第9話 美味シカった話 後編
林道を走る軽トラ。
私は軽トラの荷台に揺られている。
目の前には、ブルーシートに包まれたシカの遺体。
さっき、叔母さんが電話していたのは罠を仕掛けた猟師さんだった。
やって来た猟師さんは手際よくシカの頸動脈に刃を入れ血抜きをすると、ボルトを緩めて罠を外し、ブルーシートにくるんで軽トラの荷台に乗せた。
「ありがとうございます。わがまま聞いていただいて」
私と同じく、荷台に乗っていた叔母さんは身を乗り出し軽トラを運転する猟師さんに行った。
「いいよ、いいよ。サクちゃんの頼みだもん。いくらでも聞いちゃう」
猟師さんはガハッハと豪快に笑った。
「サナちゃん」
呼ばれて、私はサクさんに目をむけた。
「お腹すいたね。ノノお姉ちゃんがご飯、つくってくれてるよ」
私は、なんにも返事ができなかった。
「お嬢ちゃん。悪かったな」
運転席から声がした。猟師さんだ。エンジンの音に負けない大声を出している。
「いっぱい血が出て、恐かったろ」
私は左手の臭いを嗅ぐ。さっき、猟師さんにもらった水で洗ったけど、まだ獣と血の臭いがした。
猟師さんの話は続く。
「可哀想だから殺さないで、って言うヒトもいるんだけどね、山を守るためにはこれも必要なことなんだよ」
「……山を守る?」
私の小さな声は猟師さんには届かなかったと思う。だけど、疑問にこたえてくれた。
「シカは木の皮を食べて、枯らしてしまうんだよ。木が枯れると林業をしているヒト達が困るのはもちろん、土砂崩れなんかの災害もおこりやすくなる」
猟師さんは「それにね」と言葉を繋ぐ。
「山の木々が枯れてしまえば、シカ自身も食べるものがなくなり、飢え死にすることになる。結局、山には何も残らなくなってしまうんだ」
私はシカをくるんだブルーシートに目をむける。
風でブルーシートがずれて、角が露わになった。
「生活費を稼ぐ為にシカを獲っている、っていうのは否定しないけど、それだけが全てじゃないんだよ。ヤマイヌのような肉食動物がいなくなった今、誰かが“草食動物の敵”という役割を担わなければならない。自然というのは、食べる者と食べられる者がいてはじめて上手く循環するようにできているんだ」
猟師さんは少し間をおいて、更にこう続けた。
「とは言っても、シカだって死にたくない、生きたいって思っただろうし、だから、食べるんだ。決してゴミになんてしない。シカの命を無駄にしないために、肉は食べ、皮は加工して財布やカバンにする。命を無駄にしない為に」
私は無意識のうちに唇を指先でなぞっていた。
チクリと触れる、鋭い犬歯。
どれほど上手く人間に化けても決して消せない化けギツネ特徴の一つ。
肉食寄りの雑食、という立ち位置を示すもの。
ピィちゃんの顔が頭に浮かんだ。
京都の小学校で世話をしていたニワトリのピィちゃん。
とっても可愛かったニワトリのピィちゃん。
私が食べちゃったニワトリのピィちゃん。
「今はわからなくても……。ううん。ずっとわからなくても、猟師のおっさんはそんなこと言ってたな、っていうのは覚えておいてほしいな」
猟師さんの声に、私は小さくうなずいた。
猟師さんは若桜の町中にある解体処理施設で軽トラを止めた。
早速、中から職員さんが出てくる。
「じゃあ、出来たら配達するよ」
職員さんはサク叔母さんにそう言って、叔母さんは何度もお礼を言っていた。
解体施設は『和食処 若櫻』の近くだ。
猟師さんは送ると言ってくれたが、私と叔母さんは歩いて帰ることにした。
八東川にかかる橋を渡る。
私より少し背の高い叔母さん。
その表情を数回見てから、私は切り出した。
「私、ピィちゃんのこと思い出したんです」
「サナちゃんが食べちゃったニワトリさんだよね?」
もっと遠回しな言い方をすると思ったので、少し驚いた。
でも、変に気を使われるより今は助かる。私も思って言うことをそのまま言いやすくなる。
「ピィちゃんは、野生の動物じゃなかった。スーパーで売っている豚肉も、牛肉も、鶏肉も、全部牧場で育った動物のお肉で、それを食べちゃっていいのかなって、思って」
自然界の秩序を守る為に命を食らうことが許されるなら、自然界の秩序から外れた家畜たちを食べるのは、どうなるのだろうか?
「いいんじゃない?」
叔母さんは驚くほどあっさりと、軽い調子で言った。
「人間の利益の為に生き物を育て、やがては殺す。本当に残酷で自分勝手なことに見えるかもしれないわ」
橋を渡り終え、交通量の多い道路の手前で止まる。
「だけど、人間はそれによって救われてきたのよ。狩りに出て怪我をすることはなくなった。成果が得られず飢えに苦しむことがなくなった。多くの人間が畜産に救われた」
車列が途切れたので、歩き出す。
「人間という一つの生物として、どうにかこうにか生き残ろうと必死に足掻いてきたけっかだと思う。だから、私は家畜を食べることを否定しない。ありがとう、って思いながら食べるだけ」
叔母さんは笑顔を浮かべた。
「私、焼き肉大好きなの」
家に帰ると、色々な考えが頭の中でグルグルしたまま、お母さんがつくってくれたお昼ご飯を食べた。いつも通り、白ご飯とちょっとの野菜。
午後からもリンコと遊ぶ約束をしていたけれど、電話をかけて断った。
「うん。わかった。またこんどね」
リンコは笑ってそう言ってくれた。
昼下がりに、解体施設の職員さんがシカのブロック肉を届けてくれた。
スーパーで売っている牛のブロック肉と変わらないように見える。
私はそれを持って『和食処 若櫻』へ行った。
「コン、これ食べたいんだけど」
私が言うと、コンはちょっとビックリしたような顔をしていたが、すぐに柔らかい表情になった。
「うん、ええよ。これシカ肉やんな。固いんやけど、炭酸水でじっくり煮込んだらトロトロになるわ」
コンはそう言いながら大きな鍋を用意する。
「私が料理したい。教えて、コン」
「うん、ええよ。こっちおいで」
コンが手招きする。私はカウンターテーブルの内側にある厨房に入った。
「どうする? ステーキ? シチュー? カレー?」
「えっと――」
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