おまけ 由緒ある血筋の狐の話

 お兄ちゃんとノノお姉ちゃんが姿を消した翌日。私は学校を休んだ。

 二人が惹かれあっていることには気付いていたし、駆け落ちの計画を練っていることも知っていた。

 そして、私が置いてけぼりになることも。

 屋敷は表向きは平静を装っていたが、裏では慌ただしく二人の捜索が続いていた。私も何度も行き先に心当たりがないか尋ねられたが、一貫して知らないと答えた。

「失礼します。サク様」

 そう言って部屋に入ってきたのは、お姉ちゃんのお世話係、ミチヨさんだった。

 このヒトも、実は駆け落ちに協力したことも、私は知っている。

「サク様。奥様がお呼びです」

 奥様、つまりお姉ちゃんのお母樣だ。

 いつも怖い顔をしていて、挨拶をしても返事すらしてくれない。私とお兄ちゃんのことを生みの親すらわからない化けキツネだと、軽蔑しているのが目に見えていた。正直とっても苦手な相手だ。

 でも呼ばれた以上、行かないわけにはいかない。

 私は立ち上がり、部屋を出ようとした。

 すると、ミチヨさんがそっと耳打ちする。

「サク様、私が時間を稼ぎます。逃げてください。ノノ様がいなくなった今、奥様にとってあなたをこの家に置く理由はありません。どんな酷い仕打ちをうけるか……」

 私は小さく首を横に振る。

「行き場所なんてない」

 若桜にある私の実家。きっとお兄ちゃんとお姉ちゃんはそこにいる。

 だからこそ、私は実家にはいけない。

 私がきっかけで、二人の居場所がバレてしまうかもしれないから。

「ですが……」

 ミチヨさんはなおも食い下がる。

「私が人質になって、それで帰ってくるくらいなら、最初からいなくなったりしない。お兄ちゃんとお姉ちゃんは大丈夫」

 私はそう言って、部屋を出た。


 広い和室。

 そこに、お姉ちゃんのお母樣はいた。

 いつもの和服姿で、険しい表情を浮かべて正座していた。

「まあ、座りなさい」

 私はお母さんの正面に正座する。

「ミチヨ。下がって」

 お母様はそう言ったが、ミチヨさんは心配そうに私を見つめる。

「ミチヨさん、大丈夫だから」

 私がそう言ってやっと、ミチヨさんは渋々といった感じで廊下に出ると、名残惜しそうに襖を閉めた。

 お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、私を置いて行ってしまった。

 二人で幸せになってほしい気持ちもあるけれど、それ以上に大きな孤独感や、疎外感が心に広がっている。

「こっちにおいで。心配しないでも、大したことはしないよ」

 お母様は、ゆっくりとそう言った。

 それは、聞いたことのないくらい優しい声だった。

 私が戸惑っていると、お母様は笑顔を浮かべる。

「は、はい」

「もうちょっと近くに」

「……はい」

 私とお母様はお互いの膝がくっつきそうな距離になっていた。

 お母様はおもむろに懐から櫛を取り出した。

「今朝は髪、かしてないんだろ? ずいぶんボサボサだ」

「へ?」

「ほら、むこうむきな」

 私はとまどいながらも、言われた通りお母様はに背をむける。

 すると、お母様は優しい手つきで私の髪に櫛を入れた。

「男の子に会う前に、身だしなみは整えておかないとね」

「それって……」

 私が聞き返そうとすると、それを遮るようにお母様は言った。

「サクちゃん、今まで悪かったね。随分辛かっただろ?」

 それは、予想外の言葉。

「本当はね、あなた達兄妹にももっと優しくしてあげたかったんだけど、色々とそうは行かない事情もあってね。本当に、ごめんなさい」

「どういうことですか?」

 思わず振り返りそうになる私の頭を、お母様は手でおさえる。

「ほら動かないで。私たち小徳付家はね、古くから神に仕える一家だから、家柄だの血筋だのにこだわる者も多いし、この家に関わるみんなが、それを前提に動いている。この仕組みを壊せば困る者も多いのよ」

「つまり私たちを受け入れるって言ってしまったら、今の仕組みで美味しい思いをしているヒト達が暴れ出しちゃうってことですか? 私たちを無理やり追い出したり、殺したり」

「うん。そういうこと。だから私は、あなた達兄妹は決してこの家の住人として認めない、ってフリをするしかなかったの。そうすれば、家の名前で甘い汁を啜ってる連中は安心するから」

 そのとき、私の中で一つの予感が生まれた。

「もしかして、ノノお姉ちゃんに無理やりお見合いをさせたのって……」

「そう。私が選んだ相手と結婚させるぞって脅して、二人で駆け落ちさせるために、ね」

 私は思わず笑いだしてしまった。

「全部、手のひらの上だったんですね」

「まあね。ノノがミウ君と結ばれるには、これしかないと思ったから。どうせ行き先はサクちゃんとミウ君の実家でしょ? 大丈夫。私が責任を持って、二人が連れ戻されることがないようにするから」

「ありがとうございます」

「一つだけ予想外だったのは、サクちゃんが置いて行かれたことね。二人なら連れていくと思ったんだけど」

 それを聞いた途端、私は一気に気分が沈んだ。私がお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒にいる未来もあったのだと知ったから。

「まあ大丈夫。遠回りにはなるけど、またあの二人と会えるよ。じきに白馬の王子様がお姫様を迎えにくるから」

「へ?」

「サクちゃん。決してここで話したことは絶対に口外しないでね。大切なのは何が真実かではなく、何を真実とするかなの。ノノとミウ君はこの家に嫌気がさし、駆け落ちした。私は家柄にこだわる酷い親。そうあるのが一番上手くいくの」

 お母様の声には、揺るぎない覚悟が感じられた。

 そして私ははっきりとうなずいた。

「さ、出来たよ。ちょうどお迎えも来たみたいだ」

 その瞬間、襖が吹き飛び、煙の中から一人の男の子が現れた。


 秦守ケン。


 時々、私を遊びに誘ってくれる化けギツネの男の子だった。

「サク、助けに来た!」

 ケン君は叫び、私に手を差し伸べる。

「行きなさい。秦守ならサクちゃんのことを受け入れてくれるはずだ」

 お母様は私の背中を押した。

 私はケンくんの手を握り、立ち上がる。

「行こう」

「待って」

 すかさずケンくんは走り出そうとするが、私がそれを止めた。

 お母様の方をむくと、深々と頭を下げる。

「お世話に、なりました」

「ええ。達者でね」

 私は頭を上げると、ケンくんと手を繋いで走り出す。

 振り向くことはなかった。

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