第11話 また会う日までの話 後編

『わかさ』

 駅名標には堂々とそう書かれている。

 目を擦ってもそう書かれている。

 その下には小さめの字で『若桜』と書かれている。へえ、若い桜って書いて『わかさ』って読むんだ、と感心している場合ではない。

 カナコは小走りで改札にむかう。

「あの、私、浜坂に行きたくて」

 カナコはそう言いながら駅員さんに切符を見せる。


 鳥取駅から線路は二手に分かれる。カナコは間違えて違う方向の列車に乗ってしまったのだ。

 鳥取駅まで戻る列車は一時間半も後だ。

 祖父にラインで状況を説明すると、すぐに返信が来た。

『レンタカーで迎えに行く、わかりやすい場所でじっとしておきなさい。一時間くらいだ』

 カナコはうなずく。

 安心した途端、強い空腹を感じた。

 駅舎の中には小さなカフェがある。

 何か軽食でもと思い、カフェに入ろうとしたそのときだ。

 ふと、視界の端っこにその姿がうつった。

 駅前を通りすぎていった一人の少女。

 中学生くらいに見えるその姿に、カナコは見覚えがある気がした。

 慌てて駅を飛び出し、周囲を見渡す。

 すると、さっきの少女の後ろ姿が遠くに見えた。カナコは追いかけて駆け出す。


『和食処 若櫻』

 そんな看板が掲げられた古い木造建築。カナコは少女を追いかけてやってきた。

 ドアノブには『準備中』の札がかかっている。

 カナコはためらう。しかし、脳裏にあの少女の姿。

 ドアを、開いた。


 カラン。


 ドアに取り付けられたベルが音を立てた。

「いらっしゃいませ」

 クリンクリンのくせ毛。左頬の大きな火傷の痕。

 少女は、かつてカナコが保護されていた児童養護にいたカノジョにそっくりだった。カナコが大好きで、ずっと一緒にいたいと願い、そして、死んでしまったカノジョに。

「どうかした?」

 少女は問いかける。

「あ、えっと、その……コン……」

 カナコは喉元まで出てきた言葉を首を振って飲み込んだ。

 カノジョは死んでしまった。目の前にいる少女がカノジョであるはずがない。死んだ知り合いに似ていると言われたって、少女も困るだけだろう。

「あ、いえ、なんでもないです。お店、まだですよね。ごめんなさい」

 カナコはトボトボと店を出ようとする。

「待って」

 その背中に、少女の声。

「お腹、空いてんのと違う? 食べていき」

 振り返ると、カノジョとうり二つの少女の笑顔があった。


 店内に響く鼻歌。

 少女はご機嫌な様子で大鍋をかき混ぜる。

「すぐ用意できんの、カレーしかないねん」

「あ、はい。それでお願いします」

 店内にカレーの匂いが立ち込めはじめた。

「旅行で来たん?」

 少女は尋ねる。

「はい。祖父が浜坂のホテルの割引券をもらって、家族で行こうって」

「浜坂? じゃあ、なんでこんなところに?」

 少女はカレー皿にご飯を盛り、そこにカレーをかける。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 カナコはスプーンを手に取り、ご飯をすくうとカレーにくぐらせて口へ運ぶ。

 甘口だ。

 小学校の給食を思い出させる甘さだ。

「私だけ用事があって一日遅れの出発になったんです。鳥取駅までは順調だったんですけど、乗り換え間違えちゃって」

 カナコは恥ずかしそうに笑ってみせる。

「叔父がレンタカーで迎えにきてくれるそうです。まだ一時間くらいかかりそうですけど」

「そっか。じゃあ、ゆっくりしていってな」

 少女はうなずくと、厨房に丸椅子を出して座った。

 カナコはスプーンで肉をすくう。大きな四角い肉。

 食べる。少し筋張っているが、あっさりとしていて食べやすい。

「これ、なんのお肉ですか?」

「シカ。昨日の晩ご飯の残りやねん」

「へー。はじめて食べました」

 カナコはもう一口、シカ肉を食べる。

「今出かけてるけど、このお店もう一人女の子が働いててその子が昨日持ってきてくれてん。これ食べてたいって。どこでもらってきたんか知らんけど、いきなりでびっくりしたわ」

 少女はそう言って笑った。


 ほどなくして、カナコはカレーを食べ終えた。

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」

 皿には米粒一つ残っていない。

 カナコは財布を取り出す。

「あの、おいくらですか?」

 店内を見回してもお品書きは見当たらない。だから、値段もわからない。

「ええよ、ええよ。そんなん」

 少女は食器をさげると、洗いはじめる。

「じゃあ、せめて……」

 皿洗いでも、と言いかけたとき、少女はちょうど皿を洗い終えた。

「ん、どしたん?」

 少女は割烹着の裾で手を拭きながらカナコを見た。

「いえ、なんでもないです」

「お迎えくるまで、ゆっくりしてってや」

「はい」

 カナコはうつむく。

 目に映るのは足元に置いたカナコのキャリーバッグ。そして、鳥取駅でもらった紙袋。

「あの、これっさっきもらったんですけど、一緒に食べませんか?」

 カナコは紙袋の中身――千寿せんべいの箱をカウンターテーブルの上に置いた。


 カナコと少女、二人並んで座るカウンター席。

 テーブルの上には千寿せんべい、それから牛乳の入ったカップ。

「――ってことがあって、それでこれをもらったんです」

 カナコはこの千寿せんべいをもらった経緯を少女に話した。

「そっか。ええことしたな」

「それで、時間が無くなって慌てて列車に駆け込んだら違う列車で、この町に来ちゃいました」

 カナコは恥ずかしそうにはにかむ。

「ええ子やね」

 少女はカナコの髪を撫で、慌てて手を引っ込めた。

「あ、ごめん。つい」

 カナコはゆっくりと首を横に振る。

「いいえ、いいんです。昔、とっても大好きなヒトに髪を撫でてもらって、とっても嬉しかったんです」


 それから、カナコは少女に色々なことを話した。

 祖父母に育てられていること。たまに喧嘩しちゃうけど、とっても仲良しなこと。

 十六歳だけど、訳あって中学一年生なこと。

 中学校で手芸部に入ったこと。コンクールで優秀賞を受賞したこと。

 スマートフォンの画面に映し出されるのは授賞式の写真。片手に賞状、もう片方の腕でキツネのぬいぐるみを抱きかかえ笑顔を浮かべるカナコ。

 それを見た少女は自分のことのように喜んでくれた。

 それから、それから。


 スマートフォンがバイブするまで、カナコは話し続けた。

 画面を見ると、叔父からのメッセージだった。

『もうすぐ若桜町につくけど、カナコちゃんどの辺にいる?』

 カナコは名残惜しそうに少女の顔を見る。

「私、そろそろ行かないと」

 少女はうなずく。

「うん。旅行、楽しんどいで」

 カナコは立ち上がり、キャリーバッグをゴロゴロ引っ張りながら出口へむかう。

 ドアノブに手を伸ばし、動きを止めた。

「コンさん!」

 振り返ると、カナコの記憶と寸分たがわない少女――コンの笑顔がそこにあった。

「コンさん……あの……」

 沢山話したはずなのに、まだまだ言いたいこといっぱいある。

 何を言えばいいのか? グチャグチャの頭の中からカナコが引き揚げた言葉は……。


「また、会えますか?」


 コンはゆっくりとうなずく。

「カナコちゃんが元気そうでよかった。次に会ったらまた聞かせて。カナコちゃんが見た物、聞いたもの。カナコちゃんがどんな人生を送ったか」

 カナコは大きくうなづく。

「はい! 私は元気です。タマちゃんさんも元気です! だから、待っててください。未来で待っててください。また、三人で会いましょう!」

 カナコは扉を開け、表へ飛び出した。


 カナコは眩しい光に包まれる。

 目を細め、しばらくすると周囲が見えるようになってきた。

 そこは、駅前のロータリーだった。

 カナコはスマートフォンを取り出すと、叔父にメッセージを送った。

『今、駅前です』

 そこから叔父のレンタカーが到着するまで時間はかからなかった。

「お待たせ」

「ごめんなさい。乗り換え間違えちゃって」

「いいよ、いいよ。乗って」

 カナコが助手席に乗り込むと、叔父は車を緩やかに発進させた。

 町中をゆっくりと走り『和食処 若櫻』の前を通過する。

 古びたお店の窓は暗く、もう長いこと営業していないように見える。

 カナコは首を動かし、その外観を追い続ける。

「お腹、空いたんじゃない?」

 おもむろに叔父が尋ねる。

 カナコは口の端に食べかすがついていることに気付いた。

 指先でとって舐めてみると、甘いカレーの味がした。

「実は、お昼もう食べちゃいました。とっても美味しいシカ肉カレー」

「シカ? 美味しかった?」

「はい。とっても懐かしい気持ちになりました」

 車は若桜の町を抜け、浜坂へむけて走っていった。

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