騎士たちにも概ね好意的に迎えられている。


 元々の彼の王族らしからぬ気風もあり、いまや新進気鋭の騎士団として民からも人気を博していた。

 つい先日まで隣国との合同演習に参加してきたとかで、ミケはこの王都には居なかったのだ。



「ごめん、言い過ぎたよ。確かに僕は王子かもしれない。だけど、僕とモナは共に戦った仲間だろう!?」

「ありがとう、私こそゴメン。今はちょっと、心に余裕が無くって……」


 ウルに問いただした後、あれからもモナは妹やウルと共に王都中を探し回り続けている。


 出来る限りの伝手を使って上流街からスラムの治安の悪そうな場所まで当たってみたが、成果はほとんど無かった。



 ここまでくるとレジーナは王都には居ないのではないか、という考えが頭をよぎる。

 しかし王都の外に母の知り合いが居るなど、聞いたことも無い。


 それに誘拐目的で連れ去られたとしても、あれから何の要求もないことから、いったい何が目的なのかも分からない。

 唯一の手掛かりと言えば――



「それで、昨日の夜にコレが教会の女神像の前に置かれていたって?」

「そうなの。この手紙の筆跡はお母さんのものだし、便箋に込められていた魔力も間違いなくそうだったわ」



 昨晩、聖女の務めの一つである祈祷をしようと教会に入ると、青白く光るナニカが女神像の足元に置かれていた。

 それは、母から娘たちに向けた一通の手紙だった。




 ――愛する娘たちへ。


 突然居なくなってゴメンなさい。

 心配を掛けちゃったでしょう。

 いつもリズに無断で外泊しないようにって叱っていたのに、まさかお母さんが家出をしちゃうなんてね。

 もしかしたら今頃、私のことを探してくれているかもしれないけど……心配しなくても大丈夫よ。

 お母さんは今、元聖女として大事な役目を果たしています。

 まだまだ私だって、沢山の人の為に役立てるってことを証明して来ようと思います。


 そしてあの日、教会でモナがお母さんに言えなかったこと。

 お母さんに任せなさい。

 きっと全部解決して、二人の前に帰ってきます。

 それまでしっかりと教会の事をよろしくね。

 リザはお姉ちゃんのことを、ちゃんとよく聞くこと。


 また会える日を楽しみにしているわ。

 それでは、お元気で


 レジーナ=サルヴェ








 モナから渡されたその手紙を読んだミケは、頭痛を堪えるように額を押えているモナに視線を戻した。


「……で、モナはこれからどうするつもりなんだ?」

「そう言われて大人しく家でお留守番できるほど、私も良い子ちゃんじゃないのよね」


 きっと手紙のことを無視して、このまま捜しに行く気満々なのだろう。

 だが、結局彼女がどこに居るのかが分からない。このままでは、モナが過労で倒れてしまうかもしれない。


 心配になったミケは何かを思案した後、優しい声色でこう言った。



「ねぇ、モナが僕のモノになったらお母さんが帰ってくるっていったら……どうする」

「え?」


 ミケの普段の言動からは予想も出来ないセリフに戸惑っていると、彼はモナをそっと抱き寄せ、耳元でさらに囁いた。


「ねぇ、もっと僕を頼ってよ。僕のことを友人ではなく、もっとキチンと……そう、男として見てくれないか」

「なにを……急に一体、どうしちゃったのよミケ!?」

「どうしたのはモナの方だ!! なぁ、教えてくれよ! お母さんが居なくなって、あの勇者は何か役に立ったか? 魔王が居なくなった今、本当にモナの事を守れるのはいったい誰だ? 僕なら王族としてキミを最大限フォローすることが「もうやめて!! ……それ以上、言わないでよ」モナッ……!!」


 普段の紳士的な彼とは違い、豹変したように熱心な説得をするミケをモナは思わず拒絶する。

 ウルに抱き寄せられた時とは違い、ミケに抱かれる嫌悪感が彼女を襲ったのだ。


「どうして今、そんなことを言うの!? 私は誰かを役に立つかなんかで見てないわ! なんでミケは私のことを理解してくれないのよ!」

「それはこっちのセリフだ! キミはこの国の聖女だぞ!! その立場をちゃんとわきまえろよ!」



 お互いテーブルから立ち上がり、唾を飛ばし合いながら大声で怒鳴り合う。

 何事だ、ケンカかと周囲の注目を浴びるが、その相手は英雄であるモナとミケだ。彼らを自分たち如きが止められっこない、と逃げるようにして目の前の酒へと戻っていった。


 そんな周囲の事なんて視界にも入らないモナとミケは完全に頭に血が上ってしまったのか、しばし睨み合いが続く。



 そもそもミケの言う聖女の立場というのは、国民の安寧を祈り、国の為に尽くす職業を指す。

 一時期グレていたとはいえ、幼い頃から王族として自分の自由を捨て、国に尽くせと心身に叩きこまれていたミケと、前世日本では平民でありながら法によって自由を保障されて生涯を閉じたモナでは根本的な価値観が異なるのは当然だ。



 たしかにこの世界ではミケのいう事の方が正しい。

 しかし、女を口説くセリフとしては完全に失敗だった。せめて普段の彼だったら、もっとロマンティックなシチュエーションで甘い言葉をささやいたに違いない。


 形振なりふり構っていられないほどに彼女を愛し、己の出来る限り助けようとしていたのだが……今のモナにそれを理解する余裕はなかった。



「もういい、ミケには頼まないから!!」

「後悔するぞモナ!! キミは聖女という肩書き無しでは生きられないということを、近いうちに味わうだろう。その時になったらもう……」



 ――パシン。



 それ以上の言葉を拒絶するかのようにモナの右手が、ミケの左頬を朱色に染め上げた。

 涙目のモナは「ごめんなさい」とひと言だけ告げると、女神が描かれた金貨を一枚テーブルに置いて酒場から去っていった。


 一方のミケは赤く痛む頬を撫でながら、怒り狂う……でもなく、嬉しそうにニタニタと恐ろしい笑みを浮かべていた。



「ふ、ふふ。僕にビンタするなんてモナぐらいだよ。だけど、それでこそ僕の愛した人だ。今はそれでいい。もうすぐ彼女は僕のところへ頭を下げて懇願するだろう……クハハハ、やはりあの偉大なる御方の仰る通りだった……あぁ、その日が楽しみだ……女神の忠実なる下僕に祝福あれ!!」








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