第15話 せめての親心の話 その3
前回までのあらすじ
コンとサクが出会った女性の幽霊。その息子はどれほど努力しても報われることはないと、自室に閉じこもる。
幽霊はそんな息子を殺そうと考えていたのだという。
コンは女性の幽霊を傲慢だと言い、サクは息子にバカだと言い放った。
● ● ●
台所。
「私が、傲慢?」
女性の幽霊は驚きと不満が入り混じった表情を浮かべる。
コンはゆっくりと口を開いた。
「あなたが、とってもお子さんのことを愛しているのは伝わってきました。でも、だったらどうしてそのお子さんの死を願うんですか? どうしてお子さんが幸せになれる未来がないって決めつけるんですか?」
コンは指先で自分の左頬をなでる。
「私、施設育ちなんです。私のいたところは、高校を卒業したら出ていかないといけない決まりになっていて、確かに、出ていった後うまく周りに馴染めないで自殺しちゃったヒトもいました。でも、私もああなりたいなって憧れられるようなヒトもいました」
一度、息を吸いなおし、言った。
「明日のことは、私にはわかりません。努力ではどうにもならない、運にまかせ、サイコロを振らなきゃいけないこともいっぱいあります。でも、そのサイコロを奪うことは、たとえ親でもやっちゃいけないと思います」
コンは「ねっ」と笑顔を浮かべた。
女性の幽霊は戸惑いがちにうなずく。
二階の廊下。
「あなたは、バカだね」
ドアにもたれながら、サクははっきりとそう言った。
「な、なんだよ。お前も俺のことを下に見てるのかよ」
ドアの内側の男性は不機嫌そうに言った。
「バカだからバカだと言ったの」
しかしサクは動じない。
「今日頑張れば明日は幸せになれる? 明日なんて永遠に来ないんだよ」
「俺に明日はないってか。わかってるよ。そんなこと」
サクは大きなため息をつく。
「そうじゃなくて、明日だと思ってた日は、やって来た瞬間今日になるって話。どれほど手を伸ばしても、決して明日という日には届かないの」
サクは話しながら、宙に手を伸ばす。その手が掴むものは何もない。
「だから、明日幸せになろうって頑張るんじゃなくて、今日、今この瞬間、なにをすれば幸せになれるかを考えてごらんよ」
少しの沈黙。
その後、ゆっくりと男性の声が聞こえた。
「俺、これから死ぬんだ」
「自殺するってこと?」
サクは冷静に聞き返す。
「……うん。だって俺、凄く運も悪いし……、何をやってもダメなんだ。俺は神様に嫌われている。生きてちゃダメなんだ。生きてちゃダメな人間なんだ。もう、希望なんてないんだ」
サクはゆっくりとはっきりと、そして優しく。
「運が悪ければ生きてちゃいけないの? 神に忌み嫌われれば
サクは自分のもたれる扉に目をむける。
「命ってね火だと思うの。焼かれれば苦しいし、火傷すれば痛い。でもね、凍えたときに体を温めたり、暗い場所を照らすこともできる」
サクは一度深呼吸。
「きっとあなたは、火の恐さだけを知ってしまったんだと思う。確かに、その恐い気持ちは嘘じゃないんだけどね、でも、それが全部じゃないことも知ってほしいなって、私は思う。火の揺らぎってさ、とっても綺麗なんだよ」
部屋の中で、男性が動く音がした。
サクは立ち上がり、扉から少し離れる。
「おばさんの話しわけわかんない」
男性の声。
「うん。そうかも。じゃあ現実的な話として、とりあえず当面の手助けをしてくれそうなヒトに助けを求めよう」
「誰に? 誰も助けてくれるヒトなんていないよ」
「福祉事務所だね。生活保護、もらってたんでしょ? ケースワーカーさん、たまに来てたんじゃない? きっとこの家の状況をよく知ってるはずだし、力になってくれるはずだよ」
サクは満天の笑顔を浮かべる。
「この程度で絶望なんてまだはやい」
扉が開く
出てきた男性は驚きの表情を浮かべていた。
「生活保護、もらってたの?」
サクが男性と共に下の階に降りると、女性の幽霊は驚いた表情を浮かべる。
「お母さん。俺……ちょっとだけ頑張ってみるよ」
台所で女性の遺体を見下ろし、男性はつぶやいた。
その様子を見た女性の幽霊はゆっくりと首を横に振る。
「ごめんね。お母さん、もっとあなたの為にできることあったなって、今になって色々思い浮かんでくるの。大丈夫? 朝、一人で起きられる? 洗濯機の使い方、わかる? ご飯、ちゃんとお野菜も食べるのよ」
その瞬間、男性はその場に泣き崩れた。
「俺……俺、お母さんの料理が食べたいよ」
「あれこれ文句言うのに、部屋の前に置いておくといつも残さず食べてくれてたもんね」
女性の幽霊は言った。
「食べたいよ。お母さんのご飯……」
男性は女性の遺体にしがみつき、泣きじゃくる。
サクは女性の幽霊に目をむける。
彼女も、必死に男性に手を伸ばしていた。
「ごめんね。ごめんね。もう食べさせてあげられないの」
女性の幽霊の悲しげな声は、男性には届かない。
「もう。あなた方は本当に手がかかるね」
サクはため息そう言うと、胸の前で手を合わせ、何かを祈るように目を閉じる。
すると、手の合わせたところから光が漏れ出る。
光は女性の幽霊を包み、そして、吸い込んだ。
サクはゆっくりと目を開き、確かめるように手を動かす。
「これって……」
「私の体をお貸ししたんです。どうか、お子さんと最期の時を」
両方ともサクの口から出てきた言葉。
「なにが……」
男性は驚きの表情でその様子を見ていた。
サクの体を借りた女性の幽霊は冷蔵庫の中を探る。
「焼き飯でいい?」
男性に笑いかけるサク。
その姿が、母の姿に見えた。
「うん。焼き飯がいい」
レタスとカニカマ。それから冷凍ご飯を使った焼き飯。
パラパラ、と言うには程遠いベチャっとした食感。少し焦げている。
それでも、男性はガツガツと勢いよく食べた。
シンクの横に、洗いたての皿とスプーン。
水滴がポタリと落ちる。
「もう、何もしてあげられなけど、でも、応援してるから」
女性の幽霊はそういうと、サクの体から抜け出る。
サクは倒れかけて慌ててテーブルにつかまった。
「サクさん、大丈夫ですか?」
コンが駆け寄る。
「うん、大丈夫。平気」
サクは大勢を立て直し、ゆっくり息を吐いた。
「秦守さん、八重垣さん。本当にありがとうございました。もう、思い残すことはありません」
女性の幽霊は深々と頭を下げた。
「私はもうちょっとやることがあるから、コンちゃん達は先に汽車で帰ってて」
サクの言葉に、コンはうなずいた。
「じゃあ、逝きましょうか」
コンと女性の幽霊は家を出ていった。
それからサクは町の福祉事務所に電話をかけた。
担当だという男性職員さんがすぐに来てくれた。
「あなた、公務員だったんですか」
その職員さんはサナの知っているヒトだった。
サナに好意を寄せているショウタという男の子。父親だ。
「よかったです。話しがはやくて助かります」
サクはそう言ってほほ笑んだ。
それでも、サクがスーパーカブの音を響かせ帰宅したのは長い夏の太陽が完全に沈んだ後だった。
エンジンの音を聞いたノノが玄関まで出迎えてくれた。
サクとノノ。
むかい合って立つ二人の目線が合うことはない。
先に口を開いたのはノノだった。
「おかえり、サク」
「ただいま……ノノお姉ちゃん」
「コンちゃんから聞いたわ、お疲れ様。丁度お風呂空いてるから汗流してらっしゃい。それから、ご飯にしよ」
サクは小さくうなずいた。
「ノノお姉ちゃん、あのね……」
何かを言いかけるが、その言葉は最後まで続かなかった。
サクは、倒れた。
「サクっ!」
ノノはサクの体を抱きとめる。
「……お姉ちゃん……」
ノノの腕の中で、サクは苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。
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