第16話 二人の母親の話 その1

 その日の夜。

 私は幼馴染のセリカに借りた漫画を読んでいた。

 主人公はサラリーマンの独身男性。

 祖父の葬儀の場で祖父に隠し子がいたことを知り、その子を引き取り育てていくというストーリーだ。

 おすすめだよと言って、紙袋に全巻入れて渡してくれた。

 確かに面白い。

 そのとき、表からエンジンの音がした。郵便配達のバイクみたいな音だ。

 音は庭で止まった。

 サク叔母さんが帰ってきたのだ。

 コンの話しによると、叔母さんはバイクを買ったらしい。

 明日、どんなのか見せてもらおう。

 別に私はバイクに興味があるわけじゃない。

 でも、叔母さんと会話のきっかけが欲しかった。

 私が困っていると、叔母さんは必ず助けてくれる。そう思えた。

 叔母さんのお出迎えの為、漫画を閉じて部屋を出ようとしたときだ。

「サクっ! 大丈夫? サク!」

 お母さんの慌てたような声。とても珍しい。

 私ははじかれたように部屋を飛び出すと、階段を踊り場まで飛び降り、着地するや否やすぐさま体のむきを変え、残りの段も一気に飛び降りる。

「サク叔母さん!」

 玄関まで行くと、サク叔母さんはお母さんに支えられながら、ヨロヨロと家に入ってくるサク叔母さんの姿が、そこにあった。

「叔母さん!」

 私は叫んだ。

「ただいま、サナちゃん」

 叔母さんは明らかに無理して笑顔を私にむけてくれた。

「叔母さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

 叔母さんの額には脂汗が滲む。

「布団敷いてくる」

 私はそう言うと、廊下を駆けだした。

 縁側を駆け抜け、サク叔母さんが使っている和室へ。

 叔母さんの私物はとても少なく、そして整理されていた。

 私は押し入れを開くと、布団を引っ張り出し、シーツを整える。

 片手しか使えないのがまどろっこしかった。

 あんまり得意じゃないけど、念力なんかも織り交ぜつつ、何とか布団を敷き終わったところで、お母さんに支えらえれた叔母さんが入ってきた。

「サナちゃん、ありがとう。ビックリさせちゃったね。ちょっと疲れちゃっただけだから」

 叔母さんはそう言って布団の上に横になる。

「ありがとう、サナちゃん」


 夕食の前、コンに聞いた。

 叔母さんは、人間の霊を体に入れたらしい。

 魂の形はひとそれぞれだ。

 だから、違うヒトの魂を体に入れれば負荷がかかる。

 以前、魂を入れ替える術を使った化けダヌキに会ったけど、あれは魂の形がとても似ている、相性のいい相手を探してやったから成功したのであって、誰これ構わず出来るような術じゃない。

 叔母さんは形の合わない魂に体を貸し、さらその招き入れた魂に負荷がかからないよう、相当無理をしたみたいだ。


 夕食の席にサク叔母さんは来なかった。

 食後、わたしは叔母さんの部屋をそっと覗いてみた。

 叔母さんは布団の上で荒い呼吸を繰り返していた。

「叔母さん、大丈夫?」

 私は枕元にひざまずき、叔母さんの顔を覗き込む。

 意識がもうろうとしているのか、私がいることにも気付いていないようだ。

「叔母さん、私の“力”あげる」

 魂の力が消耗しているから、叔母さんは苦しんでいる。

 だから、私の力を分け与えてあげれば、少しは楽になるはずだ。

 私は布団に潜り込み、左手で叔母さんに抱き着く。

 はじめて会ったときから、私は叔母さんに惹かれていた。

 それは、叔母さんが優しいからなのか、同じ化けギツネとしての同族意識なのか、もっと他の何かなのか。それすらもわからない。

 一つだけ確かなのは、私は叔母さんのおかげでお肉やお魚を食べられるようになったということ。

 ニワトリのピィちゃんを食べちゃったことを忘れたわけじゃない。

 でも、自分が生きていく為に他の動物をたべるということを、自分の中で受け入れられるようになった。

 最近、前よりご飯が美味しいし、体の調子もよくなった気がする。

「ありがとう。サク叔母さん」

 私は目を閉じて、そっと叔母さんに力を流し込みはじめた。


 気が付くと、私は和室にいた。

 さっきまでいたのと同じ部屋。

 だけど、さっきまでの景色とはまるで違った。目の前には非日常的な景色が広がっていた。

 布団を取り囲む四人の女のヒト達。

 三人は知らないヒトで、最後の一人は私のお母さん。

 そして、布団の上に仰向けで寝そべるのはサク叔母さん。

 叔母さんは苦しそうな表情を浮かべていて、そしてそのお腹は大きく膨らんでいた。

 立ち会ったことはないけど、ピンときた。

 これは、お産の光景なんだと。

「はい、うーん、っていきんで」

 叔母さんを取り囲む女性たち。あれはきっと助産師さんだ。

「んー」

 助産師さんに言われた通りにいきむ叔母さんの頭からは、三角形のキツネ耳が生えていた。

 赤ちゃんを産むときは、人間の姿を維持できなくなる。だから、人間の病院や助産院で産むことはできないらしい。

 私たちきょうだいはみんな、化けギツネを診てくれる助産師さんに来てもらって、家で出産したとお母さんが言っていた。

「はいっ、もう一回いきんで」

「う、ううっ!」

 叔母さんは苦し気な声を漏らしながらいきむ。

 私も無意識のうちに握った拳に力が入っていた。

「よしっ、頭出てくるよ、力抜いて」

 叔母さんは歯を食いしばり、一層苦しそうな表情を浮かべる。

「サク、もうちょっとだよ。頑張って」

 お母さんも声をかけている。

「赤ちゃん、出るよ」

「ううっ……ああっ!」

 そして、助産師さんは赤ちゃんを取り上げた。

 人間に似た外見。

 だけど、顔の横に耳はなく、頭の上に一組の三角形の耳が生えていて、おしりからは尻尾が生えている。

 化けギツネの赤ちゃんは産声をあげる。

「おめでとう。十三時五十八分、女の子だよ」

 助産師さんはまだへその緒がついたままの赤ちゃんをサク叔母の胸の上においた。

「……ありがとう」

 叔母さんは息を切らせながらも、幸せそうな表情で赤ちゃんを抱きしめる。

「頑張ったね、サク」

 お母さんが叔母さんの頭をなでる。

「ノノお姉ちゃん、前に話してたこと、覚えてる? 生まれてくる赤ちゃんの名前、お兄ちゃんとお姉ちゃんで考えてほしいって言ってたの」

 お母さんは一度うなずくと、ポケットから小さなメモを取り出す。

「サナって、どうかな? サクと、お義母かあさん――ハナさんの名前をもらって、咲花サナ

 叔母さんは赤ちゃんをギュッと抱きしめなおす。

「私の子供……咲花」

 叔母さんは言った。確かに言った。

 間違いなく叔母さんが生んだ赤ちゃんを、サナと呼んだ。

 私の名前で呼んだ。



 ……どうして。

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