第4話
二人が付き合い出して、初めての火曜。美咲は、語学クラスの小さな教室に、友樹を呼び出した。
先に到着した友樹が小説を読んでいると、前方のドアから美咲が咳払いをしながら入ってきた。
「どうも、お待たせしました。では、これよりオリエンテーションを執り行います」
美咲が教師きどりで教壇に立った。その様子を見た友樹は思わず吹き出した。
「何の真似かな? 教師モノは嫌いじゃないけど」
「臼井くん、私語は慎むように」
美咲がぴしゃりと言ったので、友樹は本物の教師に注意を受けたような気分になって、縮こまった。美咲は友樹より二学年下のはずだったが、どっちが先輩なのかまるで分からない。友樹はそう思った。
「臼井友樹くん」
「はい!」
友樹は背筋をピシッと伸ばした。
「あなたは、荒野美咲の火曜担当の彼氏になることに同意しました。間違い、ありませんか?」
友樹は再び大きく「はい」と返事をした。
「では、曜日限定の交際を進めるに当たって、いくつかの注意点を確認しましょう」
突っ込む隙を与えず、美咲は続けた。
「ひとつ、担当曜日以外は、原則、荒野美咲に近寄りません」
美咲はどこからか取り出したペンで友樹の方を指した。友樹は合点がいかず、首を傾げた。
「ほら、復唱して」
友樹は言われた通り、美咲の言葉を繰り返した。
「ひとつ、両者が同意した場合、担当曜日を変更することが可能です。
ひとつ、他の曜日担当の人のこと、および彼らとの関係について一切詮索しません。
ひとつ、この恋人関係は、どちらか一方が解消を希望した時点で無効となります。
ひとつ、身体の関係は一切求めません」
言い終えると、美咲は満足したように、友樹を見た。
「注意点は以上になります。何か、質問は?」
その言葉に、友樹は右手を大きく挙げた。
「はい、臼井くん、どうぞ」
「先生は、どうして、こんな付き合い方をしているんですか?」
友樹は美咲のことを自然と先生と呼んでいた。
「いい質問ですね、臼井くん。それは、ずばり、効率的だからです」
「どういった点で効率的なんですか?」
美咲は黒板に一本の線を書いた。
「たとえば、これを一人の日本女性の人生だとします。日本女性の平均寿命は八十七歳なので、一番左を零歳、一番右を八十七歳と仮定します」
零と、八十七の数字がそれぞれ黒板に加えられた。
「日本女性の初体験の平均年齢は二十歳なので、この辺から男性と交際を始めるとします。一方、平均初婚年齢は二十九歳なので、だいたいこの辺りで結婚することになります。すると、長い人生の中で、男性を選ぶことに充てられる時間は、たったのこれだけ」
美咲はおおよその間隔で二十と二十九の場所に印をつけ、両者を結ぶ線をなぞった。
「二十九から八十七までの約六十年間を共に過ごす相手を決める時間は、なんとその六分の一にも満たない、九年間しかないんです!」
美咲は衝撃的事実を発見したかのように、黒板をバンバンと叩いた。
「結婚までの平均交際期間は約三年と言われているので、そうすると、一人の女性がパートナーを決めるまでに交際できる男性の数は何人になりますか?」
美咲は腕組みをして友樹の顔を見た。友樹は恐る恐る答えた。
「九年間あって、一人あたり約三年だから――三人ですか?」
「ご名答。たったの三人です。しかし、三人という少ない男性経験で、長い人生のパートナーを選ぶことは、果たして賢明と言えるのでしょうか? 私が出した答えはノーです。では、より効率よくパートナーを選ぶにはどうしたらいいでしょう。その答えが、同時進行での交際です」
美咲は笑顔になり、一息ついて続けた。
「一週間は七日間あるので、曜日ごとに分ければ分かりやすいし、そうすることで普通の人の七倍も効率よく相手を見極めることが出来る。これが、曜日交際を決めた理由です」
友樹は美咲の熱弁に聞き惚れ、思わず拍手喝采を送った。美咲はまるで満席の舞台で歓声でも浴びているかのように、右手を挙げて、多方面にお辞儀をした。
「他に質問はありますか?」
美咲の言葉に、友樹は首を横に振った。
「よろしい。では、この契約書にサインをしてください」
美咲が先ほど読み上げていた紙切れを友樹に渡した。友樹は言われるがままに日付と名前を書き込んだ。ふと、隣の空欄に気付く。
「ここは、何のスペース?」
美咲がどれどれ、と覗き込む。
「それは、私がサインをする場所」
「じゃあ、次は君の番ね」
友樹が紙切れを美咲に渡すと、美咲は首を横に振った。
「言い忘れてたけど、君と私の曜日交際はまだ仮契約なの」
「僕たちは、正確にはまだ彼氏彼女じないの?」
友樹がガッカリして言うと、美咲が頷いた。
「じゃあ、いつから本契約になるの?」
「それは来週火曜の初デートが終わってから。デートの内容は全て君がプロデュースするの。それで、私が君のデートに及第点を付ければ、君は晴れて、私の火曜の恋人になれるってわけ」
「そんな試練が待ち受けていたとは――」
友樹が項垂れると、美咲は笑った。
「そんなに重く捉えないで、気軽に臨んでよ。仮契約から本契約に進めなかった人なんて、今まで一人もいないんだから、大丈夫。なんとかなるよ」
「その言葉、童貞には余計にプレッシャーなんですけど――じゃあ、デートのプランニングの参考に君の好きなものを教えてよ。自慢じゃないけど、僕は君のことをほとんど知らないんだ。とんだ変わり者だということと、どんなに好き勝手なことをしても許されるくらい可愛いということを除いて」
「好きなものか? 何だろう。まず海が好き。だから、季節は夏が一番好き。好きな食べ物はジーマーミ豆腐と島らっきょうの天ぷら」
「君はうみんちゅなのかい?」
「東京生まれ、東京育ち」
「なんだか随分偏った趣味だね。好きな食べ物でまずジーマーミ豆腐を挙げる人、初めて見たよ」
「そう? 美味しいじゃない」
「そういう問題じゃないけど、まぁ、いいや。じゃあ、好きなダンスはカチャーシーで、好きなお酒は泡盛ということでいい?」
「全然違うかな」
美咲は真顔で否定した。
「一年生だから、お酒はまだ飲めないか」
「お酒はもう飲めるよ。けど、泡盛は飲まない。私、学年いっこ落としてるんだ。だから、まだ一年だけど、もう二十歳」
「それは知らなかった。じゃあ年は僕といっこ違いか。なんか君がより近くなった気がしてうれしいな」
友樹の笑顔に、美咲も顔を綻ばせた。
「他は、何だろうな。芸能人はあんまり詳しくないけど、好きというか、憧れはやっぱりオードリーかな」
「それは意外だな。僕もオードリーは好きだけど、まさか君も同じ趣味だとは」
友樹が言うと、美咲は「そう?」と首を傾げて笑った。
「色々とヒントはもらったから、君を満足させられる、とっておきのデートプランを考えてみるよ」
「期待してますよ、臼井くん」
美咲は再び教師に戻り、友樹の肩をぽんっと叩くと、教室を後にした。
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