第17話


 病院内を歩く友樹は、明らかに目立っていた。それも無理はない。両脇に、大きな黒のカバンを抱えた大男と、同じく大きな黒のカバンを抱えた派手な女を従えているのだから。

 友樹は、美咲のために、ウエディングドレスを購入した。ミモレ丈とかいう踝より上の短めの丈に、ふわっと広がるスカートが印象的な純白のドレスだ。ドレス選びは、メイクアップアーティストを目指していると言う和馬の彼女の一人、樋口夏菜子に協力してもらった。

 夏菜子はウエディングのメイクをすることが夢だったようで、友樹と美咲の話を聞くと、自ら協力したいと名乗り出てくれたらしい。

 美咲にウエディングドレスを着せたい。友樹はその一心で、危険なアルバイトもこなしながら、お金を貯めた。夏菜子に情報をもらいながら、アウトレットショップやら、インターネットショップやらを駆使し、何とか予算内で満足のいくアイテムを用意した。

 友樹の汗と涙が詰まったウエディングドレスを持って、三人はいざ病院を訪れた。美咲はどんな笑顔を見せてくれるだろうかと、友樹は胸を弾ませた。

 着付けとメイクアップは夏菜子が、そして写真撮影は、元写真部の和馬が行ってくれることとなった。

 美咲には、今日は友人を連れていくということだけを話していた。

 病室のドアを開けると、美咲は虚な目で窓の外を眺めていた。

「一応、ノックしたんだけど――」

 友樹たちが入ってきたことに気付き、美咲は慌てて笑顔を作った。

「ごめん、気付かなかった。もしかして、そちらは噂の和馬くん?」

 友樹が頷き、紹介しようとしたところに、和馬が自ら前へ出た。

「俺が、噂の和馬くん。はじめまして。荒野美咲さん。こっちは俺の彼女の樋口夏菜子」

 夏菜子が笑顔で頭を下げる。

「随分と、大荷物だね。旅行にでも行ってたの?」

「これは――」

 友樹は、ウエディングフォトを撮影しに来たのだと説明した。

「和馬がカメラマンで、夏菜子さんが着付けとメイク担当。ドレスはこういうのを選んでみたんだけど、どうかな」

 友樹は大きなカバンから純白のウエディングドレスを取り出して見せると、恐る恐る美咲の表情を伺った。

「ベールはこれで、ブーケはこれ」

 友樹は白のリボンが付いた短いベールと、すずらんの小ぶりのブーケも取り出した。

「それから、手袋も」

 真っ白な短めの手袋を取り出し、再び美咲を見る。

 美咲は目を輝かせて言った。

「パリの恋人だ」

「すごい! よく分かったね!」

 友樹が準備したウエディングドレスや小物は全て、映画『パリの恋人』で主演を務めたオードリーのウエディング姿をイメージして選んでいた。

「そんなの、ファンとして当然」

 友樹の言葉に、美咲は得意げに言った。

「じゃあ、早速だけど、アイテムを全部確認させてもらってもいいかな?」

 夏菜子がわくわくしながら言う。

 友樹は先ほどのアイテムに加えて、白いフラットシューズを取り出した。

「これで、全部だよ」

 友樹の言葉に、夏菜子は首を捻った。

「友樹くんの衣装は?」

 友樹ははっとした。そんなこと、考えてもいなかった。

「君らしいね」

 美咲がすかざず笑う。

「そう思って、ほらよ」

 和馬が大きな袋を友樹に差し出した。開けてみると、そこにはスーツ一式と革靴が入っていた。

「俺のサイズだからお前には大きいだろうし、ただのスーツだから華やかさは足りんだろうが、まぁ、お前のそのダサい私服よりなんぼかマシだろ」

 友樹が和馬に礼を言うと、和馬は手で三を作って笑った。ピースの間違いではないかと首を傾げたが、すぐに合点がいった。

「三ヶ月分、ね」

 友樹が言うと、和馬は親指を立てて笑った。

「それじゃあ、男性陣は外に出てて。これから美咲ちゃんをとびきり綺麗な花嫁さんに変身させちゃうから」

 夏菜子はウインクをしてみせた。

 友樹は病室を出ると、一人トイレに向かい、個室で着替えを済ませた。スーツなどまともに着たことがなかったので、それを身に纏うと、急に大人になった気がして、少し恥ずかしくもあった。

 トイレから出て和馬を探すと、病院のロビーで飲み物を口にする大男の姿を捉えた。図体が大きいとそれだけで目印になって便利だなと友樹は思った。

 ブラックの缶コーヒーを持った和馬が友樹に気付くと、隣に座るよう促した。

「大丈夫なのか?」

 和馬は美咲の病室の方向を親指で指しながら、心配そうに尋ねた。

「大丈夫って、何が?」

「何がって、だって、お前――」

 和馬は一瞬顔を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。

 一時間ほど経った頃、夏菜子がようやく友樹と和馬を呼びに来た。

「随分と時間がかかったな」

 和馬が言うと、夏菜子は口を尖らせて言った。

「着付けとメイクとヘアをがっつりやれば、こんなもんよ」

 初仕事がよほど上手くいったのか、その表情はどこか誇らしげだった。

 夏菜子は友樹と和馬を病室の前まで連れていくと、勿体ぶるように言った。

「三つ数えてから、ドアを開くからね。いい? 開けるよ。3、2、1――」

 ドアの向こうには、友樹の知らない人物が立っていた。妖精だ。友樹はそう思った。

 友樹は思わず見惚れた。和馬も同じようだった。

 先ほどまで目立っていた目の下のくまは綺麗になくなり、血色の悪かった頬や唇はまるで子どものそれのように赤く瑞々しく生まれ変わった。

 短い髪はオールバックのようにうしろにまとめられ、その上にベールが被せられた。

 印象的な太い眉に、その下のキリリとした強い意志を感じさせる瞳が友樹を捉えた。

 永遠の妖精。オードリー・ヘップバーンのことをそう呼んだ人の気持ちが、友樹には分かった気がした。皮肉にも痩せた感じがよりオードリーを彷彿とさせている。

「ほら、早く撮るよ」

 惚ける二人を見兼ねた夏菜子が、喝を入れる。

 綺麗だ。頭に浮かぶその言葉をかけるタイミングを、友樹は完全に逃してしまった。

「じゃあ、新郎はこっち。新婦はこっちへ」

 夏菜子が仕切りながら、撮影を進める。

 新郎と呼ばれ、友樹はむず痒い気持ちになった。

 友樹と美咲は、並んで病室の窓の前に立った。

「すっごいぶかぶか。お父さんの服着て、いたずらしてる子どもみたい」

 美咲は友樹の姿を見て、くしゃっとした表情で笑った。

「新婦さん、いい笑顔! じゃあ、そのまま新郎の腕に手を置いて。そう。にっこり。いい表情」

 まるでスタジオで働いた経験でもあるのかと思うほど上手な誘導だ。

 夏菜子の指示に合わせて、和馬がすかさずシャッターを切る。

「今度は新郎の首に手を回してみようか。そのままほっぺにキス。はい、じゃあ、今度はお姫様抱っこで」

 夏菜子の指示はどんどんエスカレートしたが、こういう衣装を着ているからか、友樹は普段ほどは抵抗なく、それらのポーズをこなすことができた。それでもやはり撮られ慣れていないこともあり、友樹の表情はどこかぎこちなかった。

 撮影を終えて着替えを済ませると、和馬と夏菜子は早々に帰って行った。美咲は病室でお茶でもしないかと誘ったが、夏菜子が和馬を引っ張る形でお暇していった。恐らく、自分たちに気を遣ってくれたのだろう。友樹はそう思った。

 お似合いだな。友樹が頭の中でそう思っていると、美咲が言った。

「なんだか、すごく、お似合いだね。あの二人」

 その言葉に友樹は思わず笑った。

「僕も、そう思ってたとこ」

 友樹は声を落として、美咲の耳元に寄ると言った。

「でも、ここだけの話、和馬にはもう一人彼女がいるんだよ」

「それはどこかで聞いた話だね」

 美咲が笑った。

「君の方が上手だけどね」

「あの子に決めちゃえばいいのに」

「でも、そうなるかも。こうやって紹介されたのも、初めてだし」

 友樹の言葉に、美咲はうれしそうに笑った。

「それにしても、なんだか、夢見てたみたい」

 美咲が言った。その表情に友樹は不安を覚えた。

 目元のくまは隠れたままなのに、先ほどとは別人のように虚な目をした美咲がそこにはいた。まるで魔法が解けたようだ。

 ドレスの力は、それほど偉大なのだろう。友樹は強く実感した。

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