第12話 サナが生まれた日の話
数週間前のこと。
ある日の深夜。
他の家族がみんな寝静まった中、リビングの灯りがついていた。
そこにいたのはコンと、サナの母――ノノだった。
ノノはグラスを口につける。中に注がれていたのは、澄んだ水のような液体。日本酒だった。
「サナのことを背負わなければならないのは、私と
ノノはそう言って酒を煽る。
「サナちゃんは、私は私、ノノさんはノノさんだと思ってると思いますよ」
コンは言った。
「ねぇ、コンちゃん。こんな話しの流れでなんなんだけどさ、一つ、お願い聞いてくれない?」
「お願い……ですか?」
「臆病な私に、勇気にください!」
ノノはテーブルに手をつき、頭を下げる。
「ノ、ノノさん。どうしたんですか?」
コンは慌てた様子で身を乗り出す。
「コンちゃん。サナはね、私が生んだ子じゃないの」
ノノの予想外の言葉。コンは言葉を失い、ゆっくりと椅子に座った。
「じゃあ……、サナちゃんは……」
「サクの子供よ」
コンは思い出す。
以前、お店で見つけた古い写真。サナにそっくりな少女。
ノノの義理の妹、サク。
「そのこと、サナちゃんは?」
コンは尋ねる。
「知らないわ」
ノノはあっさり言い放つと、手元のグラスに酒を注ぎ直し、飲む。
そして、ゆっくりと話しはじめた。
十二年前、私は三人目の子供を妊娠した。気付いたときで四週目だったわ。
男の子か女の子かもわからないうちから、テナが「女の子だったらマナがいい」って言っていたから、今でもマナって呼んでいる。
七週目に差し掛かった頃だったと思う。
サクから電話があった。
当時サクは結婚して京都で暮らしていたんだけど、妊娠したっていうの。
私たちは二人で喜びあった。生まれたら同い年だから仲良くなってほしいね、って話しをしてた。
それからサクは毎日のように電話をかけてきたわ。
妊娠中の食べ物は? 服装は? って色々聞いてきたの。私は回数でいえば二回目、人数でいえば三人目だったけど、サクは一回目で一人目だったから。
だけど、私、流産しちゃったの。十一週目に入った頃だった。
テナとフウのときはね、つわりが酷くてほとんど動けなかったんけど、マナはなんともなくて、家事をして、幼稚園の送り迎えも、買い物も、普段通りにやってた。
家の階段でつまづいて、こけてしまったの。
のときにお腹をぶつけて、マナは駄目だった。
昼間は「そんなこともあるよ」って平気なフリをしてたけど、毎晩のように布団の中で泣いていた。
毎日のように電話をくれたサクは、パタリと連絡をしてこなくなった。
たぶん、私に気をつかってくれてたんだと思う。
私の方からもサクに連絡することがないまま、数か月がたったわ。
ある日、サクの義理のお姉さんから電話がかかってきたの。秦守シロってヒト。
そう。サナが京都にいたときにあずかってくれてたヒト。
そのヒトから連絡があって、シロの弟、つまりサクの旦那さんが行方不明になったっていうの。
詳しくは知らないけど、お役目に行ったきり戻ってこなくなったそう。
そのときのサクはもうすぐ臨月って時期で、一人にしておけなかったけど近くで暮らしていたシロも小さい赤ちゃんがいたから余裕がなかったの。
私はサクに電話をして、この家に若桜町に帰ってこないかと伝えたわ。
はじめサクは渋っていたのだけど、結局は帰ってきた。そして、この家で赤ちゃんを産んだわ。
生まれてきた赤ちゃんは女の子だった。
サクは私とミウに名付け親になってほしいと言ったわ。
だから私たちは話し合って『サナ』と名付けた。
サナが生まれたのは、小雨の夕方だった。
サナが生まれてから三日後だった。
ずっと雨が降り続いていた。
そんな最中、山で子供が迷子になったって町で騒ぎになったの。
ちょっと目を離した隙の出来事だった。サクはその子を探しにいってしまった。産後で体力も弱っていたはずなのに、行ってしまったの。
土砂崩れがおきたの。
その迷子は無事救助された。
土砂崩れに巻き込まれかけたところを、サクが助けたらしいわ。
だけど、サクは土砂崩れに巻き込まれた。
救助されたとき、サクは意識を失っていた。
そして今も、目が覚めないまま病院にいるわ。
残されたサナは、私たちの子供として育てることになった。
ううん。私がそうしようって言った。
当時、小学校に上がる直前だったテナとフウは記憶を書き換える術を使って、サナは私が生んだ子供だというふうに思い込ませた。
サナ本人にも、私がお母さんよ、ミウがお父さんよって言って育てた。
建前はサナに寂しい思いをさせない為だけど、本当はマナの代わりにしてた。
サナを見ながら、もしも流産しなかったら今頃こんな感じだったんだろうなって、何度も思った。
サナに本当のことを話したうえで「サクが目覚めるまで私たちがいるからね」って言って育てることもできたはずなのに、私はそれを選ばなかった。
私は、サクから子供を奪ってしまったの。
長い話しを終えたノノはテーブルに頭を伏せる。
「コンちゃん。この前連絡があったんだけど、サクが十一年ぶりに目覚めたらしいの。この十一年間のこと、なんて言えばいいんだろ」
「……ノノさん」
ノノの頭に、三角形のキツネの耳が生えてくる。
「サクは、私のこと恨むかな? サナを、サクに返さなきゃいけない。それが、あるべき姿。コンちゃんこのことは秘密にして……お願い。覚悟が決まったら、ちゃんと決着つけるから。私が背負うから、だからコンちゃん、ちょっとだけ、私の側にいて」
ノノはそう言うと、完全にキツネの姿になり、ソファーの上で丸まって寝息を立て始めた。
コンは長く、ゆっくりと息を吐く。
そのとき、一人の男性がリビングに入ってきた。ノノの夫、ミウだった。
「ノノ、こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
ミウはノノの体を優しくゆする。するとノノは甘えるような声をだす。
「ミウ~、抱っこして。お布団連れてって~」
ミウは大きなため息をつくと、キツネの姿になったノノを抱き上げる。
「コンちゃん、ノノに付き合ってくれてありがと」
ミウはコンに視線をむける。
「ミウさんは、どう思ってはるんですか? サナちゃんとサクさんのこと」
コンが尋ねると、ミウは気まずそうな表情を浮かべる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「俺はガキの頃、妹を、サクを守りたいと思っていた。だけど俺は無力だった。年を重ねて、ノノとか、子供たちとか、守りたいものがどんどん増えるのに、俺はずっと無力なままだ」
ミウはノノを抱きかかえ、リビングを出ていった。
それから、数週間がたった。
入院していたサクは退院し、同居をはじめた。
サクはサナに対してあくまでも叔母として振る舞っていた。
そして、サナは真実を知らないままサクに懐いているようだった。
和食処 若櫻
カウンター席に座っていたサナは、左手のフォークを置いた。
「ごちそうさま」
カウンターテーブルに置かれた皿。冷麺が入っていたそれは空っぽになっていた。
サナの横の席にはコンが座っている。
「よろしゅうおあがり……って、ほっぺについてんで」
コンはサナの頬に引っ付いていたチャーシューの欠片をはがす。するとサナはパクリとそれを食べた。
「サナちゃん、午後から出かけるんやっけ?」
「うん。セリカの家に遊びに行くんだ」
「行っておいでぇや。私が片付けとくから」
「ありがと」
サナはショルダーバッグを肩にかけると、店を飛び出していった。
コンはその背中を笑顔で見送る。
それからしばらく後、コンが皿洗いをしていたときだ。
表で、ブロロロロ、バイクのエンジンの音がした。
音は徐々に近づいてくると、店の前で止まった。
おや? とコンは手を止め店の入り口を見る。
「おっ、とっ、とっ、とっ、うわー!」
そんな女性の声の後、いきなりガシャーンと大きな音がした。
コンは慌てて店を出る。
そこには横倒しになったスーパーカブ110。そして、その横に倒れているのはジェットヘルメットをかぶったサクだった。
「サクさん、大丈夫ですか?」
コンは慌てて駆け寄る。
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