第10話

 友樹は一人、図書館で、パラパラと本をめくった。

 すでに春休みに入っている大学構内は閑散としていたが、図書館にはまばらに生徒の姿があった。

 遅いな。時計を見ながら、友樹はそう思った。

「わりぃ、わりぃ、ちょっと迷っちまった」

 粛然たる空間に、突然の轟音が響き、友樹は一瞬ビクリとした。周囲の学生も一斉に一瞥を送る。

 和馬が頭を掻きながら、友樹に近づいた。

「俺、図書館来んの、初めてだわ」

 和馬は辺りを見回しながら、物珍しいものでも眺めるように言った。友樹は身を小さくしながら、和馬を連れてパソコンルームに移動した。ここで待ち合わせるのは間違いだったか。頭の中でそう考えた。

「相談って何だよ? まぁ、どうせ、荒野美咲絡みだろうけど。やっと童貞でも卒業する気になったか?」

 和馬はパソコンルームの椅子にどかりと腰掛け、両手を組んで頭の後ろにやった。

 大学構内には自由に利用できるパソコンルームが五ヶ所あるが、図書館のものだけは半個室になっているため、会話にも多少のプライバシーが保たれた。

「前半は合ってるけど、後半は違うかな」

「日替わり彼氏に疲れた、とか?」

「それは、もう終わったんだ」

 和馬は目を丸くして、前のめりで尋ねた。

「終わったって、どういうことだよ? 振られたのか?」

 友樹は首を横に振ると、美咲の病気のことを話した。

「橘とか、桜井とか、他の曜日の奴は、どうしたんだよ」

 話を聞いた和馬は、驚いた様子で尋ねた。

「他の人とはもう会わないって言ってたから、僕以外の人は別れることに同意したんだと思う」

 和馬は眉間にシワを寄せて、無言で頷いた。

「そこで、なんだが」

 友樹は本題に入る前に、大きく咳払いをした。

「彼女に、プロポーズしたいと思うんだ」

 言葉にするとなんだかむず痒い気持ちになり、友樹は一瞬はにかんだ。

 和馬は何を言っているのか分からないという顔で首を捻った。

「だって、相手は数ヶ月の余命を宣告されてんだろう? そんな相手と結婚して、お前はどうするんだよ? 一体何のために?」

「結婚するのに、理由がいるの? 好きだけじゃダメなのかな?」

「ダメだね」

 和馬はキッパリと言った。

「結婚なんて、そんな甘いもんじゃねぇし、何が悲しくてこの歳で自分からバツイチになりに行くんだよ。荒野美咲には悪いが、俺にとっては、あの女よりお前の方が何百倍も大切なんだから、お前がより幸せな道を選ぶなら応援するが、不幸な道に進むのを黙って見てる訳にはいかねぇな」

「ありがとう。でも、不幸なんかじゃないよ。和馬だって、今、彼女いるだろう?」

 和馬が当然だと頷く。

「こないだ一人別れたから、今は、メイクアップの専門学校に通ってる子と、OLやってる子の二人だが」

「その人が、その人たちが、もし不治の病を宣告されたら、和馬は別れるの?」

「それは――そんなこと、考えたこともなかったから、分かんねぇけど、それを理由に別れることはしねぇかも」

「そうだろう。僕も同じだよ。それに、こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、これはラッキーなことなのかもしれないとも思った。だって、僕だって、和馬だって、その彼女たちだって、いつ死ぬかなんて、本当は分からない。もしかしたら、一年後、いや、明日には死んでしまうかもしれない」

「縁起でもねぇこと言うなよ」

 和馬は顔をしかめた。

「ごめん。でも、例えばの話だよ。病気の人も、そうじゃない人も、本当は誰だって、いつ死ぬか分からない中で生きている。それなのに、病気や事故に遭ったりして、死を身近に感じた時にしか、そのことを考えない。そうなると、どうなると思う?」

 友樹は教師になりきる美咲を真似るように言った。

「勿体ぶらずに言えよ」

「惰性で生きてしまうと思うんだ」

 和馬は頷いた。

「僕もずっと、そうだった。何となく高校に進学して、何となく大学に進学したいと思って、何となく法学部を専攻して、何となく弁護士を目指している気になって、何となくアルバイトをして――一日一日をそうやって、何となくで過ごしてた。全力で何かに向かって突き進んだことなんて、一度もなかった」

「それは耳が痛ぇ話だな」

 和馬は自虐的に笑った。

「僕も初めてだったんだ。こんな気持ち。強い意志を持って何かをやりたいと思ったのは。僕は今、人生で初めて、彼女のために何かをしたいって強く思うんだ。彼女が喜んでくれることがあるなら、僕も彼女も生きているうちに、全部やりきりたい。そう思ったんだ」

「まぁ、お前の気持ちと、言いたいことは分かった。でも、なんで俺が呼び出されたかはまだ分からんのだが」

「手伝ってほしいんだ。プロポーズのアイデアを考えるのを」

「なんで俺が。そういうのは自分で考えろよ」

「いいじゃないか、和馬、そういうの得意だろう」

「いやだよ、人のプロポーズのサプライズを考えるなんて。俺には荷が重すぎる」

「そこを何とか。親友の名に免じて。僕も和馬の晴れの日には、何でも協力するし! あ、何なら、この間の、比較政治論のレポート、代わりに書く! おまけに、学食の唐揚げ丼を一ヶ月間――」

 和馬は手で二を作った。

「二ヶ月! 二ヶ月間、毎日ご馳走する!」

「わかった、わかった。そこまで言うなら、手伝ってやるよ」

 友樹は満面の笑みで礼を言った。

「こういう時はやっぱり、ブレーンストーミングだ。まず、荒野美咲の好きなものを片っ端から教えてくれ」

 和馬はカバンからノートとペンを取り出した。

「一番好きなものは、オードリーかな」

 友樹が言うと、和馬は首を傾げた。

「意外だな」

 和馬の反応に、友樹はニヤニヤと笑みを浮かべた。

「何だよ、気持ち悪りぃな」

「いや、やっぱりそっちを最初に思い浮かべるよな、と思って」

「他には、なんかないの?」

「あとは、夏と海とジーマーミ豆腐が好き」

「だったら、行けばいいじゃん」

「行くってどこに?」

「決まってんだろう。沖縄だよ」

「沖縄旅行?」

 友樹の言葉に、和馬が頷き、加えた。

「そこで、プロポーズするんだよ」

 友樹にとって、それはまさに青天の霹靂だった。が、考えてみれば、悪くないかもしれない。

 二人並んでパソコンで検索をかけながら、沖縄旅行とプロポーズの計画を練った。

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