第7話 清算をした話 後編
サナとサクは昇降口で靴を履き替えていると、一人の少年に出会った。
「あ、ショウタ」
サナがつぶやく。その少年は先輩のショウタだった。
「えっと……ショウタ。昨日は……ありがと」
「ううん。また……なにかあったら、いつでも……言ってよ」
サナとショウタ。
二人はたどたどしい会話の後、お互いに黙る。
見かねたサクは優しい笑みを浮かべ、尋ねる。
「ショウタくんも三者面談?」
「え、あ、はい。さっき終わったところで、親父はトイレ行ってて、あ、来ました」
ショウタをはじめ、全員が廊下に視線をむける。
そちらから一人の中年男性が歩いてきた。
「あなたは……」
その姿を見たサクは険しい表情になる。
男性はサクの前で足を止めた。
「もしかして、長尾さん……」
サクはショウタに目をむけた。
「ショウタくん、少しお父さんと二人っきりで話させてくれないかな?」
「え、あ、はい。行こ、サナちゃん」
ショウタとサナが離れていったのを見てから、サクはゆっくりと息を吐く。
「お久しぶりです。こんなかたちで再会することになるとは思いませんでした」
上級生にいじめられていたサク。
学校に行かなくなり、一時の平穏を手にしたかに思えたが、ある日ちょっと表に出たときに上級生たちに出会い、誘拐され、山奥の林業用倉庫に連れて行かれた。
そこで、弱った子ギツネがなぶり殺しにされる様子を見せられた。
そして、サクの中に今まで感じたことのない感情が生まれた。
何もかも焼き尽くし、食らいつくし、全てを破壊したいという衝動。
気が付くとサクは、巨大なキツネのなり上級生たちを襲っていた。
昇降口。
むかい合うサクと、男性。
サクは男性の腕に目をむける。
大きな動物に噛まれたような、古い傷跡。
「長尾さん……だよね」
男性は確かめるように尋ねる。
「はい。今は秦守ですが、旧姓は長尾。長尾サクです」
その途端、男性は唐突に涙を流しはじめる。
「……ごめん、なさい。本当に……ごめんなさい」
男性は涙を流しながらその場に膝をつき崩れ落ちた。
「た、立ってください」
「許して、許して、ください」
男性は涙を流しながら、サクにむかって土下座し、額を床にこすりつける。
「落ち着いてください。どうしたんですか?」
サクの声が届かないようで、男性は懺悔を続ける。
「サクさんが……キツネになって、俺に、嚙みついたとき、痛くて、熱くて、死ぬんだって……、恐くて、恐くて、今でも、夢に見るんです。お願いします、助けてください。お願い、お願いします。許して……俺はどうなってもいい。だから、妻と子供だけは、見逃してくれ……」
サクは迷うように数回視線を泳がせてから、ひざまずき、男性の肩をそっと叩く。男性の体がビクリと跳ねた。
「私のことが、それほど恐ろしかったのですね。でもそれは、あなたの咎故のことなんですよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「私だって、痛かった。苦しかった。恐かった」
「……ごめんなさい」
「でも、私もあなた方を傷つけてしまいました」
男性の腕の傷。それはかつて、サクに噛みつかれたときにできたもの。
サクの額の傷。それは、男性が投げた石が当たったときのもの。
「過去の行いをなかったことには出来ません。でも、あなたは十分に悔い、背負い続けてきた」
サクは男性の腕の傷に触れる。
「だから――あなたを許します」
サクの手が光り、男性の傷跡が消えていく。
「長尾さん……ありがとう」
男性は顔を上げた。
「顔、拭いてください」
サクはハンカチを差し出した。
サクと男性は表に出る。
「引っ越したって聞いていたんですが、帰ってきていたんですね」
男性が歩きながら言った。
「はい。結婚して京都で暮らしていたのですが、十一年前に夫が亡くなりまして、実家に帰ってきたんです。そのすぐ後に、私も事故にあって、ずっと入院していて、最近退院できました」
「すみません……辛いことを思い出させてしまったみたいで……」
「いいんです。色々あったけど、兄夫婦が仲良くしているところを見られました。大きくなったサナに会えました。それから、あなたのとわだかまりを一つ無くすことができました。生きてきて、よかったです」
昼下がりの短い二人の影。
それはまるで、幼い女の子と男の子のようだった。
「ショウタくん、ウチのサナに気があるようですよ」
校門を出ると、少し離れたところでサナとショウタは談笑していた。そのぎこちない会話の内容を聞き、サクは微笑む。
「私たちのこと、あの子たちには背負わせないようにしましょうね」
サクが言うと、男性はうなずく。
「娘さん、長尾さんに似ているね」
「娘じゃないんです。サナは兄の娘、私から見て姪にあたります」
サナとショウタはサクたちに気付いたようで、近寄ってくる。
「お待たせ。帰ろっか、サナちゃん」
サナとサク。二人で歩く田んぼ道。
「叔母さん、ショウタのお父さんと知り合いなんですか?」
サナが尋ねる。
「うん。私ね、虐められていたの。ショウタくんのお父さんに。だけどある日、どうしても我慢できなくなって、化けギツネの力を使って大暴れしちゃったの」
サクは一度息を吸いなおした。
「ノノお姉ちゃんが止めてくれたの。あれが無かったら、きっと私はヒトを殺していた」
サクは幼子のような笑顔を浮かべた。
「今日、三十何年ぶりかに会って、お互いにごめんなさいしてきたの。すっきりした」
サナはしばらく足元を見つめた後、意を決したようにサクを見る。
「サク叔母さん、私ね、前の学校で飼っていたニワトリを食べちゃったの」
「うん。知ってる。お友達を助けるためだったんでしょ?」
「そのときに感じたんだ。私は本当は化けギツネなんだって。他の生き物を殺し、肉を食らい、血を舐め、骨を砕き、髄液を啜る。それが本来あるべき姿だって。私の中の、化けギツネがそう言ったんだ」
サナは一度言葉を切り、そして、言った。
「ピィちゃんを食べたとき、心の底では嬉しかった。私が、私になれた気がした。気に入らないものを全て壊し、殺し、何もかも自分の思うがままに生きていけたら、どれほど気持ちいいだろうって、思った」
「その自分の気持ちを、ずっと否定し続けてきたのね」
サクの問いに、サナはうなずく。
「いつか、自分の中の獣の衝動に負けてしまうのが、恐いんだ」
サナの口元から、鋭い犬歯がチラリと見える。
サクはサナの肩を抱き寄せた。
「大丈夫。大丈夫だよ、サナちゃん。生まれたばかりの赤ちゃんは本能だけで生きてる。それが成長するにつれて、ちょっとずつ理性が育ち、失敗を重ねながらも、理性と本能のバランスがとれていく。サナちゃんはまだその道の途中にいるだけなの」
「でも……私は強い力を持っている。一度の失敗で、取り返しのつかない結果になっちゃう」
「だから、お父さんがいるの。お母さんがいるの。サナちゃんが自分で考えて自分の力を使えるようになるまで、守ってあげられるように。お父さんとお母さんと、それから、私がいる」
「……叔母さん」
「思うように生きてごらん。間違っていたら私が止める。必ず止める。知ってる? 私、こう見えてとっても強いんだよ」
サクは最後にこう付け足した。
――あなたは、私の、世界で一番の大切だから。サナ。
同じ頃。
サナの幼なじみ、セリカの家。
セリカの母、ヒトミは布団の中で目を覚ました。
台所から物音がする。
朝より幾分かましになったものの、なおも残る倦怠感と頭痛を引きずりながら寝室から出ると、サナの母であるノノがいた。
ノノは赤ちゃんを抱いて椅子に座り、離乳食を与えていた。
その赤ちゃんは、セリカの妹、イクだった。
「あ、お目覚めですか? すみません。お邪魔してます」
ノノは笑顔を浮かべた。
「長尾さん……セリカちゃんが、呼んだんですか?」
ヒトミは若干よろけながら、近くの椅子に座る。
「はい。お婆様が夜にはいらっしゃるそうなので、それまでの繋ぎでお邪魔させていただいてます。セリカちゃんには学校に行ってもらいました」
「……すみません。ご迷惑おかけして」
ヒトミが申し訳なさそうに言うと、ノノは首を横に振る。
「いいんですよ。困ったことがあれば、助け合いましょ。あ、セリカちゃんに置き場所教えてもらって、イクちゃんのおしめ、何度か交換させてもらいました。それと、お腹が空いたみたいなので、ご飯もこうして。勝手にすみません」
「とんでもない。ありがとうございます。長尾さんに見ていただけるなら安心です」
ノノは笑顔を浮かべる。
「大変な時に不謹慎かもしれませんが、実はちょっと楽しんでました。赤ちゃんのお世話してると、ウチの子たちのこと、色々思い出しちゃって」
「長尾さん、凄いと思います。子供を四人も育てられて」
「大変だったけど、大変なだけじゃなかったな。みんな生まれたときから個性があるんです。テナはお転婆だし、フウは大人しすぎて心配になったし」
ノノは話しながら離乳食をスプーンですくい、イクの唇に軽くあてるが口を開かない。
「もうお腹いっぱい?」
ノノがスプーンを置くと、イクは小さくげっぷをした。
「コウはとにかくせっかちで、予定日より十日もはやく生まれて大慌てだったかと思えば、寝返りも、ハイハイも、立つのもすごくはやかったし」
ノノは小さく息を吐く。
「一番手がかかったのがサナだったな。ミルクをあげてもすぐに全部もどしちゃって、どうしようって何回か泣いたの覚えてる」
ノノは何かに気付いたようにハッとする。
「あ、ごめんなさい。つい昔話にふけっちゃって。何か食べられそうなら、お台所おかりしてつくりますよ」
ノノの腕の中で、イクは穏やかな寝息をたてていた。
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