第5話
初デートの日はあっという間にやってきた。
友樹は新宿駅南口を待ち合わせ場所に選んだ。予約していた百貨店内のおしゃれな自然派カフェに足を踏み入れると、美咲は辺りを見回しながら言った。
「可愛いお店だね」
友樹はほっと一安心した。
「女子はカフェが好きだと言うからね。ジーマーミ豆腐が食べられるお店とも迷ったんだけど、やっぱり雰囲気は大事らしいし、パスタがあるカフェなら間違いないらしいから」
友樹はこれまで本で蓄えてきた女子の扱いに関する知識をフル活用した。
「マニュアル人間なの、君は」
美咲が笑ったので、友樹は口を尖らせた。
「それ以外に学ぶ場所がなかったからね」
「で、この後のプランはどうなってるの?」
美咲が頬杖をついて尋ねる。
「それは、後でのお楽しみ」
「そうなると、期待しちゃうな」
美咲は意地悪な顔をして言った。
「大丈夫、期待は裏切らない」
「今日は珍しく自信満々だね」
「デートでは堂々としてた方がモテるって書いてあったから」
「それは、あながち間違いではないな」
他愛のない会話をしていると、注文したパスタが運ばれた。
「そうそう、君に言っておかないといけないんだった」
美咲が和風たらこパスタをフォークに巻き付けながら言った。
「初デートだけは、講義をサボってもいい決まりになってるけど、それ以外は講義優先なの。だから、火曜担当の君の持ち時間は、大学構内でのランチタイムと、五限が終わってから夜ご飯の時間までね。ただし、私も自分の用事や課題があるから、その持ち時間を全て一緒には過ごせない」
「それは、かなりの悲報だな」
「火曜が、一週間で一番忙しいんだ」
「だったら、土日が一番ラッキーじゃないか」
「土曜は基本的に学校で課題をやることが多いから、日曜が一番フリータイムは多いかな」
「ってことは、日曜担当の奴が一番のお気に入りなの?」
「そういうことになるのかな」
美咲は首を捻りながら言った。
「やっぱり僕はどこに行ってもカーストの最下層にいる人間なんだな」
友樹は落胆して言うと、恐る恐る尋ねた。
「ちなみに、平日にも序列はあるの?」
美咲は少し考える仕草をしてから言った。
「水曜はあと三日、木曜はあと二日で週末だと思えて頑張れるでしょう。金曜はもうほぼお休みモード。月曜はお休みの余韻に少し浸っていられるんだけど、火曜はその余韻からも遠いし、週末まで四日もあるのかって感じで、一週間で一番テンションが下がる日かな」
美咲が言いながら、チラリと友樹を見た。頭を抱える友樹の姿に、美咲は耐え兼ねたように吹き出した。
「ごめん、冗談。平日はどの日も大して変わんないかな」
パスタを食べ終えると、友樹が会計を済ませ、二人で新宿駅の東口方面へと向かった。
「映画でも、観るのかな」
美咲が予想を立てたが、友樹はそれに答えなかった。ルミネの中に入り、エレベーターを指して友樹が言った。
「ここから、上に行こう」
七階まで上がり、エレベーターを降りると、そこは沢山の人で溢れていた。
「うわぁ、平日とは思えない人混みだね」
「はぐれるといけないから」
友樹は美咲の手を握った。
「これもマニュアル通り?」
美咲が悪戯に笑った。友樹は無意識に取った行動だったが、指摘されると恥ずかしくなり、思わず美咲の手をぱっと離した。
「ダメ、ダメ。はぐれちゃうから」
笑いながら、今度は美咲が友樹の手を握る。
友樹がポケットからチケットを取り出し、劇場の入口に立つスタッフに渡した。前方左寄りの席に並んで座ると、美咲がスクリーンに映る文字を見て言った。
「お笑いライブ?」
友樹は美咲の顔色を窺いながら頷く。
「へぇー! 楽しみだな!」
美咲がウキウキした様子で言ったので、友樹はひとまず安心した。
ステージには、十組の芸人が代わる代わる登場して、漫才やらコントやらで会場を沸かせた。
隣でケラケラと笑う美咲を、友樹は時々盗み見た。決して上品な笑い方ではなかったはずなのに、友樹にはそれが堪らなく美しく思えた。美咲のことが気になって、友樹の頭にはライブの内容は半分も入って来なかった。
会場を後にしながら、美咲は言った。
「お笑いライブって初めて見たけど、あんなに面白いんだ」
「初めてだったの?」
友樹が意外だと思いながら言うと、美咲は頷いた。
「君の初めてをもらえるなんて、光栄だな」
「なんか、誤解を生みそうな台詞だね」
「いや、本当に、お笑い好きなのかと思ってたから。でも、楽しんでもらえてよかった」
「お笑い好きに見える?」
美咲が不思議そうに言った。
「いや、ぱっと見はそう見えないけど、オードリーが好きって言ってたから」
「オードリーは好きだけど、それがどうしてお笑い好きになるの?」
美咲は合点がいかないという顔で尋ねた。
「だって、オードリーと言えば、ピンクのベストでお馴染みのお笑いコンビで――いや、ちょっと待て。何か齟齬が生じているぞ。君の言うオードリーってのは、もしかして、永遠の妖精と称される、かの有名な大女優、オードリー・ヘップバーンのこと?」
友樹が尋ねると、美咲は当然といった様子で頷いた。
友樹は頭を抱えた。
「なんだ、僕はてっきり――」
言いながら、友樹は自分でも可笑しくなって笑った。
「確かに、君からオードリーという言葉が出たら、それは芸人じゃなく、ヘップバーンの方をまず思い浮かべるべきか」
「お笑い芸人に、オードリーっていう人がいるんだ?」
「君はあまりテレビを見ないって言ってたもんね。オードリーといえば、僕なんかはやっぱり芸人の方を浮かべちゃうね」
「そっか。でも、今日のお笑いライブも面白かったし、今度、その人たちの漫才も見てみよう」
「よかったら、DVDを貸すよ」
友樹はうれしくなって言った。
「この後なんだけど、まだ、時間は大丈夫?」
美咲が頷く。
「じゃあ、もう少しだけ付き合ってください」
二人はアンティーク風の小物が並ぶ雑貨店の前にやってきた。
「ここでプレゼントをしたいんだけど、ただ、一つ問題があるんだ」
友樹は頭を掻いて言った。
「本当は、僕が何か気の利いたものを選んであげられたらいいんだけど、不幸なことに、僕は絶望的に趣味が悪いんだ。だから、君がほしいと思ったものを自分で選ぶというのはどうかな」
「じゃあ、二人で一緒に選ぼうよ」
美咲は友樹の手を引いて、店内へと進んだ。
「絶望的に趣味の悪い君は、どういうのがいいと思うの?」
美咲が意地悪な笑顔で尋ねる。
「そうだな。初回に指輪は重すぎると言うし、高価すぎるものもよくないと言うけど、かといってあまりに安っぽいものは身につけたくないだろうし――これなんかは、どうかな?」
友樹は無難そうなクローバーのネックレスを指した。
「言うほど悪い趣味じゃないんじゃない?」
美咲がネックレスを眺めて言った。
「でも、こっちの方が好きかも」
クローバーの隣のネックレスを手に取り、美咲が言った。
「え? これがいいの?」
友樹は理解できず、思わず首を捻った。美咲が手にしたのは、ラクダのシルエットを形取ったピンクゴールドのネックレスだった。目の部分にはキラキラと光る小さな石が埋め込まれている。
「うん、これがいい! これが可愛いよ!」
「女性の趣味っていうのは本当によく分からないな」
「だって、これ、君に似てるんだもん」
「ラクダに似てる? 僕が?」
友樹は呆気に取られた。冗談なのか、はたまた本気なのか分からず、反応に困った。
「似てるよ。ソックリ。言われたこと、ない?」
「幸い、僕の周りには常識人が多かったようで、そんな無礼なことを言う奴は一人もいなかったよ」
「無礼? 可愛いのに、ラクダ」
「コミュ力の低い僕には、どう対応していいのか」
友樹は頭を抱えながらも、自分似のラクダのネックレスを購入して、美咲にプレゼントした。
駅のホームに向かいながら、友樹が尋ねた。
「初デートの帰り際は、家まで送るよって一言声をかけつつも、途中で引くのが一番いいって聞いたけど、本当?」
「そこまで言っちゃったら、いいもクソもないんじゃない? でも、ここまでで大丈夫だよ。家の方面、違うし」
美咲が笑った。
「言葉遣いが悪いな。個人的に、黒髪の美少女には綺麗な言葉を使ってほしいものだけど、それはもはや童貞の幻想か。じゃあ、今日はここでお別れということで」
美咲が笑顔で右手を挙げた。別れようとしたその時、友樹が美咲を引き留めた。
「ちょっと待って。まだ、デートの評価を聞いてなかった」
友樹の言葉に、美咲がすかさず返した。
「三十点」
「さ、さんじゅ……」
友樹が落胆すると美咲が笑って加えた。
「プラス百点。合計、百三十点! つまり、合格! おめでとう、今日から君は正式に、私の火曜の彼氏です」
友樹はガッツポーズをすると、人目も憚らず、美咲にハグをした。が、すぐに自分のとっさの行動が恥ずかしくなり、美咲から離れた。
「ごめん、ついつい調子にのってしまった。いや、でも、本当によかった」
友樹は両手で美咲の手を握った。
「言ったでしょ? なんとかなるって」
美咲が友樹の背中を叩いて、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます